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これまでの私

今回は今更ながら、私がどんな感じでここまできたのかざっくり書きたいと思います。

私は生まれも育ちも北海道栗山町という町です。

いつも出身を聞かれるとき「北海道のどこ?」と言われるのですが、道外の方々にはほぼ知られていない町なのでどう説明して良いかわからず少し気まずいです笑
気になる場合は調べてみてください笑

でも、とても大好きな場所です!!!

昔、北海道コンサドーレ札幌の練習場として使われていた天然芝のグラウンドがあって他の町と比べてサッカーの町という感じがあります。

ちなみに私のオススメグルメは、龍覚の味噌ラーメン前田菓子舗のオムレツケーキです。
栗山に行く時はぜひ!!!


サッカーを始めたのは小学3年生の時。
くりやまFCという地元の少年団に入りました。
入った時は同年代に女の子がいなかったけど、スタッフの方々や保護者の皆さんが分け隔てなく接してくれたおかげでサッカーが大好きになりました。
最近は道内では、強いチームとして知られるようになっていて誇らしいです✨
この学年はやんちゃばっかで超怒られたけど、その分勝つことも多くてサッカーの楽しさを知れた原点です。
みんな今度集まってサッカーしようね⚽️

全国行けなかったけど最高だった!わたし8番


中学生になって、サンクFCくりやまというクラブチームに入りました。
小学校のメンバーのほぼみんなが部活に入るなか、家から通える範囲(バス送迎あり)で女子のカテゴリーがあったのでここにしました。

しかし、実際には女子は中学生と高校生含め11人もおらず、基本的に男子中学生と練習や試合をしていました。(田舎のチームあるある)

でも、たまに女子だけで、近くの部活の助っ人女子をいれて大会に出たり、冬はフットサルの大会に出たりしていました。
最後の女子のU15のフットサル大会では、6人(1人は小5)で全道2位になれました。
この大会は、超激アツな今でも大尊敬の監督と元フットサル日本代表の毒舌だけど優しいコーチがわざわざ帯同してくれて本当に最高の思い出になりました。 

中学校3年間は総じて、男子に負けたくない!と必死に走って走って走りまくる毎日でした。

1番の思い出の女子のフットサルの大会!わたし2番


高校は、北海道文教大学明清高校(現:北海道文教大学附属高校)に進学し、道内ですが寮生活をしました。
この3年間で、サッカー面でも精神面でもたくさん成長できました。
初めての部活で、礼儀や上下関係、人間関係、リーダーシップなど本当に多くのことを学びました。そして、北海道代表として全国で戦っていく厳しさを痛感しました。

怪我や手術の経験もして精神的にも強くなれた気がします。これがまた複雑な話で、、。笑

1年の秋ごろから左膝の膝蓋腱炎がずっと治らず、ありとあらゆる色んな治療を試しましたが全く良くなりませんでした。

「もう原因が分からないから一度開けてみようか」とドクターに言われ、とりあえず膝を切って中を見てみることになりました。

高1の私には、治るかどうか分からないのに手術をすることは、怖くて怖くて。
治らなかった場合サッカーは辞めなきゃか。とか考えたり、とにかくその時は人生のどん底にいるかのような感じでした笑
とりあえず顧問の先生に大泣きしながら話をしに行って、色んな話をしてくれてなんとか前を向かせてもらいました。

手術をしてみてびっくり
なんとオスグッドの骨が何かの衝撃で欠け、膝蓋腱に刺さっていたことがわかりました。
これを取ってもらって、無事痛みが治りました。

こんな訳のわからないことあるんだと思いました。びっくりです。

原因が分からない中でもひたすらリハビリに付き合ってくれて、色んな話をしてくれた大尊敬のPTさんのおかげで、やっと約1年後に復帰をすることができました。

そこからは大きな怪我なく最後までやり切れました。

怪我も選手としても苦しんだことが多かったから、この時に戻りたいとは思わないけど、充実した時間を過ごせた3年間でした。
関わってくれた全ての人に感謝です!!!

高校3年間で1番心に残る試合!わたし4番


大学は、神奈川大学へ進学しました。
初めて北海道を出ることや、有名選手ばかりのチームメイトに、ビビりまくっていました。笑
コロナ禍もあって、経験できないこともたくさんあったけど、全国、関東のトップレベルの中に身を置くことで得られたものは、たくさんありました。
自信はいつもなかったけど、1年生からトップチームで試合に出させてもらって、多くの経験を積ませていただきました。

2年生の約1年間、前とは逆足の膝蓋腱炎を拗らせていた私は、全然プレーできずにいました。色んな治療をしても全然効かず、ストレスで蕁麻疹や帯状疱疹が出たりしました。
やっとの思いで復帰をしてまた試合に少しずつ出られるようになりました。

そんな中で3年生のインカレ前に、ずっと私たちを見てくれていた監督が病気で亡くなってしまいました。
怪我の時はいつも練習後に「早く復帰してくれよー」とトレ室にきて話をしてくれたり
ボールの蹴り方や止め方、体の動かし方なども、うるさいって思うくらい細かく教えてくれたり
これ以上ないサッカー大好き人間で変人(いい意味で笑)の石田さんからたくさんのことを学びました。

でも怪我を早く治してもっともっと試合に出たかった。最後の年まで見てもらって一緒に日本一になりたかった。もっともっと話をして教わりたかった。本当に心残りです。

でもだからこそ今頑張ろうって思えています。
みててね!!石田さん!!こうのせ頑張るよ〜!

こんな感じでこの4年間も色んなことがありながら成長させてもらいました。

最後の年の写真💙


ざっくりすぎますが、こんなような経験を経て長野にきました。
ここまで読んでもらって言うのはなんですが、長野に来る前に取材していただいたものがあります。
こっちで読んだ方がかなり見やすいので、ぜひこちらを↓笑



サッカーに出会って、たくさんの人に出会って、助けてもらって、成長させてもらって、ここまで来ることができました。

普通じゃない怪我をしてきたこともそうだし、もうとにかく色んなことで悩んで苦しんだりしてきたけど、周りの人たちの支えのおかげで乗り越えてきました。

本当に私は、出会う人に恵まれているなとつくづく思います。

だからこそ、そういう人たちへ恩返ししていきたいし、私自身も誰かの助けになるようなことができたらな〜と。

まずは、髄液漏で苦しむ人たちの希望に少しでもなれるように情報を発信していこうと思っています💪

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