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アイスクリームと脱走者/16


16.今夜は「happy icecream」

 大学祭でのあれこれで落ち着かない気分のまま、わたしはうまし家のバイトを終えた。彩夏も波多も休みだった。

 コンビニでも寄って帰ろうと思いながら更衣室を出ると、いつもどおりカウンターにはスタッフがくつろいでいる。「おつかれさまでーす」と加わろうとしたとき、レジ脇に立っていた美月さんに腕をつかまれた。

「千尋ちゃん、おごるから飲み行くよ」

「え……」

 わたしはまるで拉致されるように引きずられ、カウンターのスタッフたちは楽しげに「ご愁傷様~」と手を振る。ヘルプに来ていた奏さんだけが、わたしたちに着いてきた。

「奏さんと三人で、ですか?」

「俺は運転手。送ったら帰れって。美月ちゃん、つれない」

 どうせオフショア行くついでだからいいけど、と奏さんは最初から飲みに行くつもりはないようだ。繁華街までわたしたちを送り、「千尋ちゃん、成仏してね」と走り去っていった。

「じゃあ、行きますか」

 先に立って歩く美月さんは、いつも通りの地味な服。夜のネオンのせいか、それがいつもと違って見える。

 メインストリートから細い路地に入り、何度か道を曲がって、突き当たりにある隠れ家のような店にたどりついた。繁華街のど真ん中のはずなのに、異次元に来たようにまわりの喧騒が遠い。

 ドアの脇に置かれた小さな看板には『happy icecream』とあった。

 歩いて来た勢いのままギイッとドアを開けた美月さんは、気安い口調で「おつかれ」と店内に入って行った。

 小さなシャンデリアの明かりと、足元のライト。右手にカウンターがあり、棚にはズラリとお酒が並んでいる。

 客は誰もおらず、飲み終わったグラスが四つ、不規則な間隔をあけて取り残されていた。

「ヒマそうね。お客さん一人もいないんだ」

 美月さんはカウンターの真ん中の椅子に腰をかけ、わたしは隣に座った。迎えてくれたのは啓吾さんだ。

「常連さんには、今日休むかもって言ってたからね」

「休むつもりだったの?」

「まあね。あの絵が売れてたら休むつもりだった」

「学生が十万の絵は買わないでしょ」

「一般客も来てただろ。あとは教授とか」

「で、売れてないから店開けてるのよね」

「ですね」と啓吾さんは笑っている。カウンターから出て来て、おしぼりを差し出し、そのあと美月さんの横でカウンターにもたれかかって煙草に火をつける。

 フロッ爺を見つけた。灰皿の端で、落ちないようにしがみついている。

「客の前で、それ?」

「美月、客なの? 客ならもう閉店でーす。おごってやるからちょっと待てよ」

 啓吾さんはくわえ煙草でグラスを片付け、外に出て、すぐ戻ってきた。どうやらクローズにしたようだ。

 わたしは美月さんと啓吾さんの会話を聞きながら、キョロキョロと店の中を観察していた。並んでいるお酒は見たことのないものばかりで、札のかかったボトルが何本か置かれている。そのひとつにはmizukiと書かれていた。

 後ろを見ると、一枚の絵が壁に掛かっている。表彰状くらいの大きさで、昼間に見た絵と同じように幻想的で毒々しい。

 絵の中の小人は、毒キノコのようなアイスクリームを両手に持っていた。大きく口を開けて、右手のアイスクリームを食べようとしている。森の動物たちが、アイスクリームを狙っていた。

「千尋ちゃんは何飲む?」

 美月さんのグラスには、琥珀色の液体が入っていた。横にmizukiの札が掛かったボトルがある。ワイルドターキー。父が以前よく飲んでいたお酒だ。

「千尋ちゃんもこれ飲む?」

 美月さんはボトルを指差した。躊躇していると、「試しにね」と啓吾さんはそのボトルを手にとり、カウンターの中で何か作りはじめた。「はい」と出されたグラスの中で、シュワシュワと炭酸の泡が弾けている。

「薄めにつくったから大丈夫だと思うよ。トニック割り」

「いただきます」

 グラスに顔を近づけると、匂いだけで頭が揺れた。味はほんのり甘い。

「どう?」

「大人の味がします」

 わたしが答えると、二人とも声を出して笑った。

 思いのほか口当たりが良く、わたしは同じものをもう一杯飲んだ。

「千尋ちゃん、けっこう酔ったんじゃない? 今日はそれだけね」

 美月さんをぼんやりと見つめ返し、フワフワした気分で「はあい」と答えた、と思う。


次回/17.罪悪感を越えて

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長編小説/全62話/14万5千字程度/2017年に初めて書いた小説です。

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