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「育児中のトラウマについて」後編② 原因になった「夫」を理解してみる  そして「夫婦」を考える


こんにちは、ソルトです!
今回は、書くことが溢れに溢れてしまい、予想に反して続編になってしまった「育児中のトラウマについて」前編・後編に続き、後編のさらに後半になります(笑)
私は、今年めぐってきた「トラウマ克服のタイミング」について、人知れずショートステップに挑戦・成功し、前進をはじめた経験をしました。

前回のお話↓ 前々回のお話↓↓


そのことで、心に余裕が少しできてきたのだと思います。約11年夫との関係にトライ&エラーを繰り返し、都度試行錯誤してきている中で、物事を少し俯瞰できるようになったことに気づきました。

そして、
夫をよーーーーーく観察していると、、自分の理想とは違う形であっても「愛情」のベクトルが少なからず自分にも向いているのではないか?と思えるタイミングがあることに気づくようになりました。

そのことについて、今回はお話したいと思います。
では始めます(^ω^)



きっと私は苦労する。。


夫と知り合い、好き合って結婚したわけですが、、
同棲していた時から正直気づいてはいました。。
「きっと私は、苦労する」と。
そんな直観みたいなものは、日常のちょっとした相手の言葉のチョイス・行動・物事の流れでうっかり悟ってしまうものですよね。

でも、正直結婚前の私はそんなに達観していなかった。
現実はもっとシビア。自分一人で変えていけることなんてほんとにちっぽけ。変えていけるなんて夢見すぎでした。人はそんな簡単に変わらない。
若かった当時の私は、物事は変わっていくし、環境が変われば人も必要に応じて適正な形に変わっていくと、将来を前向きに柔軟に考えていました。



夫は、人間的には純粋で無邪気な人。裏表はなくギャンブル癖もない。
あまり物事に執着しなく、おおざっぱで細かいことは気にしない、
元気でカラッとしている性格。

とても私好みの性格でした。

しかし、この中で気になるワードがありました。。
どれだと思います??

それは、、
「あまり物事に執着しない」
です。。

それって、いいことじゃない??
私も始めはそんな風に思っていました。

しかし問題だったのは度が過ぎて「執着しなさすぎること」
物事にも、にもです。
一見、束縛されすぎるよりはいいのかなとは思いますが、、
「執着しなさすぎる」というのは、行き過ぎれば「無関心」ということ。

人とのやり取りや挨拶を丁寧に大切にしたい私からすると、、とても薄情に感じる時がありました。
本人はいたって平常運転なので何の悪気もありません。
まぁ、時々多少悪意があるときはありそうでしたが(笑)

日常の中でも色んな事に対して「気がない」のがよく垣間見えるんですが、、
例えば、、
・朝、夫を追って玄関まで見送りに行った時、人の気配を感じられないほど広い玄関でもないのに、気が付いていないのかそのまま背中を向けて行ってしまったり、、
・子どもの大事な書類をボコボコの床の上で書いていたり、、
・話しをしているのに、そもそも聞いていないことはしょっちゅう、、
・伝えてあることを「初めて聞きました」ということもしょっちゅう、、
大事な連絡事項でもそうなので、ブッキングさせる・都合がつけられないこともしょっちゅう、、
・前日まで何度も私が不在な理由を夫に説明をして、しっかり段取りも抜け目なくやって「じゃ、明日はよろしくね!」と伝えた後に、「あれ、なんで○○(私)は来れないの??」とそもそもな話を振ってくるとか。
・お願い事、頼んだお遣いを忘れることもよくあること。
そこまで覚えられないなら「LINEに入れといて」じゃなくて、お前が自分でメモをとれという話だし、、。
・子どもたちのタイミングをガン無視して絡んでいったり話しかける、、。
↑これは特に長女が被害にあってますが。。
相手のタイミングを気にしないので、長女を不機嫌にさせ(そりゃ、さすがに優しい長女も怒るよレベル)、「何怒ってんだよ」と逆ギレする始末。
大人のようには自分のことをうまく伝えられない長女とケンカになることもしばしば。。(基本的に夫は子どもたちと仲良しなのですが)

(フ―。。一息つきます。。)

・私が体調が悪そうにしてても気づかない、、子どもが気づくくらいなのに「え?気がついてないの?それともわざと??」というレベル、、。
何なら、「(私が)何か怒っている(怒ってない、辛いから元気にしゃべれないだけ)から触らんでおこう、、」と都合のいいとらえかたされ敢えて距離をとられるので、体調悪い時の孤独感が半端ないのでいつも体だけでなく精神もボロボロ。。

この歳になると、何か調子が悪い時って結構頻繁にあるし、それをこちらもいちいち申告するのもなと思ってしまうし、、こちらから言いづらい部分はあるんです。
ちょっとさりげなく気づいてくれたら、しんどい時にしんどいこちらから距離感を図ったりして気を遣わなくいいのでとても助かるんですけどね。。

・夫は子どもに注意するとき、スマホを見ながら子どもたちの目を見ないで「ゲームやめて宿題やれー」「一回で言うことを聞け―」というんですが、注意されてる子どもからしてもこれって全く納得いかないですよね。
しかもこれ、私が子どもたちに言っている内容をテンプレのようにいっているだけ。
私が聞いていても、注意している演技をしているだけで中身がないなと分かってしまう。子どもたちからしたら、そんなのバレバレだし説得力も何もないですね(笑)

まだまだ挙げたらキリがないのですが。
何だろう、、
とにかく、、色んな事に「気」がないんですよね。

見えてないというか、見てないというか。
中身がないように感じてしまうので、、
やっていることが薄っぺらく感じてしまう。
そもそも、「見ようとしない」が正しいのかな。。

私はどちらかというと、その部分にとても気を遣うタチなので、、
すごく気になる。。すっっっごく気になる。

役所に出す子どもの書類だって、、
どんな風に出したとしても事務的に処理されるとは思うけど、キチンときれいな字で書きたいし、紙も大切に扱って提出したい。そうしたら、なんとなく子どものデータも大切に扱ってくれるような気がしますし、、気持ちの問題なのですが、そういうところは私は大事にしたいです。
家族の体調やタイミングにも敏感でいたい。
子どもと話す時も、、
「今、本人なりに集中しているところだから、確認するのはあとにしよう」と三人それぞれに話しかけるタイミングを考えたり、かたずけさせるタイミングをずらしたり、やらせるタイミングを図ったり、、
こちらの都合もあるけど、子どもたちの気持ちやタイミングをできるだけ大切にしたいと思っています。(自分が出来る範囲までなので、神経質に考えている程ではないですが)
何か注意するときだって、自分の思いが伝わるように手をとめ目を合わせて相手に伝える。
だって、対・人と接してるわけですから。
子どもだってぞんざいな扱いをされたら気づくし、傷つくこともあるでしょう。
(もちろん完璧にはできないけど、私も人間だし。)

もちろん家の中では、家族の様子も気にするし、子どもたちが今何をしているか、次に何をさせなければいけないのか、、それぞれの子どもの動きとタイミング、気持ちの状態を考えてバランスをとり、戦術のフォーメーションを考えている監督のように常に動きを追っています。その間に自分のすること・やらなければいけなこと挟み込んでいます。まあ、休日は、そこに夫の動きも入ってくるので一段と疲れるのですが。。(笑)

円滑に家族を動かし、外出・宿題・習い事・・・etsをこなしていくために私はそれだけ「気」を回して気を遣ってます。

そう、、だから疲れるんですよね私は。。(笑)
常に臨戦態勢で気を張っているので。
家族といるのにリラックス出来るどころか、ミッションを常に課せられている状態で交感神経バチバチなわけです。
ストレスに弱い私は、そりゃ、自律神経を壊してしまうわけですわ。。
うん。。


ただ、分かっていただきたいのは、、この状態は私だけが作り出した状況ではないということ。。
必要に駆られてこうなっている部分も多いのです。

なぜ?どうして、、?

それは、協力関係にある「夫」がそれらをほぼ全て丸投げしてきているから。
当事者意識が薄く、基本「やれる人がやればいいじゃん」と調子のいいことを言っておきながら、仕事に逃げ、私が大変なそぶりをし出した途端、見ないふりをしてくる。責任のかかってくるような選択、決断に要するリサーチのほとんど、いや全て、私が担っていました。

夫が行うのは私が2~3択まで絞った後の最終の決断。そこも私が促して行うというもののみ。。お膳立てはそれは丁寧に丁寧に、私が段どりしたものです。
夫が担うのは、YESかNOの選択のみ、時間としてはほんの数秒の出来事です。
私は実は計画をするのも、リサーチするのも本当に本当に苦手。。
そこを必要に駆られて無理に自分のキャパを超えてやっているのです。
そのおかげで、家事・育児に加え、名もないなんだかわからない時間を費やし、自分の思ったように時間や一日を使えないフラストレーションを日々抱え、神経がバランスを崩し日常的に体調を崩し、ついに内臓へ。「胃」を本格的に悪くしたこともあります。

夫は、ここまで私が日常に右往左往しているのを目の当たりにしているにもかかわらず、声をかけることもなく、しびれを切らして私から話を振るまで気づかないふりをしてきます。

人がしている苦労の重たさを想像できないのか、、?
自分も当事者であり、自らも責任もある事柄なのに、、?
なぜ「見ようとしていない」のか?

それはひとえに、そのものごとに対して、相手に対して、「関心がない」だけではないでしょうか??
だから、彼の中に「自分はこうしたい」がないのです。

彼の名言(迷言?)に
「誰かがやるまで、やらなくていいんじゃない?」
というものがあります。私はそれを聞いたとき、「あぁ、今までのは、だからか、、」とこれまでの色々なことに合点がいったのを覚えています。


私が求めているものは形は違うが確かにある(のかもしれない)

それは、思いがけないタイミングでした。
夫が突然、、
「ずっと一緒だよ。それで最後は俺をちゃんと看取ってね」
「逆だったら俺、耐えられない」と私に言ったのです。

え?は?と何か地に足がつかない感覚でした。

そんな感覚、、あなたに、、あったんですか?
でした。
茶化す雰囲気でもなかったし、、こちらも嬉しいというより、ただただ
それが口から出た彼への「驚き」でした。

あるとき、ケンカをした時も「わたしのことをなんだと思ってるの?」と改めて聞くと
「、、大事に思ってるよ」
と返してきたのです。

(今までそんなこといってたかな?いや、言ってなかったよな。。)

そうであってほしいですよ、もちろん。
そうであってくれないと、困るし、そうでないならなんなんだ、なんだけど。。

でも驚きなんですよ。
彼の行動の数々は、今までそんな風には思えなかったから。
とても自分が雑に扱われているように感じたし、実際のところ、そうだったと思うんですが、、。

思い返せば、、言動が変化してきた?というのが
今から3~4年前。
「俺初めて人生で人に言うかもしれないけど、、ソルトの事好きとかじゃなくて、愛してるの方があってるかも」と突然言われたことがありました。

あ、いや、ホント、これは「のろけ」とかそんな話じゃなくて。
言われたから、浮かれたという話でもなく、、。
確かに私としては欲しい言葉ではあったのですが、、
正直、冷静に「え?そうなの?」だったのです。

何でそう感じたのか、そして夫の真意を
ここからまじめに考察していきたいのです、私は。

そんなような発言がそー言えば、前からぽつぽつと夫から出ていたことを思い出ました。
でも行動は、私を誤解させたり、疑ったりさせるものばかり。
これまでの言っていることと、行動がかみ合わないわけです。
だから、私はいつもそんな時、舞い上がるわけでもなく、感動するわけでもなく、ちょっと疑うというか、え?と腑に落ちない感じだったのです。
もちろん、言われたことは嬉しいのです。嬉しいのですが。。

彼の言葉のチョイスは、軽い気持ちでいうようなものではないし、そもそも彼がいつも使う言葉ではないし、言葉で相手をいい気分にさせてくるタイプでもないんですよね。そもそも気の利いたことは言えない人ですから。
だから、、
え?マジで、、?本気で言ってるのかな?
と、疑いながらも、なんでそうなった?と引っかかるわけです。

~夫の過去の行動を思い返す~

待てよ?
その場面場面の対応を思い返すと、まだまだ私がの望むような対応、言葉がけをしてくれているわけではないのですが。。
ここ11年を思い出してみます。

彼とはこれまで、ケンカになったとき、、
夫が私の繰り出す正論に論破されまくり、最終的には、納得していないし本人的も何の確証もないのに「分かったよ、次からやるようにするよ」と理解した素振りで吐き捨てるか、下を向いて考えるような素振りをしてそのまま居眠りをするか、、でした。
(マジでやるんですよ居眠り。信じられない。)

もちろん、私はそんな夫の素行に理解・納得ができるわけもなく、さらなる怒り心頭、、。
今までこんなに話の通じない人にあったこともなければ、目の前にいるのにそもそも鼻っから聞くこともしない失礼な人に会ったこともなかったし。

だから、私が日々の生活に疲労困憊している中、夫に渾身のエネルギーで訴えた事柄は、これまで毎度全くもって夫には伝わっていませんでした。
そう、伝わってこなかったのです。

(ここで、「旦那さんも仕事で疲れてるんだよ。」と擁護する声がありますか?確かに疲れてはいるでしょう。ただね、みんな仕事してますからね。
仕事は、彼が妻や家庭に向き合わない理由になりますか?これは、個人の性質・性格の問題だと思いますよ。)

ここまで来るのに11年かかったのです。。
そして、今まで体が丈夫で病院がどこにあるかも知らなかったような私が、毎月何軒も病院をはしごし、何錠も薬を服用すようになってしまったのです、、。

今、夫はまだまだ”気がない”場面は多々あり、周り(主に私や娘たち)の反感をかうのはしばしですが、、
前回のお話でもあったように、必要な「連絡」は何とかしてくれるようになってきましたし、鼻っから聞かない姿勢から「はーい」とか「ごめんなさい」が言えるようになってきました。
「はい」が言えるようになったとか、、(笑)
なんかこの文章だけ見ると5歳児か?と思うくらいのレベルの成長の喜びですがね(笑)
でも、これ本当に進歩で。始めのころは、返事すらしなかったですね。
話題をすり替えるとか姑息なことしてきたりしてたし。
言っているこっちがあたかも悪いような雰囲気を醸し出すのも本当にうまくてね、、
「お前がそういったから俺がここまで大変なことを黙ってやらなければいけないんだけど」と言わんばかりに、思いっきり極端なことをしてきたり。

はじめは、
「私が言ったからだよね、ごめん、ホントは言いたくないんだよ」
そんな気持ちで、夫の極端な見せつけにバツが悪い気持ちでいましたが、、

「やっぱりなんか違うよな。
これじゃ嫌な思いをした私が、悪いみたいじゃないか?!
訴えて改善をお願いしているこっちが腹いせみたいなことされるのはおかしい!!」と我慢の限界を感じて思い直した時がありました。

ただでさえ人に注意や意見をするなんて、嫌な気持ちでいっぱいなのに。。

言葉でまともに話し合わない代わりに、態度で圧をかけてくるなんて本当にずるい!フェアじゃない。。!!いいたいことがあるなら、真正面から正々堂々と来いよ!と言いたいし、言ってきたし。

か弱い私に寄り添うどころか、当てつけなんて、なんて性格の悪い。
直接言ってこないで、本人が気づくレベルの嫌がらせをしていじめてくる奴になんかやり口がすごく似ていました。

でもね、優しさも確かにあるんです、無知と無神経と優しさが混在しているんですね。

優しさを感じられる場面も多々あります。
しかし、今まで人に接するときにこんなことも知らなかったの??ということが彼にはたくさんあります。

~夫の、実家との関係~

夫の実家は、私からは少し変わっているように見えます。
家族でしゃべっている様子を見ると、一見仲が良いのかな?と思えます。
しかし、実際は家族間のつながりがとても薄かったのです。始めは分からなかったです。

夫は小学低学年からひどい反抗期だったらしく、家にあまり帰りたくなかったといいます。
家での父親の意見は絶対で、あまり子どもの意見は尊重されなかったらしく、「理不尽」な出来事がたくさんあったそうです。
実家のご飯も好きではなかったとも言っていました。

実際、今では息子たちは実家に寄り付かないし、兄弟間の仲もあまり良くないようです。

私たちの結婚式の時、義理のお兄さんは理由をつけて出席しなかったし、何なら実際に私は未だに会ったこともありません。
それがまかり通ってしまう「家族」なのです。
そして義親は、私たちの結婚式、他の招待客と一緒に帰っていきました。
「遠いから~」とそそくさと。
私の親族たちの方がもっと遠くから来てくれてましたけどね。というか、、新郎の親でしょう?(笑)
まあ、当時は何も言えませんでしたが。
私の両親と兄弟が色々と最後まで手伝ってくれましたけどね。


私の親族は皆仲が良く、ことあるごとにきちんと集まるし、色んな所に離れていても、いざという時は義理を果たしてくれるので安心感があり、大人になってからその大切さを感じ、私はとても感謝しています。
そんな親戚付き合いを見てきた私からすると、
夫の家族はとても不安定で不安ばかり、そして、表面的にはとても親しみやすいのですが、行動を見ているととても冷めていて温かみがないのです。。
悪い人たちではないと思うのですが。

夫は私と結婚をして「家族ってこんな感じなんだなと思ったことがある]
といっていたことがありました。

もう大の大人なんだから、小さい頃の事ひきづってるなよ!ということになるんでしょうが、心理学でも言われているように、幼少期~の家庭環境・どう育ってきたかというのは、大人になった今でも大きな影響を与えるといいますし。
理解できない相手のバックグランドを知るということは、相手を理解したいと思うならいい材料になるかもしれませんよね。

ただ、ぶっちゃけ、、そこまでこちらが「それ」を理解したり・同情したり・責任までかぶるのは違うと思いますけどね(笑)

優しいのかな私は、、(笑)

つまり、結婚をするとは

~私が一番伝えたいこととは~


結婚とは「育ってきた環境の違う他人と他人が一緒に暮らしていくことだから」とよく言われますよね。それにつきますが、、されてきたことを考えるとなかなか許す気持ちにはなれないこともあります。
ただ、武士の様な固い頭を持っている私は「相手を理解しようというのは、一度縁を持った存在に対して必要なこと」だと考えています。
だから、縁を持った人を簡単に切る捨てることはできない。

夫の理解できない部分は確かに多い。しでかした夫本人はあっけらかんとしているのに、私だけが傷つくことも本当に多いです。
この11年、本当に精神が削られました。
自分が体を壊すほどに。
ただ、彼も人間。多面的なところはあり、もちろん私もそれは同様。
私も完璧な人間ではなく、人を傷つけたり、イラつかせたり、迷惑をかけていることもあるでしょう。
夫は確かに、他の人に比べると人よりあまり物事や人に「関心が薄い。ない。」のかもしれません。
しかし、見方を変えれば、、

彼の「それ」は私のそんな人としての「未熟さ・未完成さ」にも目をつぶってくれているという意味ではメリットになっていることにもなるのかもしれません。
思い返してみると、、
夫から私がやることを強く「否定される」ということは今までほとんどありませんでした
(そもそも保身のための危機回避能力の高い夫は、私にそれをやることが、最も得策ではないことを感じ取っているからだけなのかもしれませんが)
私はもともと、自分や周りからやることを否定をされたり、常に自分を責め続ける癖もあるので、、
よく、よく、よーーーーーーーーく考えてみると、、
「ごちゃごちゃ言わない・責められない」という私が嫌がることをしないということでは、ある意味、私にはかなりメリットのある相手なのでは?というとらえ方もできるかも仕入れない。。

え??これ、、、我ながら新しい視点じゃないですか??!!
ふっとそう考えが浮かんだときは、「おお!なるほど!だから一緒に居られるのか!」と驚きでした。

もちろん、これまでの長文から分かるように、今までの私の「辛さ」「悲しみ」「苦しみ」「孤独感」が消えたわけではありません。

ただ、そう考えられるようになったのはやはり、、
「大変」の絶頂だったあの頃から少し「時間がたった」ということ、
そして、彼なりにミリ単位ではあるけど少しずつ「変わろう」彼・な・り・に(2回目、笑)している動きは確かにあること、
それに伴い、私への言動も変わってきていること。

経過とともに、私も、彼も「変化」しているということだと思いました。

まあ、私に言わせれば、「おせェーよ!」なんですが。正直(笑)
(ここまで来ても気が治まらないという、、笑)
だって、結婚するときに、、子どもが生まれた時に、、当然変わらなければならなかったことです。
私は、妻になり、、母になっていったように、、。そして、それを夫の前で体現し、背中を見せてきたんですから。
見てきたはずですから。
いつも目の前で。

「男なんてそんなもの」
は??誰ですか??
そんな都合のいい言葉を許してきたのは。

現実は、シビアです。
それが許される、甘い現実なんてありません。

だから、あるんでしょう?
一生懸命育児していたママが、、
子どもを虐待したり、思い詰めて自殺したり。

そんなの日常のどこにでも入り口はありますよ。

そんなギリギリでみんなホントは戦っている。
本当はみんなギリギリなんですよ。

恵まれてそうじゃない人もいるけど。

追い詰められて追い詰められて、、
真っ暗な入り口が一瞬でも見えてしまっても
でも、、子どもがやっぱり可愛いから、愛おしいから。
家族のみんなで元気に笑っててほしいから。
そんな気持ちがギリギリの状態でも勝つから。。
そっちに行かないだけの話。運がいいだけ。

戯言なんか、寝言なんかいらない。

ほしいのは、しっかり安心して頼れる「手」。
まっすぐな「目」です。

そして、真剣に向き合ってくれる「心」です。


私の夫は残念ながら、そのどれも弱い。

私から見るとね。

そう、私から見て私が必要とする「手」「目」「心」が欲しい。
本当はね。

しかし、現実は厳しい。
本当にシビア。

ここが、「結婚」というものの難しいところかもです。
「他人を理解する」の真骨頂だからこそ、、

私の課題です。

彼の愛情は私の望んでいる形ではない。
でも彼は彼で、パートナーとして、父親として、
彼なりの「変化」(成長)をしているということが少しだけ垣間見える。
私は、それをある意味受け入れ、彼を観察していくのです。
今はそれしかない。
夫婦の方向性は確かに大きくは違ってはいなからです。

結婚も「多面的」なものだと思いました。
合致しているものとまだ発展途上なものが混在しています。
だからこそ「夫婦」とは作っていくものだと改めて感じました。
しかし、これほど根気がいるものとは。。思いませんでしたけどね。

相手にもよるんでしょうが。。(笑)


これからも、私は今までの夫とのことを綴っていこうと思っています。
それが、私の中を整理していくことになると思うから。
そして、自分の新しい視点を持っていくことにもなりそうだから。

他人は変えられない。
変えられるのは「自分だけ」
時間は過ぎていくだけ。
そして、目前に起こっているのは、ただの事実だけ。

それをどう捉えて、どう向き合ていくのかは、、
やっぱり自分次第なんだな。。今回のことでそう思いました。

今もまだ、
何かに結論を出すのも、
悟っていくのにも、、

材料が足りなすぎるかなと思います。

私たち夫婦は、まだ未完成。
そしてある意味、夫がいることで私は「人間」を知っていくのかもしれません。

夫婦って面白いですよね~
クリアしていかなければいけないミッションがたくさんある。
時に型にはまってみて、、
時には、その型を取っ払ってみて、、
粘土をこねこね、あーでもない、こーでもないと試行錯誤。

全部ひっくるめて、「おもしれぇじゃん」と時々思うのです。

あ、、そうか!
夫のことも「おもしれぇ奴」が居たもんだ!と思えばいいのかも(笑)
「面白い」じゃなくて「おもしれぇ」がポイントですね。
すごく皮肉も込めてるから(笑)

私が結婚していても、してなかったとしても、「私」は同じ線上にいます。
世間的な見方は違うかもだけど、私は基本私のまま。
その私に、おもしれぇ事象が次から次にやってきて、それを踏まえて自分が成長しているだけ
なんだか、結局、それだけの様な気がします。

人生を面白くするのは結局自分次第ということなんですね~。

これからも、色んな事楽しんでいきましょう(^ω^)

以上ソルトでした。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました(´▽`*)

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