アイスクリームと脱走者/28
28.この部屋にこのメンツで
「やっぱ、日曜はバイト終わるの早いな」
波多は片手でドアを支えている。わたしの胸にはジワジワと違和感が広がっていた。彩夏の部屋で、こんなふうに波多に迎えられるなんて。
波多は焦れたのか「よっ」と足を踏み出し、わたしの腕を掴んだ。
「寒いから早く入れよ」
玄関にある男物の大きなスニーカーは波多のもの。その横にあるひとまわり小さいスニーカーが目に入り、わたしはホッと胸をなでおろした。紺色のスニーカーは見たことがある。
波多の後ろをついて歩きながら、話し声も気配もないことに気づいた。わたしは部屋に入る手前で足を止め、死角になっているのドアの陰をのぞきこんだ。
「何やってんの。二人とも」
案の定、二人が小さく身を屈めてしゃがみこんでいた。
彩夏がケラケラ笑いながら立ち上がり、圭は「だからすぐバレるって言ったろ」と、不貞腐れた顔をしていた。彩夏の笑いはなかなかおさまりそうにない。
「ねえねえ、千尋。おもしろくない? この部屋にこのメンツ。しかも、やってるのはドイツ文学のレポート」
レポートという言葉を聞いて、どっと力が抜けた。
「べつに、なんとなく予想できたし。三人、ホントは仲良いんだよね」
「まさか」
圭の言葉は素早く、その反応に波多が「え?」と情けない声を出した。
「ほらほら、おもしろいじゃん」と、彩夏は男二人を見て楽しげに言う。
「今日は圭にレポート手伝ってもらうつもりでいたんだ。でも、急にオフショアに出ることになったから、こんな時間になった。バイトの時に波多とレポートの話になって、それでこんな感じ」
「俺もそのレポート苦戦してたんだ」
波多が圭の顔をチラとうかがうけれど、圭はそっぽを向いている。圭が本気で嫌がっているわけではないのが分かるから、彩夏もずいぶん暢気だ。
「一人も二人も一緒でしょ、圭」
「俺は彩夏に教えに来たの。終わったらさっさと帰るから。早く終わらせろよ」
圭はデスクチェアを回転させてどかっと腰をおろした。机には開かれたままの辞書と本が何冊か置かれていて、ベッド脇のローテーブルにも本とファイル、ノートパソコンが二台ある。
彩夏はベッドを背もたれにしてパソコンに向かい、「もうひとがんばりするか」と小ぶりな胸を反らして伸びをした。圭は怠そうに二人を見下ろしている。
わたしは彼らの邪魔をしないよう、カバンを抱えたままベッドに腰かけた。無言になった部屋にベッドの軋む音が響き、プリントをめくっていた波多が顔を上げる。彼は圭を見ていた。
「急で悪かったけど。ドイツ語得意だろ、圭」
「あ」と、わたしは声を漏らした。なぜか勝ち誇ったような気分だった。
「圭って呼んだよね。やっぱり仲良くなってるじゃん」
圭がわたしを睨む。
「邪魔すんなよ、千尋。西野さんなんて呼ばれるより、圭のほうがマシだろ」
圭は口を尖らせていたけれど、わたしは昨日からの沈んだ気持ちが少し軽くなった。
「圭はレポート終わってるの?」
「俺はもう単位取ってる。完全にボランティア」
圭がフウとため息をついた。よく見ると顔があまり良くなく、話しかけられるのも面倒くさそうだ。
手持ちぶさたになり、わたしは「コンビニ行ってこようかな」と立ち上がった。
「あ、俺も行く」
圭はすでに腰を浮かせている。
「え、圭行くの?」
「なに、ダメなの?」
「そんなことないけど」
わたしの心配などよそに、圭はリュックを背負って外に出ていく。慌てて追いかけ玄関を出ると、圭はすでに階段を降り始めていた。振り返りもせず、一人でどんどん先に行く。
わたしは履きにくいブーツにイライラしながら、「待って」と圭に声をかけた。「早くしろよ」と言うだけで、彼は足を止めてくれない。
次回/29.コンビニに行く理由は
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アイスクリームと脱走者【完結】
長編小説/全62話/14万5千字程度/2017年に初めて書いた小説です。
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