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生物版ロボコン「iGEM」でリーダーとして学んだこと

私が今年血と汗と涙を流した「iGEM Grand Tokyo」での納豆菌の研究プロジェクトが、国際大会も終わり一区切りつきました。この先も関連活動は続けますが、ひとまず通過点として記録にしていこうと思います。
※思いが溢れとてつもなく長い記事になってしまいました。流し読み程度にお楽しみください

iGEMとは
The international Genetically Engineered Machine competition の略で、合成生物学の研究の世界大会です。
合成生物学とは生物の細胞や遺伝子を「部品」のように捉え、遺伝子を組み替えることで新しい生命機能をデザインして作り出す研究分野のこと。
 例えば、身近なインスリンは「大腸菌」の中に「インスリン生産遺伝子」を組み換えること製剤しています。このように自由に微生物のパーツを使って自分が作りたい物質・機能を作り出せる✨夢がある分野✨です。

大会自体は高校生・大学生・大学院生の3部門があり、毎年6000人を越える参加者が10月下旬に行われる大会に集います。今年2024大会はパリ🇫🇷で開催されました。

2024大会に出場した日本で唯一の高校生チーム「Grand-Tokyo」
残念ながら前年に優勝した日本の高校生連合チームJapan-United(Ninjas)は解散していたので、ないなら作ればいい、という心持ちで私が作り上げたチームです。関東を中心に高1〜3年の17人のメンバーが集まりました。

大会の結果ですが。。。残念ながら大会提出書類のアップロードができておらず、(かなり簡略化した言い方ですが、チーム内ではもっと複雑な事情がありました。しかし私自身思い出すことが辛いので、ここではあまり触れません。) メダル獲得を逃してしまいました。

なんだ勝てなかったのか、と思っていただいても結構ですが、勝敗に関わらず私にとってiGEMをやった期間は、数えきれないほど濃い人生経験を積ませていただいた時間でした。そこで、この記事はGrand-Tokyoに関わってくださった皆様への感謝を延べる場所として、一生の宝となる私の成長を共有させていただければと思います。


私がやったこと

iGEMは純粋な研究の成果を競えばいいだけではなく、教育活動や社会実装を見据えて専門家へのヒアリング、200万円程度の大会出場費/研究費を集めること、広報活動など諸々のサイドクエストが評価基準に入ります。こいつらのせいでチームの仕事量は単純な “研究の大会” を遥かに超えました。

(c)1986 ARMOR PROJECT/BIRD STUDIO/SPIKE CHUNSOFT/SQUARE ENIX All Rights Reserved. (c)SUGIYAMA KOBO

私が足を突っ込んで関わったことは、基本的に「全部」です笑。
具体的には
メンバー集め/面接、末次研に頼み込ませていただきラボとPIの確保

プロジェクト期間中のメンバーのタスク割り振り、返ってこなかった仕事の巻き取り、定期的な1on1連絡によるメンタル/モチベのチェックアップ

研究のプロダクト決め、社会実装を見据えたプロトタイプ化
 
→関連論文を毎晩倒れるまで読み漁る、専門家の先生方へのヒアリング
実験系の組み立て
 →先生方と通話して手法の相談、プラスミド設計、各実験方法の下調べ、実験記録、データの精製
  そしてこれらは全て実験を監督していただいた矢野晃一さんのお力がなければできませんでした。本当に感謝しきれません、ありがとうございます。
肝心の実験
 →夏休みはほぼ毎日10:00-19:00の間ラボに通っていました (他のメンバーが来れる時はお休みさせていただいていましたが)。催促しても来ない人たちに苛立ちと諦めを感じていた頃が懐かしい。
  必死感が伝わる記録はこちら

総額200万円以上の資金繰り
 →クラファンの文章やビジュアル作成、企業本社への交渉、銀行口座・帳簿の管理など。
Education活動
 →方針決め、メンバーの仕事割り振り、計画、現地出張
 夏休みの間は私が実験の方に駆り出されて指揮を取れなかったので割と放置。
SNS運営
 →XとNoteの運営  これは意外と時間がかかる。

文章にしてしまうとなんだかあっけないですが、やっている時は次から次へとやることが降ってきて常に追われている気持ちでした。とにかく時間が惜しくて、目的のないSNS(YoutubeやInstagram)なんて大会後に半年以上ぶりに開いたくらい。

活動内容の具体的な話は別の記事にて詳しく説明するので、ここでは割愛します。


性格の変化

正直、一年前の私は性格が幼稚で、リーダー格とは程遠い人間だったと思います (今もだよって言わないでね ٩( 'ω' )و )。 
特に、後先考えずに言葉を放ってしまう。最初の頃はこれがひどくて、秋山くん(通称ごりら)によく怒られていました笑。
「今のは言っちゃダメでしょ」とか「リーダーの言動が団体を代表することになるから、それ相応の立ち振る舞いをして」と厳しく鋭い視点で唯一あれこれ私に言ってくれた彼の存在がなければ私はここまで変われていなかったと思います。

サンシャイン水族館に一緒に遊びに行った時。ショッピングモールで他のメンバーを待つ間もパソコンを開き、カタカタとコードを書く興味深い生態を見せるごりら。

お金も知識もない高校生たちを多くの人が支援してくれている。自分が当たり前にあると思っていた資源がどれだけ貴重でありがたいものか理解するようになってから、感謝の気持ちが生まれ、大人の方の信頼に応えたいと思うようになりました。自分の言葉に慎重になるようになり、何が “言っていいこと” “悪いこと”なのか、それを聞いた人は私たちをどう見るようになるのか、などをiGEMだけでなく日常的な場面でも考えるようになりました。

夏のある日、母に「文句を言わなくなったね」と急に言われました。自分でも、言われてみれば環境や人の悪口を数ヶ月間一切口にしていないなと気が付き、本当に変わったなぁと感動しました。 (ただ単に忙しすぎてそういう生産性のない言葉を放つ余裕さえなかったというのもありますが笑)。わがまま末娘がこんな風になるなんて、お母さん、私は成長したわよ☺


自分でやらないと物事は進まない。「誰かがやる」なんて存在しない。

iGEMを一度やってしまうと、普通の人生がいかに「簡単」かということに気がついてしまいます。一般的な道にはレールが敷かれていて、部活も勉強も指導してくれる人とやり方が確立されている。だから、その通りに努力すればある程度の成功が約束されている。
けれど、初参加のチームリーダーとしてiGEMに参加しようとすると、手取り足取り教えてくれる指導者はいないし、何をすればいいのか、どこから手をつければいいのか、どこに向かっているのか、分からない状態で手探りながら進む他に道はありません。ずっと5歩先がない道を整備しながら進んでいるような気がしました。
自分が引っ張らないと勝手に17人分の仕事は始まらないし、自分が催促しないとその仕事は続かない。時にはメンバーの連絡が遅くなったり途絶えたりするから、待っている時間が無いと判断してそのタスクを巻き取らないといけない。そう、この船の舵を切れるのは自分だけしかいないんだという事実に直面したことが、私のターニングポイントとなりました。


恐怖から逃げずに向き合う心

上の段落に書いたことが本当に過酷で、iGEMは始めてから大会終了までずっと「辞めたい」という気持ちとの闘いでした。
リスペクトをこめて言わせてください: Ninjasの某リーダーさんのNoteに「一度も辛いと思ったことはない」的なことが書いてありましたがあんなん絶対嘘だと思います笑。多分苦しい思い出が報われた気持ちによって上書きされただけなのではないでしょうか。(違ったらすみません)

一緒にやろう、と始めたはずのメンバーたちは人狼ゲームみたいに順番に消えるので(なお、数週間後に戻ってくる)、自分だけがその場に留まり、不安要素しかないiGEMという怪物と戦っているような気持ちでした。

※脳内イメージ

ちなみに4-6月が精神的には一番きつかったです。夏休みに入れば毎日やること(実験・Wiki書く)が明確でその通りに動けばいいだけだったので。

当時の日記 数時間ごとの感情のアップダウンが激しかったです。
そのうちストレスで爆発するんじゃないかとおもてました

病んでた頃にこんな文章も全体ミーティングで共有していました。今見ると中々笑えます。


世の中は公平な評価をしない。だから?

ぶっちゃけ、人間誰しも最低限の努力で他人の利益に便乗できるなら、したいじゃないですか。
他人の力で引っ張ってもらう方が考えることが少なくて、楽だもの。

本当は私が何倍も頑張ってる中で他のメンバーが私の犠牲に乗っかって、自分の都合を優先させて試験勉強したり、私が諦めたプログラムに参加したり、旅行先で楽しんでいるストーリーをあげていることに苛立ちと不満を募らせる時もありました。
でも他の誰でもない自分自身の努力と犠牲を差し出さなければならない立ち位置になって気づいたことは、真の達成感とやりがいは自らの手で作り上げたところにあるということ。確かにヘリコプターを使うように他人の勢いに乗っかれば簡単だけど、その人たちはきっと山を登った私と、見える景色が違う。だから、活動期間中はリーダーの血が滲む努力が正当に評価されていないとしても、無駄になることはないんだなと思います。
(傲慢に聞こえたらごめんなさい。自分が辛かった時に欲しかった励ましの言葉を、未来のiGEMerの子に残そうと思って書いています。)

Jamboreeのチームブースにて!

責任ある立場で何ヶ月ももがき苦しみながら最後まで諦めずに耐え、無事大会を終了できた経験は私の中で大きな自信になりました。最近は何事に対してもiGEMに比べたらこんなの大したことないわっ!と思ってしまうので、ちょっとやそっとで動じなくなりました。笑
「良い鉄が鍛えられるためには必ず一度火熱をくぐらねばならない」という言葉が、まさに身に染みた瞬間でした。


心の底から、やってよかった

大会後は今までにないほどひどく気分が落ち込みました。学校の休暇が二週間くらいあったので他人と会って気分転換することもできず、ずっとベッドから動けない状態が続きました。

「こんなに多くの人を巻き込んだのに結果が出せなかった私が、iGEMをやった意味ってなんだろう」という考えがずっと頭をぐるぐるしていました。

(ちなみにおそらくそんな状態だろうと分かってくれた大親友の副リーダー、谷有咲が連絡をくれました。無理やり元気を出そうと思って返信したけど、やっぱり見抜かれていました。)

ここで、とあるメンバー、齋藤智郎くんの話をさせてください。
このともろう君は、やりたいからiGEM界に入った訳ではなく、
Wiki開発できる人が必要→ありさが、学校で高い技術力を持っている人がいると推す→バリバリに受験勉強の雰囲気漂う高3の先輩だけど頼んで引きずりこむ
という流れで入ってもらった人です。

そのため彼は元々iGEMには肩入れしておらず、学校の学年横断合宿でほぼ初対面の時に、
「登録費がこんなに高いのってただの闇深いビジネスじゃん (正論)
 なんでこんなのやってるの?課外活動界隈ってよくわからない。」
と言われました。※彼は合理的な視点を伝えてくれただけなので否定していたわけではないです

その頃はちょうど資金集めに奔走していた時期で、多方面に “私たちが大会に参加する必要がある理由” “投資に対するメリット” を説得しなければならず、自分でも「ノリで始めただけだから深い理由なんてわからないよ!」と頭が混乱している時期に、内部メンバーからも痛いところを突かれたことがショックでした。会話を一言一句覚えています笑

とにかくこの通り、彼は最初あまり乗り気ではなく受験を邪魔してしまっているようだったので働いてもらうことが終始心苦しかったです。

しかし大会後、Dry実験のアドバイザー(ほぼメンバー) だった内藤くんと雑談通話していたときに、ともろうが入ってきたことがありました。ともろうは全体の定例ミーティングにも参加しなくても良いという特別待遇だったので、彼にとってWiki班以外の人と話すのは初めてだったと思います。
内藤くんとともろうはお互いの専門分野や将来実装したいことを語り始め、その場にいた私もありさもおいて、即座に熱意溢れる議論を展開していました。
意気投合した二人は「受験が終わったら対面で会おう」と約束し、その後内藤くんが通話を去りました。

すると、残ったともろうがこんなことを言いました。
「高3なのに課外活動やるのは変だと思ったけど、面白い人たちとの出会いがあって良かった。誘ってくれてありがとう。」
この言葉を聞いた瞬間、泣きそうになりました。ずっと、嫌なことに巻き込んでしまったのじゃないかと思っていた彼がそう感じてくれて良かった。私がiGEMを始めたことで、人と人がつながる場所を作れて良かった。私がやったことは、誰かのためになっていて、ちゃんと意味があったんだ


人の痛みが分かる人間に

私はiGEMで賞を取れなかったけれど、変な話、ある意味よかったかもしれないと思うんです。人一倍努力したのにそれが報われなかった経験を17歳でさせてもらえたから、誰かの価値は他人の基準で付けられた表面的な順位じゃなくて、その人自身が持っている経験にあるということを身をもって実感しました。(実際Grand-Tokyoのレベルはかなり高く、SoftwareとEducationはほぼ確実に賞が取れ、全体評価もTop10には入っていたと思うからです。)

というのも、iGEMを通じて数えきれないほどの方と出会い、たくさんのお話を聞かせていただきました。
クラファンのご相談をさせてもらったMBA交流クラブの方々、末次研で毎日コツコツと研究する先生方、こんな意味のわからない高校生の話を聞き真摯にフィードバックをくれる企業の方、Jamboreeで出会ったスタートアップを創る大学生のお兄さんお姉さんたち。
そういう時に心から「ああ、この人すごい」と思えかどうかは結局、その人がどういう経験をしてきて、それをどう捉えているかによると思いました。

これらが相まって自分の結果主義的な側面が削れたことで、人の本質を見抜く力がとてつもなく養われたと思います。

また、一度TUPLSの朝枝さんとオンラインでお話しした際に「梶川さんはチームの立ち上げの時から “がんばるぞ” という雰囲気がパワーパフガールズと似ている感じがしました」的なことを言っていただきました。(深夜にお話ししていたので私の記憶違いだったら気まずいですね、合っているか教えてください)
iGEM Japan Communityの方とお話しする機会もなかったので、なんとなく自分たちは大学生の目に入っていないんだと思っていました。本当はそんなにカッコよくないけど、自分のことをそんな風に見てくれていた大学生がいたなんて。すごく嬉しくなりましたし、一気に心が温まりました。

Power Puff Girls
(c)Encyclopædia Britannica

だからこそ自分にとって悲しい気持ちで終わったiGEMとの今後の関わり方を考えた時、しばらくは高校生iGEMerが相談したい時に駆けつけられる近所のお姉さん(?)のような存在になりたいなと思いました。自分が「失敗」しているからこそ他人の痛みと気持ちに寄り添える人間になりたい
自分が辛かった時に話を聞いてくれたQdaiの西村さんやNinjasの阿曽さん、Jamboreeで励ましてくれたTokyoTechのかしまさん、見守られていると実感させてくれた朝枝さん。勝つ手伝いはできないかもしれないけど、尊敬する先輩方のような存在になりたいです。

日本のiGEMコミュニティは「勝つ」ことに重きをおいている雰囲気が凄まじいですが(これについてはよくまとまっているマリルリさんの記事をぜひ)、JamboreeでUndergradのGrand-Prizeをとったチームの人たちと話していると意外と「自分たちのベストを尽くし続けていたら、ラッキーで賞が取れただけよ」なんて言ってます。
自分もアメリカで育ったので根本的な思想が似ていると感じます。結果を残していないのでこんなことを言う権利はないような気もしますが(笑)、まあ、リラックスした話がしたくなったらいつでも連絡してください。Xはあまり使っていないですがDiscordには張り付いていますので、Japan Communityから探してください。通話してくれるとさらに喜びます。

最後に

私たちの活動を見守ってくださった全ての方に大きな感謝をお伝えしたいです。
クラファンでご支援してくださった皆様、
私たちの将来に投資してくだった企業の方々、
プロジェクトの相談に乗ってくださった外部の先生方、
研究の方向性や手法を教えてくださった朝井先生と門屋先生、
実験を指導して下った矢野さん、休みの日にまで監督してくださった藤光さん、私たちを優しく気にかけてくださった末次研の皆様、
そして、3月からパリまで大変お世話になった末次先生
本当にありがとうございました。


GTの皆へ
最初期から伴走してくれて苦楽を共に過ごしてきたごりら、
文献調査スキルがずば抜けてて一緒にWetをやるのが心強かったけい
予備実験が成功するまで何度も地道に努力する頼もしいりくと、
必要な額を伝えたらなぜかきっちり揃えてきてくれる優秀すぎるりこ
楽しそうに目を輝かせながら中高生にEducationをしていたみさき
いつも積極的にできることを探してやってくれるどりや、
途中までだったけど立ち上げの頃一緒に活動してくれたちさと、
対面で会うとニコッと嬉しそうにしていた弟みたいなしょうや、
お願いしたことを全力でやってくれるテンション高いりゅうぞう、
大量のサンプルを扱うときに黙々と作業してくれた工場長みずほ、
技術もリーダーシップも兼ね備えているカリスマ人材ともろう
知識と好奇心の幅が半端ない天才型なのになぜか留年しそうなゆきや、
DMは素っ気ないけどパリでは意外とベタベタしてくれて可愛かったあやか、
鋭い頭脳を持ちながらややパソコン音痴なギャップを持つさき
細かい配置まで工夫して見る人をぐっと引き込む魔法の力を持つかん、
徐々に自分の仕事に自信をつけていきながら一番成長したみるひ

そして大事な場面ではいつも隣にいてくれたありさ、

この一年間はジェットコースターのようだったけど、最後まで皆が乗ってくれて嬉しかった!望む道は通れなかったかもしれないけど、一人一人と出会えた運命に感謝しています。

数えきれない思い出を、ありがとう。
全員でいつか集まろうねー!!

iGEM Grand Tokyo
梶川 詩織


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