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「鏡の法則」をやったら苦しくなった話

こんにちは、ソルトです。
前回の「自分の思考を変えるきっかけ」の続きの話になります。



そうか、そんな風に考えてみればいいのかも!という気付きがあり、
その後、自分がどんなふうに変わったか、、、??


よし、自分の思考を見直してみようと思って、
その後実験を続けてみたら、、

なぜが、、


更にモヤモヤしたりイライラすることが増えてきたんですね。。(笑)



どうしてなんだろうか、、。。
想像してたんと違う。。

流れが段々おかしくなってきて、途端にスムーズじゃなくなったんです。
最終的には、ブチギレ案件まで勃発しました。。

なんで??思考を見直しているのに。。

息が詰まったようになってきて、なんだかいつもイライラしている自分に気がつきました。

おかしいな〜。。

そんなときに、またまたyoutubeからある言葉が聞こえてきました。

”「相手は自分の鏡」
これ、相手にムカついた時に、そういうとこが自分にもあるんだーとか、人にしちゃってるんだなーとか、そうやって周りを全部自分に置き換えて人の嫌なところや不機嫌までしょい込むの、絶対にやめてね!!”
(最近見始めたmikaさんという方の言葉・・・)

え??
私やってました。。
そのまんま(笑)

やらなくていいんですか?!それ。。
だって、そういう風に「自分が原因で起こってる現象だ」って言われましたけど。。
だから、苦手なあの人も、どうしても許せないあの人の言動も、、全部自分が原因・自分のせいだと思ってました。。

それで、どこまで行っても「自分はダメだ」「こんな嫌な部分があるのか」と思ったり、、「そんな無神経なこと、私してたのかな。。気づかなかったな。。」と、はじめは、「心改めなければ、、」とか思ってましたが。。

毎日、見るもの・会う人に対してもそんな感じで「すべては自分が原因」と考えて、最終的に反省と自分責めを続けてしまいどんどんと苦しくなって来ていました。

むしろ、他人にそんな無神経なことをしないように気を遣っていたことや、迷惑をかけないように無理をしてまで自分に徹底していたことだったりしたので、、

「自分の中にある部分だから」「過去に他者にしてしまったことなんだよね」・・・ホントに????
え?私がされたらすごく嫌だから、むしろ始めからやっていないしなーとモヤモヤし、、やっぱりそんなことしてないよなぁーと段々納得いかず逆にイライラしてしまっていたのです。

なんだか、「鏡の法則」を実践するとどこまで行っても自分を責め続けてしまい、自分を肯定できないことで落ち込み、なんでこんなにやっているのにさらに責められ否定されてるんだろうと疲れてしまっていました。
いちいちそうことを考えることにも。。

mikaさんのお話だと、
「本当の鏡の法則とは、相手を見て自分がどう映っているかを知るってこと。その人に対してどう思ってる?その思ってることは、実は自分自身に強く課してることだったりするの。ただそれを見せてもらってるだけなんだよね」
というのです。

私が許せない言動をしている人に思っていること??
「みんなやってるんだからお前もやれよ」「自分の都合ばかり主張してくるな」「人に押し付けてずるい」「相手の事を何も考えてない」
みたいなことかな。

確かに私に置き換えると、環境的に自分にとっては無理だったことでも”郷に従えで”何とかやってきたところはとてもある。反感をかうので自分の都合・我儘的な主張ては通してはいけないと思っていたし、迷惑が掛かるからちょっとしたことでも人に頼むのは申し訳ないと思って毎日生活していた。

子どもが小さいことは理由にならないと思っていたし、自分がかなり無理をしても引き受けなければとも思っていたし、、まして「できません」なんて言えないほど周りからの圧力は強いってのもあったし。
自分では、正直大変な状況の中周りの意向や雰囲気をすごく酌んで何とかやってきたが背景があるから、、
数年経って周りの圧力は弱まったとしても、「できません」とあっさり断ってくる人を見ると正直ムカついてしまう。。
しかも善人でいようとする自分もいるから、それに理解を示すような気持に自らもっていこうとしだし、、もう一人の自分がモヤモヤしだすという現象が自分の中で起きていまう。。
そして何とも複雑でモヤモヤなさなか、、さらに空気の読めないその人がよりによって私に「やってもらっていいですか?」とみんなの前で名指しで頼んでくる展開。。申し訳なさも全く感じられず、、「その代わりこっちはできる限りやります」みたいな代案もなく。

私は確かにあなたのように小さい子どもはもういませんけど、、
やれないなら誰かがやらなければいけないけれども、、
なんであなたが頼んでくるんですか?
一旦、自分の責任でどうにかしようと動きましたか??
とその時言いたい気持ちをつい丸呑みしました。
その人の立ち回りが私の範疇を超えてきて、ただただ驚いたというのもありますが。

あなた、下の子今年小学生でしょう?私、今年幼稚園に上がる子がいるんで
できるんだから、いいでしょ??
その人の心の声が聞こえてきます。
しかも他にも、一人っ子でその子も今年小学校に上がったママさんもいる中。。よりによって内心すごくモヤついている私に。

私もそのつもりでしたよ?
でもね、平等にやりましょう、という話し合いのさなか、建前だけでも「申し訳ないんですが」と言えないんでしょうか?
「わたし、ここできないので代わりにこちらやります」的なこと、なにもないんでしょうか??
他にもできる人がいるけど、、親切心で「じゃあ私やります。」と言おうかなと思ってはいたけど、、
まず、できないと言ってるあんたに言われることではない。

やばい、思い出したら腹が立ってきた~~(笑)

私は、自分の子が幼稚園に入ってなくてもやりましたよ。しかも双子です。
時に県外に住む親に来てもらったり、時に夫に仕事を遅れて行ってもらったり、下の子たちが幼稚園に入ったら有料の延長保育を頼んだり、、周りに頭を下げ協力をしてもらったりして、色々都合つけましたよ。
だってみんなやってましたし、新参者の私は「できません」なんて言えなかったですよ。

その人、すぐ近くに親兄弟親戚いるし、みんなでワイワイ来てもらってるのもよく見かけるし、少し調整すれば彼女にとってはそんなに苦労のないことのはず。。

もちろん他人のおうちの事情なので口をはさむことではないし、事情も知らず私が勝手なことを言っているかもしれません。
でも、ここまで来たらそれはお互い様でしょう(笑)
なんで私ができると勝手に思ってるんだよ。そして、なにその立場で頼んでいいと思ってるんだよ。

うわー、、自分の本音エグいです(笑)
でも本音、これが本当のホントの本音だぁ(笑)


そして、話を戻すと、、(笑)
なぜここまでエグイ現象をわざわざ私に見せたのかってことです。

相手に思っていたこと=それを自分に課していたこと・・・
「みんなに合わせろよ」「自分勝手なことするなよ」「自分の都合で他人に迷惑かけるなよ」「まず自分で動けよ」
当時、めまい、吐き気、月に一回熱を出す、etc・・・そんなすでにキャパオーバーで体調を崩していた自分にそれはそれは厳しく課していたという事実。。

mikaさん曰く、それを見せられてるということは、、
「それ、やめていいよ」と自分に言っていいタイミングが来たということ
だそう。。
そして「肯定に変える」のだそう。

「もっと自分の都合で動いていいよ」「もっと家族以外のっ周りに助けてもらっていいよ」「もっと自由でいいよ」「もっと自分を優先していいよ」
「できないときは、できないといっていいよ」

ということになる・・・

なんか、今までの自分を責めてた「鏡の法則」の考え方に比べると、とても気持ちが楽~!自分を肯定してもいいんだよと自分にOKを出している感じが、なにかすごく自分が前に進んでる気がしました。
重~~~い漬物石を頭からどかせた気がしました。

前回の話から
「自分が起こしていたとしたら」「自分発信、自分が原因」=自分のせい
だったことが、考え方を肯定する「もういいんだよ」に変えたら・・・
確かにスタートは「自分」なのだけど、、自分が洗い流されて新しい自分に生まれ変わる感じがするくらい、軽く明るい感じ。この感覚、すごくしっくりきます。

私に合ってるのはこっちの感覚かもしれません。

自分を否定することにいい加減飽きてきて、そんなにさぁ、私ってダメダメなの??これ「被害者面」なの??と、今まで感じてきた辛い感情まで否定してしまうのは、どれだけ精通している専門家がそれは被害者面だと言っても、やっぱり、、、違うと思う。

気持ちは自分のもの。専門家がどういおうが、見えていないものもある。 
自分の気持ちは自分が見つけて救ってあげるしかない。
被害者面だと言われようが、辛いものは辛い。それを自分が作ったとしても辛い、悔しい、悲しい、の感情は確かにそこにある。
それを無視して思考のプロセスに取り組むことは、無理がある。
きちんとその気持ち・感情を見つけて認めてあげる。
そして、自分を縛っているものに気づいて苦しんでる自分を救ってあげる。そうしないと前に進めないものだと思う。

いくら侯爵を並べられても心が前に進めないのはこのため。
うまくいかないときは、
セルフケア、、自分を大事に、、自分に寄り添って、、とよく言われる。
でも、そのやり方がイマイチよくわからなかった。

被害者なんだよ。実際。だって現象的にそうでしょ?
だから辛いと感じた、それは嘘じゃないし勘違いでもない。
ましてやっぱり「被害者面すんな」と言われる筋合いはない。

専門家は弱ってる被害者にどこまで無理強いをさせるのか。

当事者でない人が見ればそう見えるのだろう。
でも、アドバイスをする専門家はどこまで行ってもその「当事者」ではない

自分の心を救えるのは自分自身しかいない

「鏡の法則」とは相手がこちらに向けた鏡から自分の中の自分を見つけ
「もうしばりつけなくていいんだよ」「もっと自由でいいんだよ」と教えてあげることに使うものなんだと気が付きました。

苦しい捉え方をしていました。。
もっと自分に優しくても世の中やっていけるのかも、、
と、思えた今日この頃でした(笑)

もっと楽に生きよう。。(笑)

以上、ソルトでした。


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