’’のろい’’と’’まじない’’
’’のろい’’と’’まじない’’と言う言葉は同じ字を書くらしい。’’呪い’’と書くのだそう。
大きな、深い思いがその結果を引き起こすと言う面では確かにその性質は似ているのかも知れないと思う。
でもボクはそれと共にこの2つの言葉は、お互いにどちらにもなり得る言葉だと思う。
ボクは大好きな人に色んな物や事を共有するのもしてもらうのも好きだ。好きな音楽も、今日起きたなんてことない事も沢山共有したいし、して欲しい。
ボクにとって大好きな人から何かを共有してもらうのは、苦しくて苦手な人生に大好きな人の色をもらって、彩りのある人生にしてもらう、素敵な’’まじない’’。
ボクが大好きな人に何かを共有するのは、もしもボクが居なくなった時にボクが好きだと共有した物をトリガーに思い出して欲しい、と言う身勝手な’’のろい’’。
基本的にはそう思っているものの、その’’まじない’’と’’のろい’’の定義は、ボクとその相手、そして状況によるのだろうとも思う。
ボクの大好きな’’まじない’’も大好きな人にかけた’’のろい’’も、きっと裏返る日が来るのだろう。
大好きな人が居なくなった後に、その人が共有してくれた何かにふと触れて苦しくなるのはボクにかけてもらった’’まじない’’が転じた’’のろい’’なのだろう。
そしてこれは願望でしかないのだけれど、「ボクを忘れないで欲しい。」とかけた’’のろい’’もいつかボクが居なくなった後に、大好きな人が生きていく中で懐かしく、温かい気持ちになれる思い出のような’’まじない’’になれたらな、と。
ボクやボクの大好きな人だけでなく、言葉を紡ぐ以上、ボクらはみんな誰かに’’のろい’’も’’まじない’’もかけられるのだろう。
だからボクは死ぬまで大好きな人に呪いの言葉を紡いで生きていく。