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TGA 一過性健忘

二年ほど前のことです。書き留めておきたくてその当時文章にしました。小説ではないけれど、スムーズにするために一部フィクションを交えています。視点がおかしかったりするけどそこはご容赦ください。誤字修正と一部関係ない文章を削除した他は当時のままです。

その日・仕事中

Yさんは比較的シャキシャキとした女性で、ただ年齢的にはそれなり。パートで長く勤めたあと退職年齢がきてアルバイトに切り替えた。

それから早数年。人が足りないときだけお願いしている。

絵が趣味で絵画教室にも通い、その教室のメンバーで展示会を開いたりしている。「動けるうちに」と秋の紅葉シーズンの京都を堪能してきたばかりだ。


細かいことまで気がつくタイプで、他のパート職員の仕事がずさんだと口を出さずにはいられないが、アルバイトになってからは「アルバイトですから」と自分の持ち場のみに目を向ける。(パートのときは責任者をしていた)

そんな彼女が、今日はおかしかった。

就業時間が終わる間際になっても普段の半分の仕事も出来ていない。自分が今何をしているのかも、何をすべきかも判断できず、「今日はおかしい、ごめんなさい」と繰り返すが、その不安はこちらにも伝播してきた。


推測するに、たぶん2時間くらいのあいだうろうろしていたのだろうか。

持ち場がはっきりと分かれているので、私も気付くのに時間がかかってしまった。そろそろ後始末にかかろうというとき、終わっていると思っていた仕事がまったく手付かずで、他のメンバーも手伝って時間内に終えたのだが、その最中にあって彼女は不安を笑いで押し込めようとしていて、それが私の不安をさらにあおった。

場所が分からない。どうすればいいか分からない。不安。


まだタイムカードを押す時間でもないのだけれど、彼女が帰り支度を始めたことを誰も止めることなく、「早めに病院行ってみたら」「家まで送ろうか」「バス停どこで乗るかわかる?」と心配の言葉だけが重なっていく。


プライドが高い人だとは思う。

就業場所のとなりには大きな病院があって、いっそ引きずっていったほうがいいのではないかと考えたりもするが、親と同じくらいの年齢のその人に「病院いったほうがいいですよ」とは言えないまま、「大丈夫ですから!」と無理に笑顔をつくった彼女をそのまま送り出してしまった。


帰れるだろうか。
いつもと同じバス、運転手も同じだろう。
車でなくて良かった。

色々考えはするものの、何もできずに帰らせたという判断が間違ってはいなかったか。無事家に着いて、――そう願う。

事務所に戻って、PCを立ち上げネットで検索した。急を要することなのか、多少時間をおいても大丈夫なのか、それが知りたかった。麻痺症状などはないようだった。

検索ワードを変えつつ、論文なんて読む気もなく、行き着いたのが「ある日海馬が故障した――一過性健忘(TGA)体験記」(※)だった。

(※)『ある日海馬が故障した――一過性健忘(TGA)体験記』(ibaibabaibaiのサイエンスブログより)
 詳細は省きますので興味のあるかたは調べて下さい。

彼女の症状が一過性であるのかどうなのか、それはまだ分からない。ただ、あまりにも急な症状で、「大丈夫だろうか」という不安はなかなか消えなかった。――この記事を読むまでは。

というか、このブログ書いた人面白すぎ。普通はパニックになるだろうよ。著者の恋人も冷静すぎ。私はプライベートで関わる事のないパートさんでも若干パニックになりそうだったよ。

完全に心配が拭い去られてはいないけれど、もしTGAであればそれほど心配しなくてもいいのだろう。が、この間のことを彼女が覚えていない可能性がある。それはなんだか不思議だ。

――祖父が脳梗塞になったときは麻痺から始まった。
――知人の勤め先(百貨店)で「連れ合いがいなくなった」と高齢の女性が相談に来たという。駐車場にはすでにそのご夫婦の車はなく、どうやらご主人は一人で帰ってしまったらしい。
――知人のはなし。ドラッグストア(だったと思う)で「車のエンジンはどうやってかけるんでしたか?」と尋ねてきた男性がいたそうだが、声をかけられた人は介護関係の仕事をしていたらしく、その症状からすぐ病院に連れていったそう。

過去の記憶にヒントを探しても、医者でもない私に何の判断ができようか。 

不安は「いつか自分も」「いつか親も」と、心の中をかき乱す。不安は不安。ただ、ブログの著者のように自身を客観視できればまた違うのだろう。

その日・仕事後

小さな会社だ。社長が確認のためYさんに電話をした。

「今、バスのなかです」とYさん。

大丈夫か、帰れるかと問うと「大丈夫だ」とYさんは答える。電話を切って10分後、社長にYさんから着信があった。

「電話されましたか」

さっき電話で話したばかりだと社長が言っても「そうですか?」とYさんは答える。電話を切り、しばらくするとまた社長の電話が鳴った。

「Yさん、あんたぁちょっと、今日おかしいから、早いうちに病院行きなさい。息子さんの電話番号教えてくれる?」

番号がちゃんと聞き出せるだろうかと不安になるが、Yさんは息子の番号を電話口で言った。

つとめて明るく振る舞おうとするYさんの声と、不安を煽らないようにとトーンを高くしたままの社長の声。けれど、素直に電話番号を口にするYさんは、プライドよりも不安が膨れ上がっているのだろうと思う。

社長は社員のKさんとYさんの家に向かうことにし、正確な場所が分からず近くのパーマ屋でYさんの家の場所を聞く。Kさんは息子と孫の三人暮らしだが(孫といっても社会人)、平日の昼間には家に一人だ。呼び鈴を鳴らすとYさんが顔を出した。

「家まで来てもらって、私なにかミスしましたか?」

無事家にたどり着いたことを確認して胸を撫で下ろすが、やはり病気が気にならないはずはない。本人は不安を抱えながらも、記憶は飛び飛びで残っていない。

「明日、病院に行きなさいよ」

社長は念押ししつつも、自分の言葉がYさんの記憶に残らないだろうと思う。

「息子さんか娘さんに病院に連れて行ってもらいなさい」

「娘はちょっと……。息子に言ってみます」

その言葉も、彼女は忘れてしまうのだろう。聞き出していた息子の番号に、仕事が終わった頃にでも電話を入れることにした。

その日の夜九時頃、社長が息子に電話をかける。まだ仕事中だったようだが、そのあとすぐ家に帰ったそうだ。けれど、Yさんに特に変わった様子はなくいつも通りで、そのまま眠りについた。

翌日

翌朝、「病院に行ってみようかと思って」というYさんの言葉を、息子は「分かった」とあっさり受け入れ、会社を休んでYさんをかかりつけの病院に連れていく。息子はその車中でYさんに前日の社長とのやりとりを説明した。前日、そのことはYさんには言わないまま様子を見て過ごしていたらしい。

Yさんは昨日の午後2時ごろからの記憶は飛び飛びだが回復していて、けれど朝からそれまでの記憶がなかった。社長が家を訪れたことも、バスに乗っているあいだに電話のやりとりをしたことも、息子の電話番号を教えたことも、何もかも。

不安は残らないではないが、特に問題はなく一時的なものだろうという医者の言葉に安堵する。ちょうど年越しの時期ではあるし、病院を受診したあと電話をかけてきたYさんはいつも通りだったが、社長は「しばらくは休んでもらおうか」という判断をした。


さて、私自身も昨日はごちゃまぜの不安が胸を渦巻いていたのだが、安堵は急速に広がって、今こうして文字を書く手も速まっている。

Twitterでのやりとりも昨日は億劫で、一人詩のような文章を書いて、昔をなつかしみ、諸行無常を感じてみたりしていたのだが、喉元過ぎればなんとやら。残りの人生でTGAに出くわすことがあるのか、それとも自分がなるのか、今度遭遇したら…。多分同じように心配するくらいしかできないのかもしれない。ただ、他の病気のこともあるだろうから、やはり受診をすすめるべきだろう。緊急を要するのかそうではないのか、その判断ができないのであれば、やはりさっさと行くように促すべきだったのかもしれない。


更に翌日

更に翌日。夕飯時にYさんから社長に電話があった。医者に「心配だったら神経内科に」と言われていたようだけれど、医者のその言葉も気休めのようなもののようだった。けれど当事者であるYさんの不安は想像に難くない。

「迷惑をかけたのではないか」という心配がYさんにはあるのだろう。「迷惑をかけない」「迷惑をかけてほしくない」それは、日々の関わりからYさんのなかにあったように思う。

「心配なら社長さんに電話で聞いてみたら。自分が記憶のない間になにをしたか」
そう息子さんに言われ、Yさんは社長に電話をしてきたようだ。

その時の会話によれば、比較的まともに働いていたと思われる就業前半の記憶もあいまいで、朝友人と電話をしてからの記憶がごっそりと抜けていたらしい。仕事を終えて、玄関の鍵を開けたときからポツポツと記憶が回復しはじめたようだ。

社長から詳細を聞いたからといって不安が全て拭われるわけではない。一日一日、今日も大丈夫だったと、そういう確信を積み重ねていくしかないのだと思う。それでも完全に不安を拭い去ることはできないだろう。私なら、できない。

――というやりとりが年末の話で、そのまま正月を挟んで1月半ばになった。

二週間後

少し業務の方も落ち着いてきたからということで、社長が様子伺いの電話をYさんにかける。今後も仕事を続けられるか、そんな判断をするために。

「明日出てみる?」という社長の言葉にYさんは「仕事はちょっと…」と濁し、失った記憶への不安はやはりあるようだ。けれど仕事仲間と話をしたいらしく「顔を出します」と言って電話を切った。体調も最近ようやく回復してきたばかりということらしい。

翌日、昼前に顔を出したYさん。顔色は悪くなかった、というよりむしろ良かった。以前と同じようにシャキシャキとした雰囲気で、聞きたいこと話したいことを抑えきれないように話し出す。私も特に仕事が詰まっていた訳ではないので手を止めて彼女に笑顔を向けた。

Yさんの話によると、その日やはり途中までは記憶があったようだ。その記憶と、彼女がその日に仕上げた仕事を振り返ると、まさにその境目から崩れている。記憶の戻りは散発的で、バス停にいた記憶、バスの中で電話を受けた記憶、家の鍵を開けた記憶、それらがポツポツと思い出せるらしい。飛び飛びの記憶。

病院に行った後、特に同様の症状が出ることはなく、けれどYさんは起き上がるのがダルくて何日か臥せっていたらしい。食欲もあまりなく、家にいるよりも少しは出かけたほうがいいのではないかと息子に実家に連れて行ってもらったり、買い物に出かけたり。徐々にそういう風に元には戻りつつあるようだった。

Yさん曰く、「二三日前からやっと体調が良くなってきた感じがする」
ということは、二週間近くはずっと体調が悪かったということだ。症状がないのに病院に行っても…と息子は言ったらしいが、私ならばさっさとセカンドオピニオンでももらって安心したい。社長はやはり「病院に行ったら」と重ねてすすめ、Yさんは笑顔で帰っていった。「迷惑料です」とチョコレートを置いて。ちなみにバンホーテンの粒タイプのチョコレート。ビターなやつ。

少しずつ慣れていくしかないのかと思う。   

不安を抱えながらバスを使って出かけてきたYさんは前向きだ。好奇心や楽しみ方、それと自身の責任。いろんなもののバランスを取りながら、Yさんは生活を元に戻していける人なのではないかと、それは私の単なる希望かもしれないけれど。

彼女が復帰してくれることを願って。とはいってももう65過ぎてるんだけどね。一億総活躍社会って、本当、死ぬまで働けってことなんだろうな。職場の人間関係が生きがいを生むこともある。うちの職場のおばさんたちは多分みんなそう。定年を迎えてもまだパートで使ってもらっていいですかと問うてくる。「やめて家にいても主人と一日顔つき合わせないといけないし」とか、そんな理由もあったりするけれど(笑)

およそ二年が経ちました

お蔵入りさせた約二年前の日記みたいなエッセイ記事(エブリスタに掲載していた)を見つけたので載せてみました。ちなみにYさんは元気です。たまに人手が足りないときにアルバイトとして働いてます。コロナでほとんど機会はないけど。


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砂東 塩
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