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アイスクリームと脱走者/5


5.夕風に揺れる

「出かけてくるね」

 裏庭に向かって声をかけると、父と目が合った。

「いってらっしゃい」父は片手をあげる。

「気いつけて行きんさいよ」

 祖母の声に「はあい」と返し、わたしは玄関へ向かった。

 下駄箱の脇には紙袋が置いてあり、フリーザーバッグにぎゅうぎゅう詰めにされた焼き菓子と、ビニール袋の口から溢れるほどの野菜が入っていた。茄子、キュウリ、トマト。

 暑さの残るこの時期に車に置きっぱなしにするわけにもいかず、わたしは紙袋を持って大学に行き、文学部の建物の前で彩夏に電話をかけて待った。

 夕暮れがいつもと違う景色に見える。同じ建物、行き交う人々も取り立ててどうということもないのだけれど、秋の気配がする。

 目の前の広場で、サークルらしい集まりがいくつかのグループに分かれ、何かを組み立てていた。そのうち二人が立ち上がり、手にしたノートに視線を落としたままこちらに向かって歩いて来た。

 男女一人ずつ。そのうちの一人が波多君だと気づいたとき、向こうも顔をあげて「あっ」と漏らした。横にいた女の子がわたしを見る。

 フワフワした金髪が夕風に揺れ、ふと、秋みたいな女の子だと思った。ほとんどの人が半袖なのに、彼女一人が長袖を着ていた。

「何してんの、ミサトさん」

 波多君の隣で、金髪の彼女はうつむきがちに目線を泳がせていた。

「これ渡そうと思って彩夏を待ってるの。いる? 茄子とかキュウリ」

 紙袋を波多君の目の前に持ち上げてみせる。チラチラとわたしの顔をうかがう彼女のことが気になってしょうがなかった。

「茄子? なんでそんなの持ってんの」

 波多君はチラと紙袋をのぞいたあと、「いらないし」と顔をちぢめるようにして笑った。笑うと、困ったように眉尻が下がる。

「波多君は学祭の準備?」

「うん、そう。ボランティアサークルなんだけど」

 そう言って説明をはじめる波多君は、テニス部の頃と変わりないように見えた。彩夏の言う”クールな波多君”というのが未だに想像できない。

「学祭のときに仮装して清掃したりとか、子ども向けの学内探検を企画してるんだ。付属小の子たち」

「ボランティアなんて尊敬する」

 わたしが言うと、波多君は照れたように口の端をゆがめた。

「ミサトさん、サークル入んない?」

 波多君は隣の彼女に「ねえ」と同意を求めたけれど、彼女はうつむいて彼の陰に隠れてしまった。怯える小動物みたいで、ずいぶんおとなしそうな人だ。波多君はそんな態度にも慣れた様子で、小さく肩をすくめた。

 見た目と中身のギャップが激しそうな彼女は、どうやら波多君のことが好きなのだろう。

 ふと「ミサトも愚痴聞いてやって」と明るく言ったユカのことが頭に浮かんだ。自分が失恋したわけでもないのに、なぜだか胸がキュッと締めつけられた。

 ユカとは、部活を引退したあとほとんど関わりがなくなってしまった。同じ大学に行くつもりでいたけれど、結局進路も変えてしまったし、寂しかった一方で、そんなものかという諦めもあった。

 卒業式の日のテニス部の打ち上げは、父の体調がすぐれないことを理由に欠席した。「最後なんだから」と母は参加するよう言ったけど、自分だけ楽しんではいけないような気がして、母と一緒に家に帰った。

 以来、ユカとは連絡を取っていない。大学一年の夏休み、帰省しているかもと思って電話しようとしたけれど、卒業前の距離を思い出して発信ボタンを押すことができなかった。

 ユカと波多君は中学高校と六年のつきあいだ。二人は今も連絡を取りあっているのだろうか。

 ヒュウと吹き抜けた風に、またかすかに胸が痛んだ。

「サークルよりバイトで稼ぎたいから、遠慮しとく」

 わたしが口にすると、波多君の後ろで金髪の彼女がホッと息を吐いた。人見知りなのか、恋のライバルと勘違いされたのか。

「そっか、残念。彩夏に会ったら、ミサトさんが来てるって伝えとくよ。まだやることあるから、じゃあ」

 波多君は「行こう」と彼女をうながして文学部棟に入っていった。

 波多君が彩夏を呼び捨てにしたことが意外だったけれど、高校のときの彼を思えば不思議でもなかった。わたしはたぶん、”ミサトさん”というキャラクターだったのだろう。気軽に”千尋”と呼ばれるような、垢抜けた女子高生ではなかった。

「おまたせ、千尋」

 振り返ると、わたしが差し出すまでもなく彩夏は紙袋に手をかけた。

「キュウリ、トマト、ありがたーい。どうせなら、家に持ってってくれると嬉しいんだけどな」

 媚びた口調の彩夏に、わたしはにべもなく「ごめん」と返した。

「ヒロセさん待たせてるから。重かったらゼミの人と食べて」

「茄子はムリかなー」

「誰も野菜食べろなんて言ってないでしょ。クッキーも入ってるから」

 もう行かないと、と彩夏に背を向ける。「千尋」と、わずかに深刻さを帯びた声で呼び止められた。

「ねえ、千尋。ヒロセさんにはあまり深入りしないほうがいいと思うよ」

 躊躇いがちな彩夏の言葉は、わたしの心にジワリと釘を刺した。

「大丈夫だよ」

 明るく笑ったけれど、彩夏の表情は晴れない。

「あのさ、千尋……」

 文学部棟のガラス戸の向こうに時計が見え、針は約束の時刻を過ぎている。

「また今度ちゃんと話すから、もう行くね」

 わたしは慌てて手を振り、小走りに正門を抜けて店に向かった。

 うまし家の前にはヒロセさんの車が停まっていて、窓をのぞき込むとシートの倒された後部座席にサーフボードが積んである。

 姿を探して隣のコンビニに足を向けると、窓越しに雑誌を立ち読みするヒロセさんが見えた。彼はわたしに気づいて雑誌を閉じ、手招きした。

 安堵と不安が同時に胸に広がった。

 夏の名残のような、あの初めての夜。あれ以来わたしは少なからず期待していた。

 でも、わたしとヒロセさんの関係を表す言葉というものがあるなら、それは何も変わらなかった。変わってしまう言葉を、わたしもヒロセさんも口にしなかった。

 何も起こらないまま一ヶ月近くが過ぎ、昨日のバイト終わりに映画の話になったとき、「DVD観返したいから、明日うちに来ない?」そう言って誘ってきたのはヒロセさんのほうだ。


次回/6.アイスクリームはキープで

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長編小説/全62話/14万5千字程度/2017年に初めて書いた小説です。

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