常識からの解放への道 2


お金を持てば幸せになれるのではなく、

金額に関わらず価値のある使い方をして循環させることが幸せなのだ。

よく収入の話を目にする機会があったのだが、お金を稼ぐ目的というか、

自分がどうしたら満足できるか?

を理解していない限り、

また、たくさんないと不安、などという思い込みがある限りは、

収入がいくらあっても足りないと考え続けてしまうだろう。

私の場合は絵や漫画が描けて、スマホで軽くゲームができて、あといくらか本を読めるなら

着るものはサイズが合うなら高価でなくても良いし、装飾も化粧にもお金は使わない人間なので、

手取りが10万程度でも、自由に使える時間が多めにある方が幸せだと感じる。

多少の不自由や不便が生じてもそれを楽しめる程度の逞しい精神を持っているからかもしれないが…

最近気づいたのだが、無駄な付き合い、自分と属性が似ている人との関係を断つとかなり気分が楽になる。

なぜならば比較して落ち込んだりとか、相手の発言に苛立つことがなくなるからだ。

この大幅なストレス減少は、それを体験してみればその効果がよくわかる。

何も良い人を装って毎日我慢したり苛立ちを抱きながら過ごす必要はないのだ。

友達や恋人がいない人間を、ぼっち、などと揶揄する文化があるが、

別に一人でも楽しく過ごしているならバカにされる筋合いもないし、

逆に周りの人間をいちいち見渡して一人でいることを見下すやつほど空虚で性根が貧しいだけである。

お金にしろ他者との関係にしろ、世の中で常識だとされている事柄がいかに幸せと相反するものであるのかとよく思う。

見た目ばかり気にして中身がない人間だらけなことに辟易した私は、交流も繋がりも懲りて、SNSも見る頻度が減りつつあるが、

そうなってきた今の方が断然自由や身軽さ、楽しさや幸せを実感している。

SNSでフォロワーをたとえ何万と集めようと、私生活の充足の条件にはなり得ないのは明らかだ
(私の場合特に商用でもなく個人的な趣味でやっているので未だ3桁止まりだが)

幸せとは別にキラキラしていることではなく、極めて地味なことなのかもしれない。



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