常識からの解放への道 1


前回、幸せになれない人について書いたのだが、

では、幸せになれる人とはどんな人なのか?を考えてみることにする。

そもそも、これが当たり前、という項目に縛られている人間ばかりのように感じる。

コロナ禍でそれを痛感したので尚更…。

その当たり前、常識とやらを疑えるかどうかが重要なポイントなのではなかろうか。

−世間ではこうだから…。

−みんな(周りの数人レベル。笑)がこうだから…。

…なんとくだらないものさしなのだろう。

メディアの報道に対しても、そのまま飲み込むのではなく、疑う習慣を持っていると、かなり変わってくるように感じる。

元から違和感を覚える程度の鋭い感覚を持っているなら問題ないが…

麻痺して物事をフラットに見れなくなってしまうこともあるので、

情報のデトックス、静かな空間でスマホを手放して独りになる習慣が必要なのかもしれない。

(孤独は決して寂しいものでもなければ、みじめなものでもない)

結論をいうと幸せとは、独りでも充足した時間を過ごせることだと思う。

たくさんの人と知り合って仲良くなってワイワイ賑やかキラキラパーリーだとか(これはコロナ渦でもう死んだけど)
高収入の人間と結婚して…みたいな刷り込まれた価値観は別に幸せでもなんでもなく、もはや前時代の負の遺物である。

お金を持てば幸せになるわけでもない。

続く


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