【経営に終わりはない】藤沢武夫著 本田宗一郎と本田技研を二人三脚で世界的企業に育てた男
この本を読んだ目的
藤沢武夫氏はどのように本田技研を本田宗一郎氏と拡大してきたのか。その手法を知りたい。現代にも通じる再現性を知りたい。
読んで良かった3つのポイント
1.戦略決定
読み進めるなかで、藤沢武生氏と本田宗一郎氏は日夜べったりと一緒にいて、意思疎通を行なっていないことがわかった。よく話し合っている時機は一緒に会社を始める前と、その後しばらくの間の期間の記述が多い。短い話し合いの期間でお互いに何故、信頼して仕事を任せることが出来たのか。それは藤沢武夫氏は本田宗一郎氏の戦略を理解していたからである。
藤沢武夫氏は本田宗一郎の思想が「安全は利益に優先する」であることをしっかりと理解していた。莫大な予算をかけて浅間コースをつくった後、霧が多くレースをするのに不向きとわかった。その結果、藤沢武夫氏はレース開催をさせなかった。それどころか、浅間コースを他社がレースを企画したいので貸して欲しいと言われても、レース開催を許さなかった。収益を考えればこの決定はなかなか出来ない。
藤沢武夫氏は他社に先駆けて鈴鹿サーキットを建設した際にも、レースの安全性については常に消防車や救急車を用意して、救護所には医師と看護師が詰めているという安全基準を作った。「私が初めて彼に出会ったときの約束を果たした。」と述懐している。
藤沢武夫氏は「生命を預かる仕事」に共感し、本田宗一郎氏と共に本田技研を作り上げた。この戦略をもとに、いちいち本田宗一郎氏に確認しなくても、信念を元に決定し、本田宗一郎も反対をしなかった。
2.仕組み作りのスペシャリスト
数字の効率的な読み方について記述した箇所が興味深かった。「十桁の数字があるとして、十桁全部を必要とするのは経理だけです。」とあった。私はこの考え方に深く同意する。現場では位取りさえわかれば良いという場合が多く、1万円、100万円の単位にするどころか、グラフ化することを提案している。それも二次元が三次元を使った、一つのポイントを掴めば全体を把握出来るものと述べている。さらにすごいのは、提案はしても、実際に形にするのは部下であるというところである。藤沢武夫氏は大枠の組み立てが自分の仕事と明確に理解しており、部下の仕事とは区別している。
3.再現性の確立に道筋を立てる
藤沢武夫氏の懸念は「本田宗一郎氏が去った後」も本田技研が永続する仕組みを作ることである。藤沢武生氏はこの仕組みを作った。具体的には「研究所を独立」させた。ホンダ本社の売上の5%を研究所に渡して賄ったとある。ホンダは経営効率よりも安全性を選び、また研究開に重きを置いた。研究所に籍を置いた人は肩書きや組織に縛られることなく自由に研究開発が出来る。世界をアッと驚かせた画期的な低公害エンジンCVCCが生まれたのもその成果である。他社が決してマネの出来ない仕組みを作り引退している。
まとめ
この本を読んで本田宗一郎氏は本当に藤沢武夫氏という良いパートナーに恵まれたのだと確信した。それが証拠に藤沢武夫氏が引退を口にしたとき、「では私も」と、本田宗一郎氏も引退を決意している。
2022年5月に発表した、2021年ホンダの四輪車事業の営業利益率は2.5%とトヨタ9.5%と比べても大きく離されおり、業績は順調とは言えない。しかしながらホンダは世界に先駆けエアバッグを開発し、HondaJetの商用化に成功した。本田宗一郎がいなくても世界に通用する研究開発力は藤沢武夫氏が仕組み化したことによる功績が大きいことを実感した。今後もホンダの活躍に期待したい。
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