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アイスクリームと脱走者/24


24.「いい感じ」とか言わないで

 うまし家に着いたのは、五時を少しまわっていた。ドアベルの音で振り向いた美月さんは、抱えていたメニューを置いて駆け寄って来る。

「千尋ちゃん、ごめん。あの日、朝から調子悪かったよね。前の日も遅くまで連れまわしちゃったし。もう良くなった? 無理しないでね」

 美月さんと、前よりも少しだけ距離が近くなった気がする。こんなことを言ったら、彩夏はまた嫉妬するだろうか。

「もう元気です。たぶん、急に寒くなったから風邪ひいたんじゃないかな。心配かけてすいません」

「啓吾も気にしてたから、元気になったら一緒に店に行こう」

 ――そんなヤツは谷に突き落としてやらないと。

 啓吾さんの言葉を思い出しながら「ぜひ」と答えた。

 美月さんがヒロセさんとの関係をどうやって終わらせたのかは分からない。わたしもきっと終わらせないといけない。なのに、必要とされたいと思ってしまう。一番でなくてもいい。一番じゃないほうが、わたしに合っている。
 
「ミサト」

 ハッと顔を向けると、波多がサロンエプロンの紐を結びながらこちらに歩いて来る。美月さんは仕事に戻り、波多はチラと時計を見た。

「悪い、ミサト。貸すって言ってたDVD、サークルのやつに奪われた。昼に返してもらう約束だったんだけど、まだ観てないって言うからさ。もうちょっと待って」

 何を謝罪されるのかと思ったら、拍子抜けして吹き出してしまった。

「いいよ全然。待ってるから」言いながら、ふと思いついた。

「もしかして山名さん?」

 波多は「違うよ」と両手を振って否定する。

「部長に貸してるんだ。学祭の日に第一講義室でミサトに会ったって言ってたけど、分かる?」

「うん、わかる」

 人当たりの良い、柔和な顔つきが頭に浮かんだ。

「そういえば、そんとき俺に何か用だった?」

「ううん。外が混雑してたから空き教室探してた」

「ミサト、西野さんと一緒だったよね。文学部前の広場で見かけた」
 
 言葉に詰まり、悪いことなどしていないのに目をそらしていた。

「たまたま会ったの。美月さんの知り合いの人たちと一緒にいたんだけど、その中に圭の知り合いがいて」

 波多は「ふうん」と素っ気ない。
 
「……西野さんに、聞いた?」

「え?」

 質問の意味が分からず首をかしげると、今度は波多のほうが視線を外した。

「えっと、だから。……陽菜乃先輩のこと、なんか話してない?」

 ようやく、自分が動揺したわけに気づいた。わたしと圭が一緒にいたことに、波多が嫉妬したと思ったのだ。そんなことあるはずもないのに、恥ずかしさで顔が火照りそうだった。

「えっと、圭は二回フラれたって。波多がつき合う前と、あと、波多がフラれたのと同じ時にもう一回」

「ふうん、そうなんだ」波多はうつむいて目を伏せた。

 沈黙が続く予感がして「でも」と言葉を継ぎかけ、思い直して止めた。

「でも、何?」

 波多の真っ直ぐな視線に、わたしはすぐ観念する。

「……元気、みたいだよ。先輩。たまにメールしてるみたい」

「なんで言いにくそうなの、ミサト」

「だって。圭と先輩が連絡とりあってるとか、聞きたくないと思って」

 クスッと、波多は笑った。

「先輩が元気にしてるならいいよ。やっぱり、俺は負けてたんだって思うだけ」

 波多はさっぱりした表情だった。けれど、無理しているようにも見えた。

「波多、平気?」

「ぜーんぜん平気。もう過去の話だし。でも、次は負けたくないかな。できれば」

「次?」

「うん、次」

 根掘り葉掘り聞くとわたしが波多を意識していると思われそうで、突っ込むのはやめておいた。

「そういえば、波多と圭って普通に話したりするの? 写真送ってきてたし、今日一緒にいたし」

「前よりはね。彩夏が俺に絡んでくるから、そしたら他のやつも寄ってくるようになって。今さら交友関係が広がってる」

 変な感じ、と波多は照れくさそうに鼻にシワを寄せた。

「その前が変だったんだよ。わたしの知ってる波多はずっと変わんない」

「ミサトは変わったけどね」

 本当は、変わったのは波多で、変わらないのは自分だと思う。海辺で打ち明けられた波多の傷。ふと、彼のことを知り過ぎたような気がして怖くなった。

「おーい」

 店長の声がした。あまりに脳天気な声で、心の隅に芽生えた恐怖は一瞬で忘れ去ってしまう。

「お前らイチャついてないで、波多、仕事」

「やべ。はーい。スイマセン」

 肩をすくめ、波多は「じゃあ」とエントランスの掃除に向かった。店長は小銭の束を崩し、ジャラジャラとレジの中へ入れる。

「店長、色々ありがとうございました。ご迷惑おかけしました」

「こっちこそ、野菜ありがとな。親父さんにもよろしく言っといて」

 ところで、と店長はカレンダーに目をやった。

「千尋ちゃんいつから出る? 今はそれほど忙しくないから来週からでもいいよ。しっかり治してもらったほうがいいし」

 以前のわたしなら「すぐにでも働けます」と言ったかもしれない。必要とされたいという気持ちは、恋愛だけに限らない。

「土曜くらいからと思ってたんですけど、お言葉に甘えることにします」

 店長は「そっか」とうなずいた。

「じゃあ、来週の火曜からでいいかな。今組んであるシフト変更するかもしれないけど、その時は連絡するから」

 ペンを手にした店長は、『今週いっぱいチヒロ休み』とカレンダーに書き込んだ。

「店長、もし予約増えたりしたら言って下さい。当日でもいいんで」

「まさかのときはヨロシク」

 ガシャンと音をさせてレジスターを閉め、店長は「準備万端」と大きく伸びをした。そのあと含みのある顔でわたしを見る。

「なんか、波多といい感じか?」

 からかうような口調に、わたしは反射的に言い返していた。

「店長が言わないでください」

 わたしの気持ちを知っているはずの店長が、だ。無性に悔しくなって、下唇を噛んだ。

「悪い。まだ、無理か」心配しているのか呆れているのか、店長はポツリとひとり言のようにつぶやく。

「そういうんじゃないですけど……」

 口から出た言葉は曖昧に消えて、店長はわたしの頭をつかんでグラグラと揺らした。娘さんと重ねて見ているのかもしれないと、たまに思う。

「まあ、なるようにしかならんしな」

 ポン、とわたしの肩を叩いた店長は、ふと何か目にとめた。ドアベルの音がして、男性が顔をのぞかせる。

「ああ、おつかれさん」店長が声をかけ、わたしは会釈してその場を離れた。

 キッチンの入り口から隆也さんが顔を出し、「誰か来てんの?」と聞いてくる。

「お客さんじゃないと思いますけど」

 会話が聞こえたのか、店長が「隆也」と手招きした。隆也さんは「なんだろ」と首をひねり、エプロンを外してキッチンを出て行く。店長と男性と隆也さんは奥のテーブルに移動し、美月さんが三人分のコーヒーを運んだ。

「オフショアに新しく入る料理人さんみたい」

 戻ってきた美月さんは、内緒話のように小声で言う。

「オフショアがオープンしてからヒロセさんの負担も大きくなってるし、人増やすのかもしれないわね」

 わたしの頭に最初に浮かんだのは、「ヒロセ君《クン》」じゃなくて「ヒロセさん」なんだということだった。美月さんが「どうかした?」とわたしの顔をのぞき込んでくる。

「まだちょっと頭が痛くて」

 ウソをついてしまったら美月さんは心配そうに眉を寄せ、わたしは「さっさと帰って寝ます」と慌てて笑顔をつくった。

 店を出たところで、「ミサト」と呼び止められた。ドアから飛び出してきたのは波多だった。

「ミサト、金曜から出るの?」

「休んでもいいって店長が言うから。次は来週の火曜」

「そっか。しっかり治せよ」

 波多の顔は安心したようにも見えたし、少しだけ寂しそうにも見えた。寂しいのはわたしかもしれない。

「了解」敬礼をして、その手でバイバイすると、波多もマネをして手を振る。じゃあな、と彼は踵を返してドアを開けた。

 波多の姿が見えなくなっても、ドアベルの音はしばらく聞こえていた。


次回/25.遅めの反抗期だろ

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長編小説/全62話/14万5千字程度/2017年に初めて書いた小説です。

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