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アイスクリームと脱走者/30


30.千尋のせいだよ

 圭がホルモン治療してたのは二年以上前なんだ、と彩夏は言った。

「その時は生理止まってたみたい。でも、色々あってホルモン治療はやめたらしいんだ。千尋にもチラッと話したって言ってたけど」

「あ、うん。たぶん、高校の先輩のことかな」

 陽菜乃先輩とのことに違いなかった。

「そう、その人。たぶん、圭はまだ好きなんだと思うんだ、その人のこと」

 男とか女とか性別なんてなければいいのにね、と彩夏はため息を吐く。

「圭のこと、大学では誰も知らないの?」

「圭は見た目がどっちでも見れるから、最初のころは遠巻きに噂してる人もいた。波多はそれを避けて一人になったのかもね。まあでも、大学なんて高校みたいにクラスでべったりなわけじゃないから。圭の周りの友達は男として扱ってるし、いつのまにかそれが普通になってた。大学の中ではお互いフォローし合ってきたんだ。フツーでいるのって面倒くさい」 

 この一年半、わたしは彩夏の何を見ていたのだろう。

「圭と会うまで、そういうのリアリティーなかった」

「そんなもんだよ。社会モンダイなんて、自分が関係なかったら本気で考えたりしない。でも知らないだけで存在しないわけじゃない。制度が変わっても、文化が変わらないとなかなかね」

 彩夏はずいぶん軽い口調で、まるで天気の話でもしているみたいだった。

 わたしがシャワーを浴びて部屋に戻ると、彩夏はまだパソコンの前に座っていた。ベッドに寝転がってスマホでネットニュースを見ていると、パタンとノートパソコンを閉じる音がする。彩夏は背中を反らし、気持ちよさそうに首をぐるりと回した。

「レポート終わった?」

「終わった。波多はまだやってるはずだよ。わたしの方が進んでたから」

 彩夏は得意げな顔をしたけれど、疲れが下瞼に滲んでいる。

「そういえば彩夏、部屋に波多入れても平気なの? 圭だけ特別なのかと思ってた。彼氏気にしない?」

「あ、別れた」

 わたしが驚いてベッドに跳ね起きると、彩夏は「ビックリした?」と小首をかしげて笑う。

「学祭のとき、彼氏いるからわたしはナシって言ったじゃん」

「アリにして欲しいの? 千尋」

「そういうことじゃなくて」

 彩夏は「千尋のせいだよ」と悪戯っぽい目を向ける。

「千尋にバレちゃって、ちょっと楽になったんだ。
 彼氏には黙ってることがいっぱいあったし、圭や友花たちとの付き合いも知られないようにしてた。積極的に嘘をついてるわけじゃないけど、ぼかして話したり。以前、圭と一緒にこの部屋を出るところを見られたんだけど、遠目だったせいか女だと思い込んでるの。そういうのそのままにしたり。でも、なんか疲れちゃって」

「彩夏の彼氏って偏見持ってる人?」

 彩夏はモゾモゾとベッドに這い上がり、ゴロンと横になった。わたしもその隣に寝転がった。

「どうかな。不安なだけだったのかも」

「彼氏が?」

「わたしが」

 彩夏の声はずいぶん近くから聞こえる。寝返りをうつと、彼女の耳たぶが目の前にあった。わたしの息で首筋にかかった髪がふわりと揺れる。

「彼氏にも話してみようって思ったんだ。圭のことも含めて」

「それで、別れたの?」

 首をかしげたのか、彩夏の頭が少しだけ遠ざかった。

「圭のことは騙してたようなものだから、怒っても仕方ないと思うんだ。でも、千尋ともそういう仲なんじゃないかって、しつこくて。嫉妬深いの。愛情の裏返しなんだろうけど、彼といたら友だちも作れなくなる」

 ね、とこっちに顔を向けた彩夏は、圭にしたみたいにわたしの頬に触れた。見つめ合うと、少し寂しげに微笑む。

「あいつより、千尋の方が大事」

「わたしが入り浸り過ぎたのかな。彼氏、勘違いしちゃったんだ」

 いいの、と彩夏は言って、ベッドの上で体を起こした。お風呂行ってくる、と浴室へ姿を消す。

 一人になったベッドで、わたしはいつの間にか眠りに落ちていた。夢の中で、「千尋の一番になりたい」と彩夏が言い、彼女はわたしの額にキスをした。


次回/31.蟹座は十二位でスッピンは変わらない

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長編小説/全62話/14万5千字程度/2017年に初めて書いた小説です。

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