アイスクリームと脱走者/39
39.きみちゃんの電話
「美月、波多、千尋、三人か。ラーメンでも食いに行くか」
店長は顎をしゃくり、道路の向かいにあるラーメンきみちゃんを指さした。提灯の下に、自転車が何台か停まっている。
店長について道路を横切り、暖簾をくぐって店に入る。
「おう、お疲れさん」
野太い声がした。店長は声の主である”きみちゃん”に、「おつかれっす。四人」と片手をあげ、そのまま奥のテーブルに向かった。
「らっしゃい」
平たい頭はツルリと光り、きみちゃんは薄っぺらいタオルを首にかけていた。学生の間ではラーメン屋というより、唐揚げ定食の店として知られている。量が半端なく、ほぼ男性しか注文しない。
店長はチャーシュー麺。波多は「この時間に唐揚げ定食はキツかったんで、唐揚げラーメンにします」と言う。定食より唐揚げの量が少ないらしい。
「奏はこの時間でも唐揚げ定食食えるぞ」
店長が意地悪な言い方をしたけれど、波多が挑発に乗ることはなかった。先に食べ終えた店長は「煙草吸ってくる」と会計を済ませ、きみちゃんと軽く言葉を交わして外に出ていく。
わたしは彩夏にメールを送り、席を立ってトイレに向かった。ついでにウォーターサーバーで水を入れているとき、テーブルの方で着信音が鳴った。聞き覚えのある音に慌てて振り返ると、わたしのスマホ画面が光っている。
「千尋ちゃん。ヒロセ君から電話だよ。出ようか?」
美月さんの言葉にコップを落としそうになり、タイミング悪く入り口のところで店長が聞いていた。わずかに心に引っかかるのは何かと考えて、「ヒロセ君」という美月さんの言葉だと気づく。彼女も動揺したのかもしれない。
「あ、自分で出ます」
美月さんからスマホを受け取り、「もしもし」と背を向けて電話をとった。こちらに歩いてくる店長の視線を避け、わたしはうつむいたまま外に出た。
風に吹かれた暖簾がバサリと顔を覆い、首を振って払いのけると裾がパシリと頬を打つ。叱られたような気分になり、不意に泣きたくなった。
一ヶ月近く連絡がなかったのに、ヒロセさんはまるで毎日会っていたかのような親しげな声を出す。
「千尋ちゃん。何してる?」
「きみちゃんで、ラーメン食べてました」
「そうなんだ。大丈夫だった?」
大丈夫じゃない、と心の中で返し、たまらずしゃがみこんだ。ひとつため息をついて口を開こうとした時、手の中にあったスマホが頭上からスルリと抜き取られる。
「ヒロセ、お前何やってんの」
見上げると店長が立っていた。呆気にとられるわたしを一瞥し、そのままスマホで話しながらフラフラ遠ざかっていく。そして、店の脇の古びたベンチに腰をおろした。
自動販売機の光が店長の顔に影をつくる。灰皿代わりに置いてある空き缶を引き寄せ、ライターに灯した火がぼんやりと顔を照らした。
わたしは店の前にしゃがみこんだまま、店長をぼんやりながめていた。声を荒らげるでもなく、ボソボソ話す声は何を言っているのか分からない。
しばらくして店長は耳元からスマホを離し、わたしに向かって手招きをした。顔をまっすぐ見ることができない。
「座れ」
少し怒っているようだった。隣に座るとわたしの膝の上にポンとスマホを投げて寄越し、ため息をつく。
「美月と波多には適当にごまかした」
「……すいません」
どうして店長に謝っているのか自分でも分からないまま、泣きたい気持ちになった。
「謝んなバカ。泣くなよ。目ぇ真っ赤にしてたらフォローできない」
「会ってないです。連絡もずっとしてないし」
ヒロセに聞いた、と店長は慰めるようにわたしの肩をポンポンと叩いた。
「あいつは昔からなあ」
水の入った空き缶に、店長はポイと短くなった煙草を投げ入れる。ジュ、と音がした。
「寒いな」
店長はのそっと立ち上がり、小銭を自動販売機に入れた。「あいつらには内緒な」とミルクティーのボタンを押す。
「あ、ミサト。一人だけズルい。何買ってもらってんの」
不意に声が聞こえて振り返ると、波多が暖簾から顔を出していた。
「え、なになに。あ、ホントだ。なかなか戻ってこないと思ったら」
美月さんの声が続いて、二人とも駆け寄ってきた。店長は「しょうがねえなあ」と、財布を再びポケットから出す。美月さんが、「それより」と手を打った。
「飲みに行きません? ハッピーアイスクリーム」
美月さんはわたしを見て、波多も戸惑ったようにわたしを見る。
「そういえば、あの店は美月の知り合いだったか」
店長の口ぶりは他人事のようで、美月さんは「店長も一緒に行くんですよ」と念を押した。そして、先頭を切って道路を渡りはじめる。
「しゃーねえなあ。ほら行くぞ」
店長の後に、わたしと波多も続いた。
次回/40.「年内で店閉めるんだ」
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アイスクリームと脱走者【完結】
長編小説/全62話/14万5千字程度/2017年に初めて書いた小説です。
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