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自分に鬱屈しているという話。

こんにちは。
私は、今すごく気が晴れない。
何故ならば、私の話が誰も耳に入らなくなったからだ。

例えば今の会社の話。
私の好きな音楽のアーティストに名を連ねると、
へえ、とか、ふーん、と言ったように、
誰の感情も動かさずに話が終わる。悔しい。
また、会社内での会議中。企画を出し合う時。まあ話は聞いてくれるけど、興味を示さない。
ムカつく。

私はよく人を見ていると思っている。
見すぎて疲れる。いや、見えすぎている。
元々の、自分の癖なのだ。
声色も顔色も表情も感情も、
今相手がどー感じてるのか、なんとなくわかる。  
わかるから余計に辛い。
何か恥じて、無謀なことができない、のだろうか?


結局私の偏った趣味の話をすると
私の偏った思考だけはあると相手が認識して終わる。

認識して終わるということは
何が起きてるかというと、
その会議にいる人たちは
認識してくれているものの、

私の好きなものに、興味がない

きっとそれは私が一人で感じているのだろうか。
相手にパスを渡した感覚がないのだ。

その、私の好きなものに対しての面白さを
相手に伝えられず、相手もどう受け取ったらいいかわからない、からだ。

話し下手だからか?
重要なポイント、本質を見抜けてないからなのか?
表現が下手くそなのだ。
言語化というものをもっと意識して、
さらに相手が返してくれる、
ことを望んでいるはずなのに。

例えば、一つ、書いてみる。
好きな映画。
レディ・バード、ヘイト・ユー・ギブと言った、
中学・高校生を主人公にしたストーリー
子供が大人に変わっていこうとする
心の心情の動きにフォーカスした映画が大好きだ。


とにかく映画を見て欲しいのだが、
レディ・バードというのはめちゃくちゃ小さい嘘をつく。彼女にとっては、見栄。
自分が大人になる、ということをどういうことか考えてとりあえず行動してみた、という要素がいくつかある。

自分が正しいと思っていることも相手にとってみれば、虚勢を張っているようにも見えたりする。かなり自分のことばっか考えてはいルもの周りのことも、母親のことも、考えず、小さい田舎で何をしてもいいだろう、という感情もある。
でも結局自分の思考やあり方を変えていかないと、結局ダメですよ、ということ。


彼女たちは、ストーリーの世界の中で
いろいろな差別や社会に揉まれる。
自分の中で何か許せないことがあるし、信念もあるんだけど、明確に出てこない。
今が、楽しい。
だけど、そのあとはわからない。
今を大切に生きるのか、
それとも未来を考えて生きるか、
悩んで、もがき苦しみながら
それでも明日は来るんだ、ということを
どのやうに理解していくのか、
どのように昇華させるのかを考えながら、
鑑賞をする。
それが、特に惹きつけられる点である。

あれも好きだな、JUNO
あと名作は、
あの頃ペニーレインと 


私だって、そういうことはある。

30歳にもなったけど、未だに今から抜け出せない。
今を大切にしすぎると、自分自身の成長が遅いのはわかってきた。  だから当事者意識を持って鑑賞できるのかもしれない。


鬱屈してるんだ、私は。




ここまでお読みいただき、ありがとうございます。 よければ私にレモンサワーをおごってください。