【アートの記録_0024】
アート情報は、アート好きなお友だちや、アート巡り好きな人のInstagramを参考にしています。それは、タイムリーだから。ああ、あの展示は明日までだった!などと気づけるのはとても助かります。東京は一年中、大きな展覧会から小さなギャラリーのグループ展まで数多くのイベントがありますが、観たいなあと思っていても、気づいたら会期が終わってて見逃した…という失敗が多いのです。
2018年の資生堂ギャラリー 『蓮沼執太: 〜 ing』もアート好きな先輩のInstagramで気づいて会期ギリギリで滑り込んだ展示のひとつ。
蓮沼氏については全く存じ上げなかったのですが、キラキラした金管楽器のパーツが床一面に敷き詰められている写真を見て、これは実際に自分の目で見て、体験せねばと思ったのでした。
ギャラリーの一番大きなスペースの床一面に、廃材になった楽器パーツを敷き詰めた作品『Thing~Being』は、自由にその上を歩いてOKなんです。むしろ歩いて参加することで作品になるというか。
「人間は存在するだけで、音を奏で、他者に伝わり反響し、無意識化で個人と他者に関係性が生まれることを表現している。鑑賞者は一つの空間に留まることにより、次第に感覚が研ぎ澄まされ微かな音もキャッチし、話し声や足音すらも作品の一部になる。」(資生堂ギャラリーサイトより)
一面に広がる金色の筒や銀色のボタンや吹き口は光を反射してキラキラ綺麗で、廃材なのに宝の山のよう。金管楽器は触ったことがないし、パーツをみてもピンとこないのですが、この長い筒はトロンボーンだな、とか、フルートっぽいぞ、とか、丸いし大きいからホルンじゃないかしら、とか、まずは観察。そして踏みしめます。
隣の女性はきれいなヒールで楽器パーツの置いていない、道のようになっている床をコツンコツンと歩き、元吹奏楽部だったらしい女子とその彼っぽい男子がしゃがみこんでパーツを指さしておしゃべりしている。私はパーツが重なっているような場所を選んでザクザク歩く。モノが床一面に広がっているときに、どうやって歩くのか、人によって違って面白い。障害物ととらえるのか、踏んではいけない尊いものとしてとらえるのか。踏まないように遠回りするのか、ど真ん中を足の裏を痛めながら歩くのか。その時の気分や体調や置かれているモノによっても変わるのでしょうね。でもきっとその人のクセがあるはず。それらがうまく調和すると気持ちよさが生まれるのかもしれません。
スニーカーで行ったから、底のゴムが吸収しちゃってあまりいい音が出なかったのだけど、同じ時間に鑑賞していた人とのセッションができてよかった。
【蓮沼執太】東京出身の音楽家、作曲家、アーティスト(ウィキペディアより)オフィシャルサイト:http://www.shutahasunuma.com/
資生堂ギャラリーサイトによる展覧会紹介(動画あり)https://www.shiseidogroup.jp/gallery/exhibition/past/past2018_02.html
展覧会の説明文の横には、その文を音読したときの波形で表示されてた。読める人には読めるのかもしれないし、別な人が音読したら違う波形になるのかもなあ、などと思いながら眺めた。
この展示をみてからも蓮沼氏の音楽を調べることをしなかったのだけど、今回記録するにあたって、ようやく動画を観た。好きな感じだった。自分がピンときたものが合ってた感じがして、なんだかうれしい。入り方っていろいろだなあ。