罰走


罰走。

罰としての走り。


「罰」って何よ。

勝負に負けたから罰、目標を達成できなかったから罰、はよく聞くね。

でも、負けてる時点で、目標を達成できてない時点で、そもそも罰になってるんじゃないの?

そこに追い打ちで更に罰を与える意味はあるのか?

そこが罰に感じられないとしたら、そもそも勝負や目標に真剣に向き合えてないじゃん。

練習のミニゲームでも負けたら泣く子もいるよ。

その泣いている子にそれ以上の罰は与えられないわ。

勝負に向き合えていない子には、罰の恐怖で強制的にプレーをさせるより、なんで向き合えていないかを考える方が大事なんじゃないかな。

もっとライトなもので「罰ゲームが無いと盛り上がらない」っていうのもわかるけどね。

罰走ってそういうのじゃないでしょ?



「走り」は何のためか。

これが、鍛えるため、プレーの向上のため、だとしたら、罰じゃなくてご褒美だよね。

だってプレーヤーはみんなプレーを向上させたいでしょ?

「走りたい!」ってなるべきもの。

これだったら罰として成立してない。

走ったら根性が鍛えられるとかよくわからない話を信じるとしても、もしそうだったらやっぱりご褒美。



罰走は罰だから、鍛えるためではなく苦しめるためにやる、っていうものなのかな。

じゃあ負けた方がやったら、より弱くなるじゃん。

そもそも。

勝負にちゃんと向き合って負けた場合、負けた方は全力を出しているはずなんだ。

勝った方は全力だったかはわからないけど、負けた方は間違いなく全力。

余力が残ってたらおかしいんだ。

だって負けてるんだから。

その状態の選手達に罰走をやらせてどうすんのよ。

指導者は体調管理をしないのか?



ということで。

罰走はよく考えると理屈がよくわからないものな気がする。

だから「勝った方は走っても良いよ、負けたら走っちゃダメ」という『ご褒美走』にすれば良い。

負けた方は余力が残ってないはずだからね。

その「ご褒美走」の強度はちゃんと指導者が管理してあげる前提で。

どうでしょう?



本来さ、鍛えることは「ずるい」ことなんだよ。

他者より良くなろうとしている行為なんだから。

だから勝ったら「ずるい」ことしようぜい。



「ご褒美走」みたいな考えが広がったら、フィジカルに対してもより良い影響があるかもね。

筋トレは罰じゃなくてご褒美よ。



さ、筆者も今から自分にご褒美与えようかな。



終わり



<追記>

どうしても盛り上がりのために罰ゲームを入れたいなら、疲労やパフォーマンスの調整が難しいフィジカルトレーニング系にするんじゃなくて、他人を巻き込まないメンタル系(できればちょっと笑える)にするのが良いのかも。

・今日一日、語尾を「でやんす」「ざます」「しん」のどれかにする。SNSも。
・漫画のセリフを全力でやる。
・負けた回数分、誰かを笑わせる。
・負けた回数×時間、スマホの電源オフ。

とかね。

どうでしょう?


終わり

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