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腕時計に想う
初めて彼氏ができたのは中2の時だった。付き合うといっても、映画館でデートしたり、放課後あれこれ話をしたり、いわゆる甘酸っぱい可愛い恋愛をしただけ。今となってはいい思い出。その彼との思い出の中で、印象的だったことが1つある。
「ん!」
彼はそう言うとGショックを渡してきた。とりあえず受け取った。すぐに「返して!」と言われるのだろうと思っていたが、何も言ってこなかった。その日はそのまま預かった。次の日も、次の次の日も、何も言ってこなかった。「持っていて!」とも言われていないが、「返して!」とも言ってこない。だから私が持っていた。なんだかほんのり嬉しかった。傷つけちゃいけないと思い、私が身につけることはなかった。お守りみたいに通学バッグに入れてずっと持ち歩いていた。その状態がしばらく続いた。
「あのさ、時計返して。」
ついにこの日が来たか、と思った。とある連休の前日だった。バッグから取り出して返した。もの寂しさもあったが、なくしちゃいけない責任感から解放されたような気もした。
「ん!」
連休が明けて登校すると、彼はそう言ってGショックを渡してきた。何も言わずに受け取った。ほんわか嬉しい気持ちと、おかえりという安堵の気持ちが同時に沸いた。
それ以降は長期休暇の前後で同様のやりとりがあったが、相変わらず私が預かっている状態が続いていた。その後、色々あったりなかったりで、彼とは徐々に心の距離が離れてしまった。あぁ、多分終わるんだろうな…。そんな気がずっとしていた。
「あのさ、時計返して。」
ついにこの日が来たか、と思った。やっぱり来たか、とも思った。いつもの「ん!」はもうなかった。それが彼とのお別れになった。とても悲しかったし、大切なものが無くなった喪失感を覚えたのはそれが初めてだった。それ以降、ずっと腕時計を身につけずに過ごしていた。見たら彼を思い出すから…というわけではないが、なぜか身につけたいとも思わなかったのだ。
それが変わったのは”お別れ”から何年も経ったある日、長年の夢が叶ったお祝いに仲の良い友人と妹それぞれから腕時計をもらったのがきっかけだった。せっかくもらったので使うことにした。友人や妹から頑張るパワーをもらっているような気持ちになれた。
長くその2本を大事に使っていたが、3年前に父が亡くなり、父が愛用していた腕時計を一本もらうことになった。実家で偶々見つけて、私が気に入ったからだ。男性ものなので大き目だが、デザインがカッコいいし、身につけると気持ちが引き締まる。形見が欲しいと思っていたわけではないが、いいものをもらったと思っている。
ちなみに、母の形見として"祖父の形見として母が大事に持っていた腕時計"をもらった。生前母は「これさえあれば十分心強い。」とよく言っていた。これはもう動かないので使うことはないが、母の遺影の横に置いている。私以上にきっと母が喜んでくれていると思っている。
こうして愛着のある腕時計が増えた今、ふと思った。私にとって腕時計とは"大切な人から貰うもの"なのかもしれないと。ご縁が腕時計という目に見え形あるものになって私の手元に現れるのではないかと。ということは、彼とお別れしてしまったのは"身につけたいと思わなかった"私の選択もしくは直感のせいで、彼とは縁がなかったからではないかと。
もしそうならば、次に"ご縁"のある人には今度は私から腕時計を贈りたいな。その時はどうか受け取ってもらえますように。身につけてもらえますように!