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占い師とウクレレと三階建てマンション。
「あ、君っ!ちょちょちょ君っ!!」
眼鏡をかけた怪しい中年男性はマンションの駐車場で慌てて声を掛けてくる。
ちょうどニ年前、私はこの築六十年鉄筋コンクリートの三階建てマンションにジョブチェンジがてら引っ越してきた。この地域を代表する繁華街・歓楽街のはずれにある遊郭の歴史を持った町だ。古いマンションだが、外装や内装はリフォームされていて電気工事もとり行われているようだ。しかし、やはり昔のマンションだ。長身の私にとっては天井が低く、必ずしも住みやすいとは言えないが仕方ない。特別アパートの住人と親しくご近所付き合いをしていたわけでもないが、上の階に住んでいる若い女性はとても社交的で朝になると忙しない足音や物音を立てていて、日常を疎かにしない人柄であることがすぐ聞き取れた。
引っ越してきて半年が経った頃だろうか、仕事に悪戦苦闘するも気分転換に知人に借りていたウクレレを持ち歩いていたため、私はラケットバッグ片手にウクレレを背負って出勤するという一風変わった日常を送っていた。
車に乗り込もうと駐車場に向かった瞬間その怪しい中年男性は近づいてきた。当時は初夏と言えども猛暑と言って差し支えない。その男性は息を切らしながらも
「そのウクレレいいねぇ。いいやつだよ。どこのメーカーの?」
出会い頭ウクレレの話題に火がつき怪しさ満載だ。私は、「さあ、借りものなんで」と素っ気なく返事をする。
「ちょっと見せてもらっていいかな?」
借りものをやすやすと見ず知らずの、しかも怪しい人に見せるほど警戒心の低い人間ではないので、「もう仕事に向かわないといけないので」とその場に見合った返事をする。すると男性は
「仕事ってテニス?駅の方へ行くの?」
と私がいかにも仕事に行く容姿には見えなかったのか確認してくる。「まあ、そうですね。」と返事をすると
「もーしわけない!本当にもーしわけないんだけど、駅まで送ってくれないかな。」
とついに白状し出した。
「オジサン、駅から歩きでここよりもっと北上したミワっていう地域を往復した帰りなんだけどさ、もう脚が限界で...。」
何で私鉄を使わなかったのだろうという疑念は当然あったが、正直もうさっさと解放されたいという気持ちと、この暑さでくたびれたオジサンに対する同情も少なからず私の良心に響いたので、「いいですよ。」と即答した。するとオジサンはニッコリして
「ありがとう!」
とハキハキした声で握手してきた。
助手席に座ったオジサンは、早速私から受け取ったウクレレ片手に
「テニスコーチなんだね。爽やかだし、背も高いし、いいよ君。音楽好きなの?」
と軽快な口調でウクレレで聴き難くもないメロディを奏で出す。「そうですね。」と、縁あって少なからずいろんなジャンルの曲をリアルの場でも聴く機会が多かったこの頃は私を饒舌にさせた。特にお客さんが演奏するフォーク酒場や親の代から受け継がれたミュージックハウス、オープンマイクの日を設けたジャズレコードバーなどお店の話をし出したらキリがなかった。するとオジサンはジャズという言葉に反応した。
「ビル・エヴァンスはオジサン大好きなんだよ。ワルツ・フォー・デヴィっていう曲。」
すぐに私はスマホでその曲を探した。オジサンは女性がシルエットのジャケットに「これこれ!」と反応した。
ジャズに特別造詣の深くない私でも聴いたことがある曲だ。暫く運転しながら曲を聴いて
「いい曲ですね。僕の好みです。」
と返事をした。
曲が聴き終わった頃には、駅近くの契約駐車場に着いていた。オジサンは
「本当に助かったよ。」
とまた握手を交わしたまま
「君、今いくつ?」
と質問してきたので
「二十九になったばかりです。」
と返事をした。それから今の仕事に至る経緯をひとこと、ふたこと程度話すと
「実は握手をするとオジサン相手のことがちょっと読めちゃうんだけどね。君は変化の年を迎えているよ、オジサンは経年変化でダンディになっちゃったけどさ。」
とダンディではないけどそんな陽気さに少し鼻で笑ってしまった。
車を降りるとオジサンは背伸びをして振り返った。
「実はオジサン駅前で占い師をしていて、こうやって占った相手を笑わせてお金を頂いているのさ。送ってくれたお礼になったかな。」
このオジサンはいい人だ。と、私の直感は囁いた。
「もちろんです。」
それから行きつけの居酒屋でこの話をすると皆決まって「駅前の男性占い師は一人しかいない」「結構評判らしいよ」「コンビニで警察のお世話になることもあるけどお決まりらしい」と、占い師とは全く縁のない私にそう教えてくれた。
それから1ヶ月後。私は特段急ぐ用事もなくマンションに着き、部屋へ戻ろうとした時
「あっ、君!」
とイヤホン自転車オジサンに捕まった。そう、あの時の占い師だった。
「あの時は、助かったよ!」
と相変わらずのハキハキした口調で雑談が始まる。
「実はね。このマンションに住んでる若い女の子がさ、声を掛けてみたら天使みたいな笑顔でオジサンとお喋りしてくれるからさ。嬉しくてこの道通っちゃうんだよね!」
なんて正直な人だ。ストーカーにならないか心配だったが、気持ちもわからなくはない。その後もゆったりした日和だったからか音楽やら魔女やらラウンジやら将棋やら2時間ほど立ち話をした。
「それじゃっ!」
とオジサンは陽気に自転車を走らせた。
それからというものオジサンが占い師を辞めてしまったことを間接的に耳にしたと思えば、再開してまたコンビニ前で警察のお世話になったことが街の話題になっていたりと噂話というのは忙しない。なんならマンションの上の階の女性ともすれ違い様、占い師のオジサンの話をする程度のご近所付き合いが始まった。特に進展するわけでもないが、気分転換にはなった。ありがとう、オジサン。
最近は前回のユセフ熱の事もあってかジャズを聴くことに何か心の落ち着きを感じ始めている。あの時オジサンが教えてくれたビル・エヴァンスはやはり私の中では別格だ。どんなに娯楽に浸ろうが、ビル・エヴァンスをかけてしまえば書き物モードに入ってしまうから不思議だ。
試しにNetflixでアニメ「ヲタクに恋は難しい」を一気見した後、すぐビル・エヴァンスをかけてみた。
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ただしこのアニメ社会人恋愛ものとしては、幼馴染どうこうは置いておいて彼・彼女らのヲタクな「日常」から交際がスタートするという自然体ありきであるためか、もしかすると私を日常へ戻してくれるビル・エヴァンスと相性がよかったのかもしれない。
と、どうでもいい考察が展開したところで、身体のために今日は早く寝ることにしよう。昨日からくしゃみが止まらずこんな話の後で申し訳ないが、鼻の穴にティッシュを詰めて書いていた。
お゛や゛す゛み゛。