虚構文庫解説『ほどける金網』
〈解説〉 早塔 史雄
夏川祭と言えばウェブマガジン『otegami』で連載しているエッセイ、『ひきだしの奥』が人気だ。エッセイスト、イラストレーター、写真家と様々な方面で活躍する夏川は、本書をきっかけに小説家としても大きく飛躍するだろう。
私が夏川祭の小説『ほどける金網』を初めて目にしてから七年の歳月が経った。あのときの衝撃をまだおぼえている。
夏川と知り合ったのも『otegami』がきっかけだ。恩師に宛てて手紙を書き、直接手渡すという企画を持ちかけられた。その頃ふと思うことがあり快諾したのだが、編集者と一緒に手紙を携え郷里に赴いてみると、カメラを手にした小柄な女性が待っていた。女性は「夏川祭です」と人懐こく笑い、カメラマンとして我々に同行した。
そのころの私はまだ夏川のことを知らない。エッセイストとして彼女の快進撃が始まるのはこの二年後、『ひきだしの奥』の連載が始まってからのことである。あとで聞いた話によると、その日のカメラマンは別人の予定だったらしいが、夏川が半ば強引に押し掛けたという。今思い返せば、なるほど夏川ならやりそうなことである。彼女の活躍には、こういった貪欲さと絶え間ない努力がある。その素顔と作風のギャップもまた彼女の魅力だ。
恩師に手紙を渡したその夜、「実は小説を書いているのです」と夏川が口にした。夕飯の最中である。「千五百字ほどですから」と編集者がタブレットを出し、私はほどよく酒の回っていた頃合いで、その用意周到さに呆れつつ読んだのが本書の表題作となっている『ほどける金網』だ。同作を皮切りに夏川は『otegami』で掌編小説を発表していくことになるのだが、まさか小説家として本を出版するまでに七年かかるとは思わなかった。この七年間、エッセイよりも小説を書けと何度けしかけたか分からない。
ポツリポツリと石を穿つ雨垂れのように、時間をかけて綴られた夏川の物語が本書には詰まっている。全部で三十八編。それに加え、夏川自身による挿画が二十点収録された。
『ほどける金網』では、学生寮のフェンスで隔てられた女子高生二人の逢瀬が描かれている。ルールを受け入れ寮で大人しく過ごすサカミ。そのサカミを夜更けに呼び出すチグサ。教室では一切話をしない二人が、夜陰に紛れ金網越しに指を絡める。この作品に限らず、夏川の書くものにはどこか「見てはいけないものを見させらている」という感覚がつきまとう。チグサがサカミの爪をなぞる描写に、読者が覚えるのは思春期の少女が抱える純粋さと危うさ、そしてエロティシズムだ。それこそが夏川祭の真骨頂と言える。
『ほどける金網』の他に『あさぼらけ』『ツインズ』『Someone knows』など、いわゆる百合小説に分類されるものが収録作品の半数を占めている。『otegami』のインタビュー記事で、夏川は自身をヘテロセクシャルだと言っているが、同時に小学校時代に同性に恋心を抱いたことがあったと打ち明けている。『あさぼらけ』についても触れ、「一番自分の体験に近いものだ」としていた。『あさぼらけ』は、淡い恋心を抱きあう二人の女子中学生が、夜の海を眺めて一晩過ごすというものである。明けていく空のどこか掴みどころのない描写に、不安定な少女の内面が映し出されている。
少女同士の恋の他に、夏川作品でよく見られるのが母娘関係である。『酩酊サプレッション』『たんぽぽ色の雫』などがこれにあたる。『酩酊サプレッション』で描かれているのは、「母」だった存在を「女」として認識する瞬間の拒絶感だ。主人公モエノが、自分自身を「女」として認識する瞬間でもある。自分の気持ちとは裏腹に勝手に大人へと変容していく体に戸惑うモエノは、恋人トモキと手を繋ぐことさえできなくなる。最後のシーンでモエノが母親にした行為は衝撃的だが、モエノ自身と「女」を同化するためには必要な通過儀礼だったのだろう。
最後に、『ワンダーランドから聴こえる』に触れておかなければならない。本書の中で、唯一少年を主人公とした作品である。女の体で生まれたトランスジェンダーの少年だ。多様な性について学校教育で取り上げる機会は増えているが、まだ多くの人々が他人事として捉えている。主人公アイは悩んだ末に誰にも打ち明けないと決めるのだが、アイの葛藤とは対象的に何も変わらない教室の風景が印象に残る。”見たいものしか見ない”のは身を守る術ともなる。だが、果たしてそれで良いのか。私自身も見たいものしか見ていないのではないかと己を省みるきっかけとなった。
繊細で、無垢で、ときに残虐さを孕む摩訶不思議な夏川祭の世界。たった数千字で彼女の小説を語ることはできないと痛感しているところだが、小説家としての夏川祭が今後どのように花開いていくのか、ファンの一人として楽しみにしたい。
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