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拗らせ男子、日々の小咄。vol.1
唐突ではあるが、ひとつ自身のアウトプットの中で小話を設けた。先日の振り返りの中でやはり気になるのはひと記事に対する労力であり、これは整理が必要だと一旦書き出したい思いを堪えた。
自身の中ではつぶやきに近いものかと思いつつも、そんなものは某つぶやきSNSを備忘録が如く利用していた時とどう違うのかと気になった。何が正しいだとか正解だとかいう話ではなく、私の主観美が納得する言葉を探している。
そもそも某つぶやきSNS(既にネーミングは変わっているが)は、つぶやきというほど小声ではない。そこかい!というツッコミを受けながらも、本当の意味で何も思考せずただ出てきた言葉をつぶやいて「いいね」されれば、いき過ぎた承認欲求モンスターの道が開ける。
あくまで批判的に見ればそんな感じ。
もし良かった点があるとすれば、島田紳助の如くお題に対するツッコミの反射速度が上がった。ツッコミの質。ボケも然り。これはテニスコーチをしていた当時、喋りたがりのちびっ子軍団の話題を全て拾い上げ、彼らのスピードを上回り統制をとっていた時に感じた。テニスレッスンというよりお笑い芸人養成所と化してしまった(反省してます)。補足しておくが、もちろん周りに迷惑をかけたら叱る、保護者の皆さんは習い事として通わせているわけだから、ただ単に面白いだけではいけないことは承知の上だ。
まあとにかく手軽な手段だ。
ではこの場ではどうだ。それは先日のひと休みで述べたことがしっくりくる。
やはりアウトプットは簡単ではないが、面白い。作品をつくる感覚に近い。恐らく若干完璧主義が垣間見えてしまうからか、達成感と疲労感が残る。
こんな小さな作品できました。ひとつ発信する際の思考や労力の違い。読者がどんな気持ちでスキを押してくれているかはわからないが、少なくともコメントでお話ししてくれた方のスキからは「お疲れ様」と言ってくれているように私は感じた。
そのため「つぶやき」という言葉に何も批判的な気持ちはないが、全く小声ではないので「小話」という名の作品をストックしていこう。なんなら「小咄」といこう。
それでは今日の「小咄」。
今朝は父が仕事用に新しく購入したノートパソコンのプロバイダメール受信設定の不具合の調査から始まった。プロトコルは化石POP。Outlookで受信するには2019(クラシック)版を使わないといけないらしいのだが、なぜだか上手くいかないのだとか。もはやノートパソコンを触ることも激減した私は、記憶の限りで検索エンジンと向き合い、なんとか「プロファイルの作り直し」「セキュリティソフトの通信制限の解除」「セーフモードでのアカウント設定」の三箇条を捻り出し開放される。あとはもうわからんので外出。昨日に引き続きお客さんが泊まりにくるらしく、夕飯に間に合うよう帰宅するのだが...
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聞き覚えのある饒舌さは父の仕事仲間だ。ことあるごとに実家で開催されるファシリテーター集団のイベント後のアウトプットは今夜も大盛り上がりだ。玄関にどこぞの純米吟醸が当たり前かのように寒空の下「今夜も冷えるねぇ。」とお出迎えしてくれた。
今回の話題を一部抜粋。饒舌ティーチャーが授業参観で用意した高校受験の数学の過去問に、誰も解答を知らないまま生徒、先生なんなら保護者も参戦した。結果、保護者はおろか先生も誰も解けずに時間が終わるという前代未聞の授業となり、本人は肝を冷やしたわけだが、この問題数年前に神奈川県で用意された正答率0.6%の超難問だったのだ。授業は大爆笑で終わり、伝説の授業参観となったようだ。めでたしめでたし。
実際にその問題をこの夜、父も含めた大人たちは金一封のために酒が入りながらも、薪が燃える音と小鳥が籠の中ぼやく音しか聞こえないほど、静かに、無心で解き始める。私はそんなそばで短編小説を読む。案外読書には心地よい空間であった。
ここ実家に令和の黄金伝説集団の密会が催されたし。