【短編小説‐後編】おふくろの味を、もう一度
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俺の生命線は基本的に給食だ。中学で給食がない市もあると聞いたときには、驚きだった。同時に、今住んでいる市の行政に感謝した。中学生らしからぬ殊勝な心持ちかもしれないが、俺は「衣食住」のうち、衣食に困っていた。逆を言うと寝る場所だけはあったってことだ。
食事は裕也のお母さん、恵美子さんがいつも気にかけてくれている。服は恵美子さんがいっぱい食べさせてくれることもあって、最近背が大きくなってきた。ズボンもシャツもピチピチになってきた。
洗濯だって困っている。親戚のおじさん家では俺の洗濯ものは洗ってはもらえない。おじさんの家に引き取られた頃、そう小学五年生の頃だ。金曜日の晩、汚れた体操服を洗濯かごに入れて置いたら、日曜日までそのままだった。おばさんに近くのコインランドリーに連れていかれ、使い方を教わった。俺はそこで自分の服や下着、体操服なんかを洗うように言われた。その頃から今まで、四年近くコインラインドリーで洗濯してる。
両親が事故で死んだとき、残されたお金と慰謝料、生命保険のお金があることは知っていた。親戚のおじさんとおばさんに、お金のことを尋ねると、いつも話をはぐらかす。おばさんは、俺に毎月三万円を渡し、それで生活するようにと言った。足りなくても渡さないとも言われた。俺はそこから昼メシ以外の食事と洗濯代を計算して使わなければならない。小学五年生の頃だったから、三万円は大金だったが、いつも足りなかった。
小学校・中学校と学校はなにかとお金がかかるが、そういったもの、給食費なんかも含めて、銀行の口座から引き落とされているようで、一見すると親戚のおじさん・おばさんは俺の未成年後見人としてきちんとしているようにも見えた。だから、俺自体も親戚の家で満足に生活できているように思われていたと思う。
中学生になってからは、お風呂は銭湯に行くように言われた。俺はおじさんに生活費が足りないから、あと一万円欲しいとお願いした。だが、五千円だけならということで、毎月三万五千円が俺の生活費となった。少しでも増えたことは嬉しかったが、そのお金の出所はおじさんたちのお金じゃないのにといつも思っていた。
このお金は本当はお父さんとお母さんのお金なのに、どうしてこんなに苦しい思いをしないといけないんだ。そんな苦しい時に、中学の担任から不登校の裕也にプリントを持っていくように頼まれるようになった。
裕也は賢いヤツで、学校に来なくたって勉強ができる。家でプログラミングの勉強もしてるらしい。アイツが学校に来ていた頃、理科の実験でペアになってそこから話すようになっただけで、担任からしたら仲のいい友達に見えたんだろう。
裕也のお母さん、恵美子さんは気さくで本当にいい人だ。裕也にプリントを持っていくうちに、おやつや夕飯までいただくようになっていた。そして、今日は朝のおにぎりまで。
と、そんなことを思い出したり、考えたりしながら特大のおにぎりを食べていた。おにぎりが入っていた巾着袋に、メモがあることに気づいた。
‐‐‐今日はカレーだよ。裕也も待ってるから、学校終わったらパッとウチにおいでよ。‐‐‐
嬉しかった。親切な大人がいる。一方、そうでもない大人もいる。そうでもない大人は俺と血が繋がっている人でもある。
放課後俺は、一目散に裕也の家に向かった。
「こんにちは、裕也。プリント持ってきたよ」
玄関を開けると、カレーのいい匂いがしてきた。
「お、おかえり!ケンジ君、裕也リビングにいるよ」
裕也は引きこもりというよりも、家にいたいだけなんだろう。確かに部屋から一歩も出てこないときもあれば、こんなふうに家の中をウロウロしてるときもある。
「健司、あとでさぁ、僕の部屋来てよ。プログラミングでゲーム作ってみたんだ」
「ゲームなんて自分で作れるのかよ」
「あったりまえじゃん、ゲームはプログラムするから動くんだよ」
「いや、そうじゃなくて、中学生にゲームなんて作れるのかよって意味だよ」
「そりゃぁ、裕也は学校にも行ってないんだから、時間は山ほどあるってもんだ。ねぇ、ケンジ君」
恵美子さんは、苦笑いしながら合いの手を入れてきた。
夕飯のカレーを二杯も食べ終わった頃に、裕也のお父さんが帰ってきた。
「おっ、カレーか!テンションあがるなぁ」
裕也のお父さんはいつもご機嫌だ。将来こんな大人になりたいなといつも思わせてくれる。
夏場でも外で汗だくになりながら、セメントを練ったり、壁を塗ったりしてる。裕也も不登校になってからも、たまに現場に手伝いに行くみたいだけど、丸太二本で組んだだけの足場が怖いらしい。
「ケンジ君、今度おじさんの現場に手伝いにくるかい?バイト代もだすよ」
裕也の父、正和は冷蔵庫から缶ビールを取り出しながら、健司に言った。
「お父さん、ダメよ。現場は危ないもの」
「まぁ、足場なんかに乗らなくてもいいから、裕也と見学においで。今度の現場は家の近くだから、すぐ帰れるし」
「健司、ごめんよ。父さん、強引で」
「いやいいよ、裕也も行くなら俺も行くよ。でも、バイト代はいらないです。いつもご飯ごちそうになってるし」
対面式のキッチンで洗い物をせっせとしている恵美子さんの手が止まっ
た。
「ケンジ君、それは言いっこなしだよ。裕也の友達だけってわけじゃないのよ、子どもがお腹空かせてたら、せめて何か食べさせてあげたいじゃない」
おじさんは缶ビールをコップに注ぎながら、ウンウンと頷いてる。
「でも、俺。親戚のおじさん家でもこんな風にされたことなくて」
「ごめんね、それ裕也に聞いたの。毎月三万五千円、だけもらって食事とお風呂と洗濯、賄ってるって」
「ケンジ君、遠慮するな。腹いっぱい食べて、風呂入っていけばいい」
「そうよ、洗濯だって、ウチに置いていきなさい。学校のシャツは裕也のがあるから、今日の帰りはそれを着て。下着は新しいのあるから。裕也の分と一緒に買っておいたのよ」
用意が周到すぎる。本当にこんなにお世話になっていいのだろうか。俺は、無意識に財布に入っているお金を取り出した。
「今月に入って、学校で言われた問題集を買っちゃったからあと二万円しかないけど、これ使ってください」
おじさんの顔色が変わった。
「ケンジ!バカ野郎、いいんだよ。子どもはそんなこと気にしなくていいんだ。お前が大人になって、困っている人がいたらその人を助けてやりな。そうやって、巡るってもんだ」
「お父さん、酔っぱらってる?」
裕也がやっと口を開いた。どうしてこの家の人たちはこんなにも俺に親切だろう。俺は考えるのをやめた。裕也の家族たちの厚意に甘えようと決めた。そして、いつかこの家族に恩返しをしようと決めた。
それから俺は中学を卒業するまで、毎日のように裕也の家に通った。夏休みや土曜日、日曜日なんかの学校がない日も、通った。図々しいかなと思ったが、裕也の家に行かない日があると、恵美子さんが家にまで来て、タッパーたっぷり入れた夕食を持ってくるのだ。
車にはおじさんが乗って待ってる。なんだか申し訳ないので、俺は学校がない日も裕也の家に足しげく通うようにしたのだ。
当然、親戚のおじさんとおばさんはいい気はしてないようだった。ただ、俺の世話をしなくていいことはメリットだったようで、恵美子さんたちに口出しをすることはなかった。
事件は中学の卒業式に起こった。いつものように裕也の家に立ち寄り、おばさんにおにぎりを持たされた。そこまではいつも通りだったが、なんと裕也が卒業式に出席すると言い出した。そもそも、明確な理由があっての不登校ではなかったから、いつ登校モードに切り替わっても不思議ではなかったが、卒業式を選ぶあたり、裕也に何か考えがあるのだろうか。
「裕也!あたし、あとで行くから。保護者席で見てるからね。帰り写真撮ろうね。健司も!わかったね」
恵美子さんからは、ケンジ君から健司と呼ばれるようになった。おじさんも同じく。裕也と同じように可愛がってくれた。
裕也と久々の通学、一年半ぶりぐらいだ。いや二年ぶりか?そんなことを考えながら俺は恵美子さんが握ってくれた、特大うめしそおにぎりを頬張りながら歩いた。
「なぁ、健司」
「ん?」
「僕さ、なんで不登校、いや自宅学習だったか、理由言ったっけ?」
「いや、しらない。聞いてないよ」
食べても食べてもなくならない、おにぎりを味わいながら裕也の話を聞いていた。
「お母さんさ、ガンなんだよ」
「な?なんて?」
「中学二年になった頃さ、お母さんが電話してるのを聞いたんだ」
「で、それで不登校、いや自宅学習に?」
裕也は周りを気にすることなく、まるで毎日学校に通ってたかのように自然に通学路を歩く。途中追い抜いていく同級生たちが、裕也を見つけたが、驚くこともなかった。むしろ俺だけが、なんだかいつもと違う日で、緊張していた。まぁ、卒業式ってのもあるけど。
「お母さんとちょっとでも一緒にいたいと思ったんだよね」
「ち、ちょっと待てよ。恵美子さん、ガンなのになんであんなにいつも元気なんだよ。もしかして、俺が帰ったらグッタリ倒れてるとか。って言うか、ガンの治療ってしてたら、クスリ飲んだり、入院したりしてるだろ」
裕也は俺の方を見ながら
「だけど、そう聞いたんだ。余命半年だって」
「裕也、だとしたら、その余命を大きくクリアしてるぞ」
「そうなんだよ。お母さんが死んじゃったら、僕も学校に戻ろうと思ってたんだ。中三にはまた通えるかなって。そしたら、今日、もう卒業式だぜ。いい加減僕も卒業式ぐらいはって思ってさ」
「まぁ、裕也が恵美子さんの側にいてあげたいって思うのはよくわかるよ。俺だって、おばさんが死んじゃったら、悲しすぎる」
俺と裕也は卒業式が始まる前からずっと、教室に集合する時点でもう号泣していた。卒業が悲しいからじゃない。恵美子さんが死んじゃったらと想像するだけで悲しかったからだ。
クラスメイトたちは事前に裕也が卒業式に出席することは知らされていたので、さほどザワつくことはなかった。だけど、なぜか俺と裕也が卒業式前から号泣していたせいで、変な空気になっていた。
二年から三年に引き続き担任を持った岩槻先生ももちろん裕也が卒業式に出席することを知ってたのに、まるで知らなかったみたいに裕也を見て驚いていた。教員となって初めての卒業式だったから、テンションが高かったのかもしれない。
恵美子さんがガンかもという卒業式にぶっこんでくるには、えげつない裕也の話のせいで、結局最後まで二人は号泣しっぱなしだった。鶴亀堂のカメラマン吉田さんは、もらい泣きしてせっかくの稼ぎどころの卒業式撮影を棒に振っていたようだった。
卒業式が終わり、俺と裕也は目をパンパンに腫らしながら、恵美子さんが待つ下駄箱前まで駆けて行った。恵美子さんは、裕也と俺を見つけると、その大きな身体でぎゅっと二人とも抱きしめた。俺たちはこの一年で随分大きくなったけど、恵美子さんの方がなんというか、逞しいというか、力強くてあったかかった。
裕也のお父さんも卒業式に来てたが、俺たち二人が号泣しているのをいち早く気づいて、もらい泣きからの嗚咽が止まらなくなっていた。クラスメイトたちとダラダラと話すわけでもなく、俺と裕也と恵美子さんとおじさんの四人で校門前で写真を撮ってもらった。途中、鶴亀堂の吉田さんが俺たちを見つけて、プロが撮ってやると言い、恵美子さんのカメラで何パターンも撮影してくれた。
裕也の家で卒業のお祝いをとなったので、恵美子さんにガンのことを思い切って聞いてみた。裕也も俺も二人とも泣きながら。
「恵美子さん、あのさ、聞きにくいんだけど、あの、えっと」
「なによ、もぞもぞして。気味悪い」
「お母さん、あのさ」
裕也が割って入った。
「なに」
「お母さん、ガンなの?」
ハトが豆鉄砲を喰らったようなというのは、この時に使うのが正しいのだろう。後にも先にも、この場面以上にふさわしいシーンが思いつかない。
恵美子はすぅうっと息を吸い込み、大笑いした。
「なに、アタシがガン?なんで」
「いや、お母さんさぁ、僕が不登校になる前、電話で話してたから」
「なんて?」
「『もう、末期のガンなのよね。治療に専念すべきなんでしょうけど』、って言ってたよ」
俺も裕也も号泣が止まらない。
「それ、おれのオヤジのこと。ほら、じいちゃん、入院したろ」
裕也のお父さんが説明しだした。
「じいちゃんって、でも、ガンで死んでないよ」
「末期だけど、じいちゃんのガンは進行が襲い」
「裕也!あんた、ずっとアタシのことガンと思ってたの?」
「いや、お母さん、あの」
「そうなんです、裕也、恵美子さんの近くにいて看取らないとみたいに思って、できるだけ近くにいたいと思ってたみたいで」
俺は目を真っ赤にしながら、恵美子さんに言った。
「それで、不登校を選んだのね」
「不登校じゃない、自宅学習」
裕也の訂正が若干うっとおしい。
恵美子さんは裕也を強く強く抱きしめた。隣を見るとおじさんも号泣していた。卒業式の訳の分からないもらい泣きとは違う。恵美子さんも大泣きしていた。あぁ、これが家族なんだなぁ、と俺は俺の入り込む隙間がない絆のようなものを感じていた。だけどそのとき、恵美子さんが俺も抱きしめてくれた。俺の寂しさを感じ取ったのか、やっぱり恵美子さんはでっかい。あったかかった。
この春からは裕也は通信制の高校に通う、俺は家を出て夜間高校に通い、昼間は裕也のお父さんの左官屋を手伝う事になった。裕也のお父さんは寛治と言うらしい。仕事を手伝うようになって初めておじさんの名前を聞いた。いつもやさしかったが、仕事には厳しい人だった。とにかく足場の上の軽業師と現場で言われるほどで、恵美子さんが惚れたのもよくわかる。
三年後俺は、左官屋のバイトで貯めたお金を大学の学費にした。そして、俺は在学中に司法試験に受かった。
そこからはほとんど記憶にないほどの忙しい日々だった。弁護士になって、最初にしたことは親戚のおじさんとおばさんへのあいさつだった。
突然訪れた俺に驚いて、ハトが豆鉄砲喰らった顔をしていたが、卒業式に『ガンなの?』と聞かれた恵美子さんの比ではなかった。親戚夫婦は俺の顔も忘れていたようだった。この夫婦は未成年後見人であったが、両親が遺してくれた数千万を使い込んでいた。
数千万ものお金は、俺が中学生のうちに使い切っていたようだった。俺は親戚夫婦を訴えることはしなかった。この夫婦が小学五年生の俺を引き取ってくれていなければ、俺は裕也にも恵美子さんにも寛治さんにも出会えていなかった。弁護士の名刺を二人に渡し、困ったときは相談してくれと言い残し俺は少年時代の『衣食住』の住と永遠に決別した。
そして、その足で俺は裕也の家へ向かった。裕也と恵美子さんと寛治さん、会うのは五年ぶりだった。
こんなとき、大抵死亡フラグや病気フラグなんてのが立ってそうだなぁ、と裕也の家までの道すがら考えていた。電話をしていけばよかったが、もしもそんなフラグが立ってたら、電話でなんか聞けない。
新しくできたコンビニの角を曲がる。裕也の家が見える。あの頃と何も変わってない。寛治さんが車を洗ってた。突然訪れた俺に
「おう、健司」
と朝に会った続きみたいな、学校から帰ってきたときみたいな、そんな拍子抜けなあいさつだった。五年ぶりだぞ。なんかないのか。
「恵美子さんいます」
「おう、入れ入れ」
寛治さんはいつもみたいに俺を家に通してくれた。キッチンから笑い声と、うまそうなにおいがする。
「そろそろ来ると思ってた」
恵美子さんが俺の方を見て言った。またしても驚かなかった。なんで?この人たち感動ってもんがないのか。中学卒業式の号泣の日で涙枯れ果てたのかよ。
「おっ、来た来た」
裕也が二階から下りてきた。なんで、来るってわかるんだ。裕也までいつも通りじゃないか。
「なんで、誰も驚かないの?」
俺はたまらず裕也に聞いた。
「健司のSNSさぁ、家族全員フォローしてんだよ。お前って、つぶやくよねぇー」
拍子抜けするような、そりゃそうか、というようなオチで俺も脱力した。その日はあの頃俺が好きだった、トンカツとカレーとグラタンとエビフライの晩餐だった。俺の好きなものばかりだった。
寛治さんは缶ビールをやめて、ハイボールを飲んでいた。健康のためらしい。裕也はプログラマーとして自宅で働いている。恵美子さんは、元気そうだった。
その日初めて、俺たちは一緒にお酒を酌み交わした。恵美子さんは俺と裕也に
「あのさ、アタシ、本当はね、ガンだったんだ。でもでも、まだステージ1っていうの、早期発見が幸いしたみたい」
「かぁさん!!!」
裕也がここ何年かで一番大きな声を出した。
おじさんはハイボールのおかわりを俺と裕也に作ってくれている。
「だから、アンタたちの号泣、あれ、なんて言っていいか、嬉しかった」
「恵美子さん!で、その後は大丈夫なの?」
俺は、恵美子さんの隣に座った。後ろには裕也も立ってた。恵美子さんはすくっと立ち上がり、俺と裕也をぎゅっと抱きしめてくれた。俺も、裕也も恵美子さんを抱きしめた。
寛治さんは、また自分のスイッチが入ったのか勝手にすすり泣きを始めた。俺も、裕也も、恵美子さんも、アハハと笑いながら泣き始めた。
「おかえり、健司」
恵美子さんは、俺ほっぺたを触りながら言った。俺は思わず
「ただいま、お母さん」
と、恵美子さんに言った。うっかりお母さんと言ってしまった。お母さん、その言葉を口にするのは、いつぶりだっただろう。覚えてすらいない。
その言葉を聞いた、寛治さんは自分のハイボールを作りながら、近所中に聞こえるくらい大きな声で泣いた。
翌朝、朝イチの始発で家を出る俺に、恵美子さんは巾着袋を渡した。
「いってらっしゃい。新幹線で食べて」
「いってきます。ありがとう」
ごくごく普通の、日常の、あたり前のあいさつを交わした。
東京に向かう新幹線で、恵美子さんからもらった巾着袋を開けた。予想通りだった、梅おかかおにぎりがラップに包まれていた。相変わらずとんでもない大きさだった。
ガブッとかじる。これだ、この味だ。俺は、昨日さんざん泣いたから、しばらくもう涙も出ないだろうと思ってたのに、じわっと目からこぼれ落ちた。
しょっぱいのは、きっと涙のせいかもしれない。あの頃とおんなじだ。
(おわり)