アイスクリームと脱走者/15
15.知らないほうがいいこともあるけど
圭とわたしは空き教室を探すのをやめ、ダンサーのいなくなった広場のベンチに腰を下ろした。
「恋人同士に見えると思う?」と圭が言う。
「男と女が二人でいたからって、恋人同士なわけないでしょ」
「だよね」
圭はケラケラと声に出して笑い、ため息でそれを止めた。少しだけ沈黙があった。
「彩夏、彼氏に心配かけたくなかったと思うんだ」
圭はチラとわたしを見て、わたしが黙っているとそのまま話し続ける。
「けっこう前の話なんだけど、友花とつき合ってたの彼氏にバレたらしい。テキトーに誤魔化したって言ってた。でも、今の彼氏がかなり嫉妬深いみたいで。女友達との付き合いにも気を遣わないといけなくなるから、ストレートってことにしときたかったって。彩夏がバイセクシャルだって知ってるのは、大学内では俺と友花くらいかな」
「そっか」
圭の話を聞いてもモヤモヤは消えない。
「千尋は偏見ないんだと思ってたけど、違うの?」
「偏見なんかないよ。でも、彩夏の口から聞きたかった」
「贅沢なヤツ」圭は言った。
「どういう意味?」
「そのままの意味だよ。知らないほうが幸せなことってあるだろ。俺、ちょっとだけ後悔してるんだ。陽菜ちゃんに告白しなきゃ良かったって。そしたら、今も女友達でいられたかもしれない」
たぶん無理だけど、と彼は言う。
「波多から、東京で圭に会ったって聞いた。波多は、そのあと圭と先輩が付き合ったと思ってたみたい。本当はどうだったの?」
「今日はそういう日かあ」
圭は深く息を吐き、暴露大会だな、と苦笑する。
「つき合ってないよ。フラれたって言ったじゃん」
「それは、先輩が高校のときの話でしょ」
「陽菜ちゃんは、波多とだけじゃなくて俺とも距離を置きたいって言ったんだ。友達でいいからそばにいたいって俺は言ったんだけど、ダメだった」
「陽菜乃先輩、圭のこと頼りにしてたんじゃないの?」
「俺、男に負けないくらい男らしくなろうって思ってた。そしたら陽菜ちゃんも男として見てくれると思って。でも違ってた」
圭は苦しそうに眉を寄せ、それを隠すように両手で顔を覆った。泣いているのかと思ったけど、彼の声はいつもと変わらなかった。
「陽菜ちゃんは、女の俺が好きだったんだって。高校のとき女の俺をフッたのに、今さらって感じ。その時つき合えてたら良かった。でも、考えれば考えるほど無理だったんだろうって、結論はそれしか出てこないんだ。俺は、女として見られることに堪えられないから」
圭の悲しみは伝わってくるけれど、頭の中は混乱していた。
「陽菜乃先輩が波多とつき合ったのは……?」
「陽菜ちゃんは、自分が同性愛者だって認められなかったんだ。教育長の娘で、まわりに期待されて。プレッシャーに耐えてがんばってた。だから、確認したかったんじゃないかな。波多とつき合うことで、自分はちゃんと男の人を好きになれる。普通なんだって」
「普通」という言葉を、圭は汚いものでも吐き出すように口にした。それから正面にある銀杏の木を見上げ、そこに過去の映像が映し出されているように、じっと一点を見つめていた。
「わたしの知っている陽菜乃先輩と、なんか違う」
「だろうね」圭は小さく笑う。
「波多とつき合って、自覚したんだと思う。自分がレズビアンだって。知らずに男の格好して付きまとってた俺も、陽菜ちゃんの重荷になってたんだろうな」
「そんなことないよ」
「想像してみなよ」
いくら想像しようとしても、陽菜乃先輩の気持ちには全然届かない気がした。わたしが知っているのは、取り繕った表面だけの陽菜乃先輩。
「分からないよ」
「俺も分からない。でも、陽菜ちゃんが苦しんでたのは本当だし、少しでもそれを軽くしたかった。ずっと、それだけだった」
圭は、たぶん今でも先輩が好きなのだ。
「陽菜乃先輩とは連絡を取ってるの?」
「たまにメールしてる。元気にしてるみたいだよ。支えてくれる人もいるみたいだし」
「それは、女の人?」
「さあ、聞いてない」
圭の笑顔は泣き出しそうに引きつっていた。つくり笑いはすぐに剥がれ、素顔を隠すように俯いてしまう。そしてボソリと口にした。
「波多も可哀想だとは思うけど」
不本意なのか、やっと聞こえるくらいの小さな声だった。
「波多を見てるとイライラするんだ。どうして俺はそっちに生まれなかったんだろうって。それで、もしそっちに生まれてても、やっぱり陽菜ちゃんとは上手くいかないんだ。本当にどうやっても無理で、だからアイツを見てると、ダメなんだよ」
「圭、今も先輩のこと好きなんだね」
返事はなかった。うつむいて黙ったままの圭を、抱きしめてあげたいと思った。代わりにベンチの上に置かれた彼の手にわたしの右手を重ねる。圭が手の向きを変えて握り返し、しばらく黙ったままそうしていた。
急にパッと手を離した圭は、「ヤバいヤバい」とその手をプラプラ振る。
「千尋に落とされそうになった」
「落ちないくせに」
「落ちたら困るだろ。俺が本気で口説いたら、千尋逃げそうだし」
ドキリと心臓が跳ねた。動揺は一瞬で全身に広がり、けれどすぐに消えてなくなる。
わたしは逃げるかもしれない。居心地の悪くない圭の隣は、今のまま壊さずにおいておきたい。向き合えば、いつか傷つけあって、壊れてしまう。だから、友達のままがいい。
「逃げるかもね。わたし、追われる恋より追う恋のほうが好きだから」
「手に入らないもの追いかけても、報われないぞ」
圭は予想外に真面目な顔で、地面を見つめたまま足元の落ち葉を蹴った。カサリと音がしただけで、その場に留まったままの枯れ葉を、彼はクシャッと踏み潰す。
「追いかけてると、満たされなくて苦しいんだ。その苦しさに酔ってるんじゃないかって思うこともある。自分が陽菜ちゃんにしたことへの罪悪感を消したくない。好きで追ってるのか、苦しくなりたいだけなのか、よく分からない」
圭の痛みに共鳴するように、胸がズキと疼いた。麻薬のような痛みだ。
「罪悪感かあ」無意識につぶやいていた。
「陽菜ちゃんのことはもう追いかけてないよ。ただ消えないだけ。千尋はまだ追ってるの? あの不倫の人」
自分の目が、とどまりどころを見つけられず彷徨っているのが分かる。
「なに、千尋。会ってるの?」
責めるような口調だった。
「会ってはないよ」
「会ってはないけど、連絡はとってるわけだ。千尋も苦しみたがりだな」
圭は「バカなやつ」と呆れたように言った。
「千尋がボロボロに傷ついたら、試しに口説いてみようかな」
そのあと圭は彩夏に電話をかけ、少しだけ話したあとスマホを差し出した。「ちひろー?」と能天気な声が聞こえる。
「さやかー。わたしと彩夏のあいだに秘密なんて、水くさいじゃん」
わたしも軽い口調だった。彩夏との関係を切りたくないという気持ちが、自然にそんなふうになった。
「千尋。いま言い寄ってきても無理だから。彼氏いるので」
アハハと楽しげに笑い、彩夏は「じゃあね」と電話を切った。
圭にスマホを返すと、「なんて言ってた?」と、返事を予測しているのか安心した顔で聞いてくる。
「彼氏いるから、口説いてもムダだって」
「彩夏らしいな」
ハハッと、圭は息を吐く。ため息まじりの笑いのあとに、彼はまた「バカなやつ」とひとり言みたいにつぶやいた。
生協前の広場に戻ると、美月さんの姿はもうなかった。圭は友花さんと連れ立ってどこかへ行き、わたしはようやく友人と合流して、予想通り圭のことをしつこく聞かれた。
テラスでお好み焼きを食
べているとき、彩夏の姿を見つけた。彼氏と手をつなぎ、楽しげに話しながら歩いていた。彩夏たちは、こちらに気づくことなく人混みに消えていった。
次回/16.今夜は「happy icecream」
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アイスクリームと脱走者【完結】
長編小説/全62話/14万5千字程度/2017年に初めて書いた小説です。
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