輪島市・能登町へ行ってきた
2024年1月1日16時10分、石川県能登地方を中心に非常に大きな地震が発生し、甚大な被害をもたらしました。
(2024年1月6日のニュースです)
それから約1か月半が経ち、このポストを見かけたんですね。
自分はかつて石川県で仕事をしていたこともあり、なんとなく地理的なことは覚えているはず。そしてお手伝いも大事だけど、こういう時は現地へ行くことが今後の経験にもなると思ったのです。
もともと東日本大震災のときに宮城県南三陸町歌津へJリーグのフラッグを掲示に行ったこともあり、被災地の現地へ行って実際に見ておくことも大事だと知っていたので、それが後押しになったのです。
後日、炊き出しに行くところは輪島市と能登町に決定し、ちょんまげ隊のツンさんとじゃんけんマンさんが松本にも来てくれました。
現地へ行くのは2024年3月17日で、地震から約2か月半。
炊き出しの前に輪島市の朝市の現場を見る機会がありましたのでそれをお伝えできればと思います。
しかし、ここにたどりつくまでの道路状況がお世辞にも良いとは言えませんでした。
道が隆起・沈没している場所、看板や標識が傾いている箇所など、地震の爪あとが暗くてもわかるんですね。それに普通に車を走らせていても、段差があるので速度を出すことができないわけです。
災害復旧が遅れたのは車が集中して道路が渋滞していたからだと言われていますが、実際に輪島市までの道路状況を感じて、これは車が集中して渋滞したのではなく、速度を落として走らざるを得ないから車が詰まってしまって渋滞が起きてしまったのでは?と思いました。渋滞にも理由があって、そこでも正確な情報を伝えないといけないのかなとも思いました。
だって、現地のボランティアさんが少ないと言われているのに多数の車で渋滞するわけがないですもの。
まず、朝一番で輪島市役所に到着し、そこから歩いて輪島朝市を目指すことに。
市役所では災害支援で全国の各自治体の方がいらっしゃっていました。
ここに載せているのはほんの一部の写真です。
東日本大震災の際は地震のあとに津波が発生し、すべて流されてしまったあとの光景を見ており、家の土台部分しか残されていなかった様子を目の当たりにしてきました。
しかし今回の能登半島地震では、地震のあとの爪あとがくっきりと残されており、2か月経ってもまだまだ何も進んでいない様子がうかがえました。
もちろん闇雲に、特に私のような素人が現地に赴くことではないと思いますが、果たしてこの意見が正しかったのかというのも考えさせられます。
輪島朝市に到着しました。
上記交差点の右側はこのようですが、
向きを変えますと、
今回は確認できませんでしたが、輪島市は1月1日の地震のあとに大津波警報が発令し、約1メートル以上の津波も発生しています。さらに輪島朝市周辺では大きな火災にも見舞われ、被害が出ているところのひとつでした。
1月2日の夕方、テレビでは羽田空港で起きた日本航空の旅客機と海上保安庁の航空機の衝突炎上事故のニュースが流れているあいだもこのあたりでは火災に見舞われていたのです。
このような悪条件が重なったとされています。
輪島朝市の現状を目の当たりにし、輪島市役所へ戻る道中に時計を見つけたのですが、現在時刻と大きく異なっていたんですね。
地震発生時に止まったわけでもなさそうですし、壊れているのか、遅れているのかは定かではありませんが、つまり現地では、公共の場の時計を直すほどの余裕すらないということも伝わってきました。
それだけ2か月経っても復旧が進んでいないことの象徴のように感じました。
今回実際に(一部ですが)被災地を見て回り、地震翌日に思った災害時のネットリテラシーを当てはめてみたんですね。
地震発生時に被災地ではNHKのテレビ・ラジオの情報が受け取れていたのかどうか。このとき、NHKの報道が不快だ!と言っているのはもう無視でよいと思います。なぜならまず優先すべきは被災された方の命を守ること。
目の前で災害が起きているときに、冷静でなかったとはいえ、家や他人の個人情報をSNSにアップしたり、それを冷静に正誤を見極め、行動できるまでに至れたのかどうか。なんでもかんでもリポストした結果、それがこの被災地に届いていたのかどうか。
冷静でなかったのは被災地の方々だけではなかったように思います。
だからこそ災害時は、ネットやSNSの取り扱いに気を付けたいものです。
復興に必要なのはボランティアなどの人手もですし、お金も必要で、特に経済活動で税金を納めることも、回りまわって被災地支援につながります。
税金はきちんと納めましょう。
次に被災するのが自分だと思うと、それも減災につながる。
そんなことを思ったしだいです。
このあと輪島市と能登町にて炊き出しを行いまして、その様子についてはこちらで詳しくお伝えしております。
伝えることも大事だし、それが記録となって次に活かせることもできます。
日本は災害の国だと思わされます。
ちょっとしたことでよいので、できることからやっていきましょう。