小説『T神社の怪』
T神社に妖怪サトリが出るとM高等学園内に広まったのは、学園祭がきっかけだった。二年五組の生徒が『怪談小屋』という出し物をし、そこでされた怪談話のひとつがサトリだったのだ。
――ここM市にまつわる怪談話をしましょう。僕の家の近くにある神社での話なんですが、人くらいの大きさをした、真っ黒な毛むくじゃらの獣が何度か目撃されているんです。最初にこの話を聞いたのは十年くらい前。僕はまだ小学二年生で、今の家に引っ越してきたばかりでした。
生まれたときはI町の団地に住んでいたんですが、T村にいた祖父母がダム開発の集団移転で村を出ることになって、新しく建てた家で一緒に暮らすことになったんです。近所にはT村から移ってきた家族が何軒もあって、T神社も村にあった神社をまとめて――合祀というらしいですが、ひとつの神社にしてこっちに持ってきたんです。
ダム建設反対派は今でも活動してるし、街宣車が市内を回ってるから旧T村がダムに沈むことはみんな知ってるはず。でも、T村は十年くらい前に閉村して、家もすでに壊されたから建設中止になっても帰りようがありません。
あ、別にここでダム建設の是非を問いたいわけじゃなくて、T神社に出る毛むくじゃらの獣もT村を追い出されて引っ越してきたんじゃないかって、近所の人が話していたんです。あの辺りには『サトリ』という人の考えを読む妖怪の伝説があります。その姿は全身真っ黒で毛むくじゃら。T神社に出るという獣にそっくりです。
小学校のときの友達が、実際にサトリと会ったと言っていました。日も暮れかかった薄暗い時間帯で、神社の前を通りかかったときに急に声が聞こえてきたそうです。
『急いで帰らないとお母さんに怒られる――と思っているな』と。
その友達が足を止めると、木の陰に黒い長い髪を垂らした頭が見えました。人さらいかと思って逃げようとしたけど、それを引き止めるようにさらに声が聞こえてきたんです。
『人さらいだと思ったな。逃げないといけないと思っているな』と。友だちは必死に走って逃げたと言っていました。
一年に一回か二回くらいの頻度でサトリの目撃情報を耳にします。若い女の人が抱きつかれたという話もあるので、女子は一人でT神社に行かない方がいいかもしれません。まあ、最近はダム建設反対派の人がよく神社参りをしているので、一人きりになることはないかも。どうやらダム反対派はサトリを『ムダなダム建設で住処を追われた山の神』に仕立てあげたいようです。山の神が怒って人々を襲っているんだって。
保塚大輔によるこの怪談話は怖さに欠けた。しかし、T神社は学校から数キロのところにあったためすぐM高生徒の肝試しスポットになった。周辺住民から高校に苦情がいって一ヶ月ほどで騒ぎは収束したが、その短い期間にサトリに出くわした女生徒がいたらしく、インターネット掲示板に次のような書き込みが掲載された。
――M市にあるT神社での恐怖体験です。うちの学校ではT神社で肝試しするのが流行っています。黒い毛むくじゃらのサトリという妖怪が出るらしいのです。でも、友達は何も出なかったと言っていたし、私も信じていませんでした。
その日、私はT神社の近くに住む友達の家にCDを借りに行って、自転車で家に帰る途中でした。友達の家を出ると雨が降り始めて、すぐにザーザー降りになりました。それで雨宿りしようとT神社の前で自転車を止めました。サトリのことを思い出したけど、雷が鳴り始めたので雨宿りするしかありませんでした。
雨はなかなか止まず、神社の近くにある電話ボックスで家に電話しようかと考えていた時でした。
『家に電話をしよう――と考えているな』
どこかから声がして振り返ったけど何もいません。低音の管楽器みたいな、ビリビリと体が震えるような声でした。
『サトリかもしれないと思っただろう』
声は私の考えを言い当てました。庇の上からズルっと黒い長い髪が垂れ下がってきて、叫び声をあげたけど雨音と雷鳴でかき消されて誰にも届きません。
『サトリだと思ったな。真っ黒で毛むくじゃらだと聞いていたのに、想像より気持ち悪いと思っただろう』
まさにその通りでした。毛なら雨に濡れれば体に張り付くはずなのに、細い毛の一本一本がうねうねと動いているのです。サトリはヌルリと滑るように私の前に落ちてきました。黒く蠢く線虫の集合体のようで、顔もわかりません。でも、人のような、巨大猿のような形をしていました。
逃げたくても足が震え、私はうっかり転んでしまいました。
『襲われるかもしれないと思っているな。サトリに抱きつかれた女性がいたと考えているな』
私は尻もちをついたままジリジリと後ろに下がりました。頭の中にはたくさんの考えが渦巻いたけど、サトリが次に口にしたのは私が考えたことではありませんでした。『おまえは女だな』と聞いてきたのです。私は首を振りました。
『女だとわかると襲われると思っているな』とサトリは言いました。
『オレは女に種を入れなければいけない。種をつけるのが使命だ。……何を言っているのだと思っただろう。逃げなければと思っただろう』
突然、サトリが私に飛びかかってきました。モズクのようにヌルヌルした感触で、もうダメかも知れないと思ったとき車のクラクションが聞こえました。ライトが照りつけ、サトリは隠れるように屋根の上に飛び上がったのです。
車はサトリに気づかず走り去り、自転車に乗った人の姿が見えましたが、その人も何も気づいていないようでした。クラクションは車が自転車に向けて鳴らしたのです。そのおかげで私は助かり、今を逃したら終わりだという気持ちで必死で走りました。それから友達の家に戻り、T村出身だという友達の祖母に神社であったことを話しました。すると、こんなことを教えてくれたんです。
『あれはどスケベだけど、女だとバレなかったら大丈夫だ。自分のことはオレやワシと呼ぶのがいい。ただの言い伝えだと思っていたが、村がなくなってからこんな町中に出るなんて、やっぱりダム作るのを怒ってるのかもしれんわ』
そのことがあって以来、一人称を僕にしようかと悩んでいます。
保塚大輔が担任に呼び出されてこの書き込みについて聞かれたのは、学園祭から二ヶ月ほど経った十一月の終わりのことだった。民俗学研究者を名乗る男から学校に問い合わせがあり、書き込みをした女子学生から話を聞きたいと言われたのだが心当たりがないか、と。
担任はパソコンルームに大輔を連れて行って実際に書き込みを読ませた。ウィンドウズ95が発売になって一般家庭にもかなりパソコンが普及したが、大輔の家にパソコンはまだなく、学校側も問い合わせがあって初めて知ったということだった。
大輔には自分の怪談話のせいで近所迷惑をかけたという後ろめたさがあり、これ以上誰も巻き込まないよう「心当たりはない」と答えた。すると、数日後に「例の研究者からだ」と担任から手紙を渡された。そこにはサトリの怪談話をした学生に直接話を聞きたいということと、T村に行きたいのでT村出身だという祖父母に案内を頼めないかということが書かれていた。
担任によると、その研究者は数年前まで大学で民俗学研究をしていたらしい。祖母の看病のため大学を辞め、祖母が他界したあと研究を再開したが、どこにも身を置かず在野研究者でいるという。
大輔は乗り気ではなかった。しかし、手紙を祖父母に見せると「学校の先生の頼みならなあ」とむしろ歓迎ムードだ。水に沈む故郷に金銭が絡むことなく興味を持った人がいることを喜び、案内という名目で旧T村の様子を見に行けることも楽しみのようだった。
話は大輔の手からも学校の手からも離れ、祖父母は知らぬ間に民俗学研究者を家に泊めると決めていた。大輔の両親は渋々といった様子だが、広々とした一軒家に引っ越すことができたのは祖父母への移転補償があったからだ。T村のことを持ち出されると強く拒絶することもできない。
十二月の半ば、保塚家に飯塚康夫と名乗る四十過ぎくらいの男がやって来た。大輔が学校から帰ったときにはすでに旧T村訪問を終えた後で、居間で寛いで祖父母と談笑していた。
強引に同席させられた大輔は愛想笑いを浮かべ、学園祭での怪談話をそのまま披露したが、相手の笑顔も自分と同じように愛想笑いだと気づいたのは飯塚の目が笑っていなかったからだ。怪談話だから笑えないわけではなく、雑談で笑い声をあげた時も彼の眼差しは無感情だった。
「大輔君、やはりあの書き込みをした女生徒に心当たりはありませんか。その子の友達がこの近くに住んでいるようですが」
飯塚が話を振ってきたのは、夕食を終えてそろそろこの場を去ろうと考えていた時だった。大輔は適当に誤魔化すつもりだったが、「この近所なら陽子ちゃんじゃない?」と祖母が先に答えた。その名前が出たことで、大輔は抑えていた苛立ちが弾けた。
「ばあちゃん、そういうのプライバシーの侵害って言うんだ。勝手な憶測で喋ってんじゃねえよ」
態度が豹変したことに一同呆気にとられ、当の大輔は居たたまれなくなって居間を出た。二階の自室に駆け込み、「反抗期なの」「思春期だから」といった言い訳を祖母が口にしている様子を想像して余計に腹が立った。
『何も知らないくせに――と思っているな』
振動のような低い声がした。カーテンを閉め忘れた窓に黒いものが張りつき、人のような形をしたそれは『黒い線虫の集合体』という表現がぴったりだ。
『黒い線虫の集合体だと思っているな。気持ち悪い、どこかに行けと思っているな。陽子を探しに来たのかと考えているだろう』
自分の頭の中をいちいち言葉にされ、大輔は無意識下の思考を自覚した。
『陽子のことを考えてはいけないと考えているな。あの書き込みは陽子自身の体験で、それを友達の話と偽って書いたのだと考えているな。神社からびしょ濡れで駆け出してきた陽子があんなに怯えていたのは、この怪物のせいだと思っているな。
サトリの弱点はなんだったっけ――と考えているな。人間がサトリを殺そうとすると、サトリは殺意を読みとって逃げていくとどこかに書いてあったと考えているな。怪物め、死んでしまえ。サトリ、死ね、死ね、死ね――』
夜闇と同化したサトリを大輔が窓越しに睨みつけると、それは突如ブルブルッと毛を震わせて姿を消した。すぐにカーテンを閉め、足音を忍ばせ階段を下りる。陽子に「外に出るな」と忠告しようと思ったのだが、近所と言っても全力疾走で十分。電話があるのは飯塚のいる居間だ。
大輔は小銭を握りしめて玄関を出た。客人の靴がなかったことに気づいたのはその直後だが、そのまま路地を駆けた。大通りに出ると道の先に緑色の明かり――T神社の向かいにある電話ボックスが見えてくる。そのかなり手前で大輔が足を止めたのは、見覚えのある二つの影が神社の前にあったからだ。
飯塚、そして人の形をした蠢く影――サトリ。
ふたつの影は石段を上り、鳥居をくぐって境内へと姿を消した。サトリがここにいるなら陽子に電話する必要はない。大輔は電話ボックスには寄らず、足音を忍ばせて神社に近づいた。一メートル半ほどの高さの石垣をよじ登り、横手に回り込んで本殿の陰に身を潜める。じっと耳を澄ますと、サトリの低く振動するような声が聞こえた。
『やはりサトリは異界から送られた実験体だったようだ――と考えているな。サトリは失敗作だったのだろうと考えているな』
「そうだ」
飯塚の声が肯定した。大輔が恐る恐る陰からのぞくと、杉の木の下でふたつの人影が向かい合っている。飯塚は鞄から水筒のようなものを取り出し、蓋を取ってサトリの前に差し出した。すると、黒い影がブルブルッと毛を震わせて魅了されたように近づいていく。
『女に種を入レル。女に種を入レテ、子孫を残すのがオレの使命。人間の考えヲ読み、主サマに伝えるのが使命』
「だが失敗したのだ。異界から送られて来たおまえは、こちら側の物質で体を再形成した時点でむこうの世界に戻れなくなった。人を模したその姿で何百年彷徨っている? 憐れなものだ」
『……憐レ?』
サトリが不思議そうに首をかしげた。
『この失敗作は研究する価値があると思っているな。これを利用すれば黒い沼の泥を上手く人間に憑依させられるかもしれない――と考えているだろう』
「ああ。黒い沼の泥をこちら側にある材料でもって人間に憑依可能な状態にするのがわたしの使命だ。そのためにおまえを探していた。
おまえの頭にあるのは読むことと種付けすることだけだ。種付け相手を見極めることもできない。種付けできたとしても子は宿らないだろう。おまえの体の大部分を構成するのはこちら側の物質のようだが、種はおそらくむこうの物質で作られている。むこうの種をこちら側の人間に植え付けたところで上手くいかない。それに気づいて異界は人間との交配を諦めたのだ。そしてわたしが送られて来た。異界のものらしく、人間に憑依することでこちら側の領域を獲得するために。
この水筒の中身が気になるか? 異界の臭いを放つこの中身はこちら側の材料で作られた境界物質。黒い沼の泥だ。純粋な異界の物質で作ればこの境界を通じてむこうに戻れるが、この泥で異界に戻ることはできない」
『オレの石の臭い。人間が石をココに持ってきた。石を探してココに来た』
よく見ればサトリは丸く平べったい石の上に立っている。
「その石は異界との境界物質の残骸だ。材料がなくなり、異界との繋がりが保てなくなったのだ。おまえも山を降りたのだからいずれ朽ちる。数百年前には目鼻もあったようだが、今はその形を保つのが精一杯だろう。使命も果たせず尽きるのは悔しいか?」
『サトリを黒い沼の泥と混ぜ合わせれば良いものができるかもしれない――と考えているな。サトリと混ぜれば泥に意志を持たせられるかもしれない、泥が自ら人間を求めて取り憑こうとする可能性があると考えているな。石に残った異界の臭いが完全に消えればサトリはどこに行くかわからないと思っているな。その前に連れ帰らなければならないが、それをサトリに説明する必要はないと考えているな』
「説明したところでおまえは意味を理解できないのだから、本能に従ってこの水筒に入ればいい」
飯塚の言葉に誘われるようにサトリは水筒に腕を突っ込んだ。四次元にでも繋がっているのかズルズルと中に入っていったが、不意にその動きが止まった。
『ヤバいやつだと考えているな。早く家に帰って、どうにか飯塚を追い出さなければいけないと考えているだろう』
サトリが読んだのは大輔の脳内だった。身を隠そうとした時にはすでに飯塚の目がその姿を捉えている。大輔は傍にあった木の枝を掴んで背後に隠し、そろりと立ち上がった。
「おまえ、何者だ」
声が震えた。
「民俗学者の飯塚康夫ですよ。大輔君のおかげでサトリと会うことができて感謝しています。しかし、盗み聞きは感心しません」
飯塚は薄っすら笑っている。
『こいつは人間じゃない――と考えているな』
サトリはヌルヌルと水筒の中へ入りながら、半分ほどはみ出した部分で大輔を観察しているようだった。
「大輔君、わたしはれっきとした人間です。この体で三十年ほど過ごしてきました。これからもこの体を大切に、人間として生きていきます。他の人間に危害を加えることもありません。しかし、わたしが異界から送られてきたということはあまり人に知られたくないのです」
『サトリめ、さっさと水筒に入れと思っているな。上手く行けばこの場で大輔君を使って実験できると考えているだろう』
「失敗作が余計なことを」
飯塚が抑揚のない声で言ったとき、エンジンの音がしてヘッドライトが蠢く影を照らした。それは逃げるように水筒に入り、車が行き過ぎて境内が闇に包まれると、闇より黒い何かが勢いよく水筒から飛び出して飯塚の首に絡みついた。
「おっと、この体は憑依済みです。空いているのはあの体ですよ」
飯塚はまとわりつく黒いものを払いのけもせず、腕を伸ばして大輔を指差した。サトリよりかなりサイズダウンし、細長く黒光りする姿は押しつぶされたウナギのようだ。しかし身軽さはサトリのまま、飯塚の肩からジャンプすると逃げようとした大輔の足に巻き付いてくる。
「うわッ……!」
掴んで引き剥がそうとしたがそれは粘液状で掴むことができなかった。鼻が曲がるような腐敗臭に、大輔は身を屈めて夕飯に食べたものを嘔吐する。それはすかさず口に飛び込んで、大輔は一層酷くえづいて吐瀉物とともにそれを吐き出した。
「おや、サトリと混ざったことで逆に憑依できなくなったようです。大輔君とも仲間になれると思ったのに、残念ですね。こっちに戻ってきなさい」
最後のひと言は黒いヌルヌルに向けた命令だった。飯塚は鞄から水筒をもう一本取り出し、蓋を開けると吐瀉物の中のヌルヌルが勢いよくそこ目がけて飛んでいく。サトリが魅了された黒い沼の泥があの水筒の中にもあるようだった。
大輔が戦慄したのは、自らも水筒に飛び込みたい衝動にかられたせいだ。酷い臭いの中に淫靡で蠱惑的なものを感じ、ともすれば飯塚に駆け寄ろうとする足を理性で押し止める。飯塚は大輔のその変化に気づいていないようだった。
「大輔君、サトリがこの街に現れることはもうありませんから安心してください。わたしのことをインターネット掲示板に書いたりしないで下さいね。書いたところで誰も信じないでしょうが」
飯塚は水筒の蓋を閉めると鳥居をくぐって大輔の家に戻り、翌日には何事もなかったように帰っていった。
一週間ほどして飯塚から大輔宛てに感謝の手紙が届いた。そこには『水筒の中身に興味があればいつでも訪ねてほしい』と書かれていた。トラウマになりそうなあの夜の事を思えばその場で燃やしてもおかしくないが、大輔はその便箋に淫靡な臭いを感じとり、捨てることもできず引き出しの奥にしまいこんだのだった。
高校を出た大輔は地元の専門学校に通い、卒業後はM市内にある土建屋に就職した。旧T村のダム建設に携わり、現場と家とを往復する日々。大学を卒業して実家に戻ってきた陽子と結婚し、息子が一人生まれた。大輔も陽子もT神社には嫌な思い出があったが、気づくと参拝を兼ねた朝の散歩が日課になっていた。休みの日には家族で旧T村周辺の山道をドライブした。
大輔が奇妙な渇望感を覚えたのはTダムの試験湛水で旧T村が完全に水没した日。飯塚の来訪から十一年が経っていた。ニュースで水を湛えたダムを見た時、大輔は陽子に惹かれた理由を唐突に悟ったのだった。
サトリに襲われた陽子は、思い返せば常にあの臭いをまとっていた。大輔がダム関連の仕事をしようと思ったのも、T神社の散歩も、旧T村へのドライブも、そこに残るかすかなあの臭いに惹かれたからだ。
それが、村が水没したせいで臭いがほとんど消えてしまった。妻と神社に残るわずかな臭いだけではこの渇望感を埋めることはできそうにない。飯塚の呪いだ――と大輔は思った。
愛想笑いを浮かべた飯塚の顔を思い出し、ひとこと言ってやるつもりで大輔は手紙にあった番号に衝動的に電話をかけた。心の奥底では『ミイラ取りがミイラだ』と思っていたが、それを声にして自覚させるサトリはもうここにはいない。
呼び出し音が途切れ、『もしもし』と聞き覚えのある声がする。その瞬間、大輔の胸にあった怒りはかき消された。飯塚に会いたいという強い情動。そして、あの水筒の中身のことしか考えられなくなったのだ。
『水筒の中身が気になりますか?』
思考を読んだように飯塚に問われ、大輔はようやく自分の異常な衝動に気づいた。しかし、絶望と希望で混乱した彼の口は「はい」と無意識に動いていたのだった。
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