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「そら豆の塩茹」
どうして今になって、あの嫌いな味が食べたくなるんだろう。
っていうこと、あるくない?
ほうれんそうのお浸しとか、ピーマン炒めとかの、あのニガーイ味がなぜか唐突に食べたくなる時がある。そしてそう思うたびに、私が嫌がってもちゃんと食べさせてくれていた大人たちに感謝する。不思議な話だけれど、一度もおいしかった記憶がなくても、なぜか食べたいってなるし、今ならおいしく感じられる確信が持てる。それは、私の記憶にかすかに残るこの「味」は「美味しい」のだと、これまで培ってきた私の料理のセンスが今になってそう教えてくるんだと思う。
「そら豆」も、そうだった。
「そら豆」を久しぶりに手に取ったのは、デパートの地下一階、生鮮売り場だった。今が旬らしくて、安く売りだされていて、売り場を通り過ぎようとしたときにふと目に留まり、そのままふっと記憶が蘇った。
私の父は、そら豆が好きだったんだと思う。母が、父の晩酌のおつまみに時折出していたのを覚えている。私はおいしいと思ったことはなかったけれど、大きなサヤから大きな豆をぶりんぶりん取り出すのは楽しくてよく手伝っていたから、「そら豆」のことはそういう点で好きだった。好きなのだから美味しく感じるのではないかと、子供ながらに考え何度も試してはみたが、やっぱり味は好きになれなかった。
まず、皮が固い。皮を捨てて、中身だけ食べても、もさもさ…と触感が悪い。塩をきかせても、枝豆みたいにぽりぽり食べたい味じゃない。食べ物としての魅力はなにひとつわからなかった。
……けれど、今なら……
デパートの地下一階で冒険に出た私は、家までの帰り道、すぐに「そら豆の塩茹」レシピを探した。素材本来の味が一番よくわかる方法で、食べてみたかったから。
片手鍋に水と塩を入れて、コンロの火にかける。塩は多め。そら豆はサヤから取り出して、包丁で皮に切り目を入れて後から食べやすいようにしておく。つまんだらぷりっと中身だけ出てくるようになるのすごい。鍋の水が沸騰したらそら豆を入れて、2分茹でる。
タイマーが鳴って、2分たった。シンクにざるを置いて鍋の中身をぶっかけ、一気に湯切り。ぼわわっと湯気が上がるので、顔をやけどしないようにのけぞってよける。湯気をよけてシンクをのぞき込めば、「そら豆の塩茹」は完成である。
アツアツのを一つつまんで取って、皮をキュッとつぶすように身をプリンっと出して、おもむろに口の中に放り込む。
…………ほらぁ…
美味しかったー。むちゃくちゃ美味しかった。出来立てだからかもしれないけれど、予想以上に美味しかった。「もさもさっ」と感じていたのは、「ほくほく」だったし、塩気くらいで味がないと思っていたけれど、塩見のおかげでほのかに甘さを感じる。枝豆はおつまみ、スナック、おやつってかんじだったけど、そら豆は料理って感じだった。とても繊細で奥が深い。
夕飯に出す予定のそら豆は味見ですべて完食でした。後悔はしてませんが反省はしたので、それから定期的にそら豆を買うようになりました。
苦手な食べ物があってよかった。きっとまだこれからも、こういう感動には巡り合えるはず。「食べる」って最高に面白い。
さぁ、次はどんな出会いがあるかな。
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