エルサレムのテロと国連の偽善
1月28日、朝いちから非常に悲しいニュースが飛び込んできた。
1月27日の夜、エルサレムのシナゴーグで銃撃テロが発生、安息日に集まっていたユダヤ人8人(多くの報道では7人)が死亡、10人が負傷する事件となった。
イスラエルにおけるテロの犠牲者の数としては近年で最多だという。
翌日にも同じエルサレムで発砲による二度目のテロ攻撃が発生、2人のユダヤ人が負傷した。
いずれの事件もエルサレムに住むアラブ人による犯行で、今回のテロ攻撃を受けてパレスチナやガザでは祝賀ムードになったという。
今回の事件を受け、国連が出したコメントがあまりにも偽善的だった。
なぜか被害者であるイスラエルに対して「自制」を要求。
BBCの記事にその具体的なコメントが掲載されていたが、前後の記事の内容も含めなかなかの酷さだった。
「イスラエルよ、原因を作ったのはお前だ。パレスチナやガザへの攻撃、エルサレムの占領を続けているのだからこれは因果応報だ」とでも言わんばかりの文脈に仕上がっている。
26日の「西岸での攻撃」については、イスラエル軍によるパレスチナ自治区における対テロ作戦の一環で、その作戦中にイスラエル軍側が複数のテロリストからの攻撃を受けたことにより、結果としてパレスチナのテロリスト8名が死亡したという。
一方今回のテロで殺害・負傷させられたユダヤ人はすべて民間人だ。
イスラエル側の軍事作戦はあくまで市民をテロの脅威から守るための防衛と治安維持を目的とした先制攻撃であり、一方アラブ・パレスチナ人による銃撃は人種差別的な憎悪に基づく一方的な暴力なのだ。
それにも関わらず外野の西側メディアや国連は、イスラエル軍による市民を守るための軍事行動も含めて「暴力」とひとくくりにし、テロの被害者に対しても「自制」を押しつける。
この偽善的なレトリックは、日本でも左派が散々使い古してきて、挙げ句の果てにはロシアに攻撃されているウクライナに対して「降伏」と「和解」を勧めるまでになった無責任なコメントの数々ともよく似ている。
いずれにせよ、今回のような直接的な攻撃を含め、日々増大する反ユダヤ的イデオロギーに対して、私たちキリスト者は「ノー」と言うとともに、イスラエルの平和、ユダヤ人の平和と救いのために祈らなければと思わされた。
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