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世界史紹介シリーズ4-大航海時代の光と闇-

教科書レベルの世界史をふんわり時事と絡めつつ紹介しようという試み、第4回のテーマは大航海時代です。

ONE PIECE大好きな私にとっては、それだけでワクワクしてしまうようなタイトルなのですが、その光と闇をご紹介していきます。

世界史上、ヨーロッパ人がアジアやアメリカ大陸への航海に乗り出した1400〜1700年頃を、大航海時代と呼びます。野心に燃えた冒険家が、国王からの出資を取り付け、アジア航路の開拓に乗り出しました。

大航海時代を可能にしたものはたくさんあります。快速帆船、羅針盤など、遠洋航海技術が進歩したこともありますが、1番は、ヨーロッパ人のアジアへの憧れの気持ちだったのではないかと思います。東南アジア特産品の香辛料や、金や真珠の産地と伝えられた黄金の国ジパングが、ヨーロッパ人をアジア航路開拓へと向かわせたのです。

先陣を切ったのはポルトガルとスペインでした。世界の覇権国家(最強国家)は今はアメリカですが、第一次世界大戦前はイギリス、更に遡るとフランス、オランダ、そしてこの大航海時代にはポルトガルとスペインだったのです。おごれるものはひさしからず・・・

まずはポルトガル王子の遣いが出航しアフリカの西端に到達。その後も王子は探検事業を推進し1488年にアフリカ南端に到達しました。

「大地は球形であり、(ヨーロッパから見て)西に進んだ方がインドへの近道である」という説に魅了されたイタリア生まれのコロンブスは、イギリスにもフランスにも出資を断られ、スペイン王女の出資のもと、インドを目指して出航しました。結果アメリカ大陸にたどり着いたのは、有名な話ですね。アメリカ大陸をインドだと思い込んでいたため、先住民はインディアン、アメリカ大陸はインディアスと呼ばれることになります。1492年のことです。(アメリゴさんが「実はインドじゃないんじゃね?」と言い始めたのは1502年頃)

そしてスペイン王室の命令を受けたポルトガル人のマゼランが、ひたすら西に進んだ結果、史上初の世界周航に成功します。これをもって自分たちの住んでいる世界が球体であることが証明されたわけです。熱いですね。1522年。

この頃のポルトガルとスペインの勢いは凄く、2人で世界地図を広げて、1本縦線を引いて、「ここから東はお前のもの、西は俺のものな」みたいなことをリアルにやってました(1494年:トルデシリャス条約)1500年代にはポルトガルの首都リスボンが国際商業の中心地でした。正直言って、現在はそんな存在感ないですよね。。。(1600年代には時の覇権国家オランダの首都アムステルダムに中心が移ります)

そんなこんなで航路が開拓されたことにより、急速に「世界の一体化」が進みました。第一次グローバル化とでもいうべき現象です。この点、少し補足が必要かもしれません。

古代ギリシャには「海は繋ぎ、山は分かつ」という言葉がありました。初めてこの言葉を聞いた時、私は「逆じゃないの?」と思ったのですが、現代的な乗り物の無い時代を考えると「山を超えるのは不可能に近い。海なら船で超えられるかもしれない」という感覚が理解できますね。

ということで、この時代までアジアとヨーロッパは「シルク=ロード」という陸の道で、ラクダで、イスラーム世界を介して細々としか繋がっていなかったんです。それが航路で大々的に繋がることになり「世界の一体化」が急速に進んだのです。

両国が新航路開拓に出資したのはお金儲けのためでしたから、ポルトガルもスペインも、アジアやアメリカ大陸でのビジネスに勤しみます。

ポルトガルは東南アジアにゴア・マラッカ、マカオ等の拠点を築き、香辛料貿易や中国との貿易に力を入れます。(このアジアでの海洋交易には、日本も鎖国するまで参加しています)

一方スペインは、広大な「新大陸」の中南米経営に力を入れます。現在でも中南米ではスペイン語を話す国が多いですが、それはこの時代に由来するんですね。特にメキシコで凄い銀山が見つかり、大量の銀がヨーロッパに運ばれました。これによりインフレが起こり、ヨーロッパの物価が2〜3倍に膨れ上がったそうです(価格革命)。同時に、ヨーロッパ遠隔地貿易の中心が地中海から大西洋に代わり(商業革命)、地中海沿岸都市(ジェノヴァやヴェネツィア)が廃れ、大西洋沿岸都市(リスボンやアムステルダム)が栄えました。

こうした革命により西ヨーロッパ諸国は商工業が盛んな経済的強者となり、東ヨーロッパから西ヨーロッパへの穀物輸出が増えるなど、東西の分業体制が形成されました。農場では領主直営地における輸出用穀物の大量生産(グーツヘルシャフト)が行われ、農奴に対する支配が再び強化されました(再版農奴制)。農民が酷くいじめられてるのは日本の歴史と同じですね。

現代社会を支配する資本主義が発達し始めたのもこの頃です。ヨーロッパ各国は商品の売り先や、生産地を求めてアジアやアメリカ大陸に航海しました。

しかし、ここからが闇の内容になってきます。ヨーロッパ人の到達は、先住民にとって、必ずしも好ましいものではなかったんですね。

先程、スペインは中南米経営に力を入れた、と書きましたが、要は植民地化、つまり、武力による征服、侵略、支配です。それも、半端じゃ無く徹底的に残虐にやりました。

手始めに、300年続いたアステカ文明と、200年続いたインカ文明を滅ぼします。「我々は神の遣いです」みたいな感じで先住民に王の元まで案内させ、その目の前で王を殺し「この地は我々のものだ!」のようなやり方だったという噂です(ここは噂)。ゴッド・エネルみたいですね笑

そして、生き残った先住民を「エンコミエンダ制」という、圧倒的に残虐な方法で支配したのです。これは「先住民の保護とキリスト教化を条件として、現地にいるスペイン人に現地の支配を委ねる」という制度でした。平たく言うと「土地も人間も、やりたい放題やっちゃっていいよ!」ということです。

先住民は鉄器も馬も知らなかったため、スペイン人は武力で圧倒的に優位でした。人間の弱さですね。これに歓喜した現地のスペイン人植民者は、先住民を奴隷のように酷使します。拷問・虐殺当たり前。先住民はコカの葉を噛んで神経を麻痺させながら、鉱山での過酷な強制労働に死ぬまで従事しました。ヨーロッパから持ち込まれた伝染病(天然痘)も相まって、先住民の人口は激減しました。

先住民が死に過ぎて労働力不足になると、今度は西アフリカから黒人奴隷を連れてきて酷使しました。黒人奴隷の売買は以前からムスリム商人が細々とやっていたのですが、これを大型船に黒人奴隷をすし詰めでアフリカからアメリカまで運ぶような組織的で大規模な貿易活動に変えたのがスペインです。

奴隷貿易の担い手はやがてイギリスを初めとする次の有力国家達に移り、「大西洋版三角貿易」という恐ろしい世界貿易が成立します。紅茶に入れる砂糖がたくさん欲しいイギリスは、武器などの工業製品を西アフリカに売り、西アフリカで買った黒人奴隷をアメリカ大陸で働かせて大量にサトウキビを作り、自国に持ち帰りました。西アフリカに売った武器は「奴隷狩り」というビジネスの道具として使われました。捕らえられ、アメリカ大陸に運ばれた黒人は合計で数千万人と言われています。西欧諸国は何でも大規模化しすぎる癖があるみたいです。。。

この貿易で利益を得た西欧の有力国と、荒廃したアフリカや中南米では、現在でもなお酷い格差が続いています。

「世界の一体化」は最初から、万人にとって望ましいものでは無かったんですね。中南米の先住民や西アフリカの黒人は、弱者として強制的に資本主義ゲームに参加させられ、わけもわからぬままに搾取・虐殺されたのです。教科書には淡々と記述してありますが、リアルに想像してみると本当におぞましいことです。

しかし、そんな闇の中でも一筋の光のような人物の名が歴史に残っています。ラス・カサスという人です。彼もまた、先住民の支配を任された、スペイン人でした。教科書では名前ぐらいしか載ってないのですが、Wikipediaに詳しく載ってるので良かったら読んでみてください。かなりドラマティックです。

簡単にご説明すると、彼は中南米における先住民の虐待、キリスト教の教えと明らかに矛盾する惨状に心を痛め、葛藤に葛藤を重ねた後、スペインの国王に直訴するのです。何度も何度も直訴して、徐々にスペイン人植民者への統制が取られるようになりました。これにより彼は現在「インディオの使徒」と崇められています。最も有名な著作『インディアスの破壊に関する簡潔な報告』は、Amazonで日本語版が買えます^ ^

これ、ちょっと考えてみてください。「新大陸」の「発見」という言葉が一昔前まで日本の教科書にも載っていました。増してや当時、「ヨーロッパ人以外は人間じゃ無い」とでもいうべきヨーロッパ中心主義がヨーロッパを支配している時代です。その中で1人「先住民いじめるの辞めようよ」ということが、どれだけ勇気の必要な行動か。

実際ラス・カサスは、死ぬまで激しい批判の対象になったといいます。特に植民者仲間からは罵倒され、死んでからも売国奴だと揶揄されました。彼の功績が認められるようになったのは、スペインが覇権国家でなくなった後、彼の著作が外国で読まれて、当時の植民者が代替わりして、その後だったといいます。

ちょっと違うかもしれませんが、私は日本の杉原千畝を思い出しました。いつか彼についても記事を書きたいです。

さてさて、時は変わって現代。方法はどんどん巧妙になっていますが、同じように暴力的な構造がありませんでしょうか。

圧倒的な力を手にすると、どうしても人は暴走してしまうんです。これは歴史が証明している人間の弱さです。それをコントロールしようと社会制度が作られてきましたが、やがてさらに強力なパワーが発明され、といういたちごっこです。核兵器が今の最たるものですね。

しかし、自分勝手な理論で他人を傷つけることが正当化できたのは、近所の村人としか普段話さなかった時代までです。通信手段の発達に伴い、悪事はどんどん告発されるようになりました。現代はその最たるものです。

ネットの誹謗中傷問題なんかは、息苦しさを感じるほどですが、「市民が」「権力者を」適切に監視することで、悪い歴史を繰り返さないように努めたいですね。

それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました!

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