ちょ、あの子誰なのヨ!とスマホで調べるの巻き
映画のキャスティングは脇が強すぎると、主役を喰っちゃうなんて言うよね。こういうときは「食う」よりも「喰う」の方が、がーっと余すところなく横取りしてる感あるよね。
物語序盤から終盤手前までピンポイントで出てくる「君島」さん
君島とタイピングすれば予測変換で「君島十和子」さんが出てくるほど、君島サジェストが、もう「十和子」で固定されている昨今。今日申し上げたいのは「君島彩夏」だ。当作品の勝ち組彼氏いる人「君島」さんは、山谷花純である。
抜群の美しさ、これは高校三年生の設定にするには。。。え、親のスナックで働いている設定。むう、こっちのスピンオフ作ってよ的な。これは決してオジサンがかわいい子いいね、と言っているキモイ話なんかじゃなくて。
主演の清原果耶は魅力的な俳優だ。演技の振れ幅はだいぶ広い。若手俳優のなかでも、ハイお上手!うまいなぁ。没入させるなぁ。なんて思わせてくれる。だがしかしだよ、いくら彼氏がいて親のスナックで働いている大人びた設定とはいえだね、この子に画面喰われちゃぁいねぇか?
そういう意味では、もう少し話の本筋に絡めんかったのかね、という不満は残る。
物語は安心安全のモヤモヤむずむず、付き合っちゃえよ的な
空気読めない予備校講師成田凌のつかみどころのない感がスポっとはまってて、清原果耶とはラブコメ的に何作か共演してほしい。夫婦役でも面白いと思う。
そういう意味で(どういう意味?)脚本の構成的には、もうじれったいよねすれ違い系なので、定番安心二塁打的な、心地いい感が満載だ。
コンプライアンスという名のリアリティ
ただし、清原果耶の設定が女子高生(高3)。大人と(予備校講師ならモラル的にもなおさら)恋愛してはいけない。映画的にこの二人がプラトニックで進むべきところだね、と温かく見守れる。まぁ、この辺が「キモイ」と言い切っちゃうのは簡単なんだけど。
ネタバレになりますが(大した内容じゃない)、小泉孝太郎との「高校生?え卒業した?してない?で、中退したの?え、してない」のくだりが、脚本的にコンプラわかってますよアピールだった気がする。青少年保護育成条例的なエッセンスが映画のフィルターのようにかぶさっていて、未成年の恋愛事情をノホホンと観させてはくれない。
泉里香の普通のスタンスがこれが世の中の予定の調和なんだけど、清々しいほどに現状維持こそ、選択の結果!的で。そういうもんだよな、と現実に戻らさせてくれる。
主人公受験生じゃなかった?
清原果耶受験生だけど、ほとんど勉強しているシーンがない。季節的にも夏休み前感がある。おいおい、勉強は?イラン部分カットしての進行なんだけども予備校生設定をもちっと活かしてほしいなぁ。
年齢的な背伸び葛藤がこざっぱりしているので、若い子が観るってよりも、大人が観てのほほんとする映画。そういう意味で、設定は高校三年生受験生なんだけど、その設定は未成年ってところと、予備校に通うという2ファクター認証でしかないんだよね。親とぶつかるところもないので、なんか苦悩感はなく、恋愛一本みたいなテンションになっているのだ。
普通ってなんだっけ?
実はこの映画のテーマは、普通ってなにさ?ヨイヤサッ!ってことなんだよね。誰かの普通に自分を当てはめて、選択することをやめてしまう、考えることをやめてしまう、そんな普通なら捨ててしまおうよ、というのが映画の血脈としてかけめぐっている。
その普通の形に悩む、数学ひと筋で生きてきた予備校講師の大野(成田凌)。その普通とは何たるかを教えていくうちに、大野のことが好きと気づいてしまう秋元(清原)。普通ってなんだっけね?的に、二人がすれ違い、近づく。まぁ、そういう意味では大人も考える間合いたっぷりの映画です。単なるラブコメとして観るだけでなく、考えるポイントは散りばめられている映画かな。
タイトルがテーマを包み込んでいる
『まともじゃないのは君も一緒』なかなかパンチのあるフレーズ。これはまともじゃない人を指摘したら、ブーメランが返ってきたパターンですな。自分だけがまとも、なんて思って仕事も私生活もなにもかも自分地動説的な視点を持ちがち。だれもがどこかズレてて、どこか狂気じみてて、人と合っている風に見えるのは合わせているだけ。どこかみんな変なのよね。
単なるラブコメじゃぁない、普通って何?と考えさせられるの一作『まともじゃないのは君も一緒』、ぜひご鑑賞くださいませ。