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【アートの記録_0010】

塩で床いっぱいに描かれたレース。細かな網目模様が、気象衛星の雲の映像のように広がる「たゆたう庭」シリーズ。

山本基のお塩で床に文様を描いていくインスタレーションは、砂曼荼羅のようだ。白い塩は穢れを払うものだったり、いのちに必要なものだったり、結界を作るものだったりするわけで、砂でなくて塩でなければならなかった理由が何かあるんだろうな、と思う。若くして亡くなった妹の死と向かいあうために塩の作品が生まれたというから、あの細かい文様は祈りなのだろう。

気の遠くなるような、失敗も後戻りもできない細かな作業の末に出来上がる、空間いっぱいに広がる白い渦。持ち運びできない、その場限りの作品だ。会期が終われば、あっさりと崩され、撤収されてしまう。広い会場に、大きく描かれれば描かれるほど、圧倒的な作業量と緻密さと祈りの深さに圧倒される。

2015年のポーラミュージアムアネックスでの個展「原点回帰」では、ラッキーなことに本人の描いている姿を観ることができた。青い床に塩の白。宇宙からみた地球か、群青色の空にひろがる銀河か。会場の床の端っこで作家がボトルに入った塩を振り出しながら、じっと作業をしていた。ずっと同じ場所で同じ姿勢に見えたけど、近くを通ったら、打ち寄せる波が何重にも増えていた。

作品は継ぎ足されることもあるのだ。

明日にはうっかり誰かに壊されてしまうかもしれないし、その部分を修復して別の文様が生まれるかもしれない。完成がどこかわからない。いや、完成などないのかもしれない。


観たタイミングのその作品は、その時だけのもの。
だからこそ、しっかり胸に刻まねばと思うのだ。


【山本基】現代美術作家。亡き妹との思い出をテーマに、浄化や清めの意味を持つ塩でインスタレーション作品を制作。(六本木アートナイト2016歳とより)http://www.motoi.biz/concept/profile

2015年に銀座のポーラで観たとき、どこかで観たことあるな、と思った。京都か、金沢か。記憶はおぼろだけど、「塩」で「床」に「びっしり」の印象はしっかり残っていた。毎日、新しい何かをインプットしては更新しているのに、イメージの断片は削除されていないものなのだな、と思う。

作品に使われた塩を海に還すプロジェクトがあったのは知っている。その場合は、描き始めから、会期が終わり人々の手で海に運ばれ、塩が海水に溶ける瞬間までが作品になるのだろうか。もしまた機会があれば参加したい。少しでも祈りに参加できたら嬉しいなと思う。

トップの写真は2015年ポーラミュージアムアネックス山本基展「原点回帰」。左上が作業中の作家本人。

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