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エッセー集『同じ月を見あげて ハーモニーで出会った人たち』が出ます 3
初めてのエッセー集「同じ月を見あげて ハーモニーで出会った人たち」(道和書院)が、4月26日に発売になります。
私の勤務先であるハーモニーは、統合失調症を始めとする心のトラブルを抱えた人たちが通所する場所。そのハーモニーで30年近い年月の中で出会った人たちと私のストーリーを綴ってみました。
もしも、の話です。
昭和、平成の市民の生活について人々が語った言葉をまとめた本が編まれる日が来たら、私の周りに居るような人たちの思い出の一片が加わることがあるのだろうかと思います。
20年以上も都立の精神科病院の中にいた人たちの院内での日々は「昭和の記録」として誰かが気に留めることがあるのだろうか。市民の記録集には、宇宙人の来襲や幽体離脱の記録が記されたり、何年もカーテンの隙間から外をうかがって暮らした人たちの日々が「体験」として残ることがあるのだろうか。
そんなふうに考える始めると「記録とは」とか「事実とはなんだ」とか、深みに嵌ってしまうので、ここではやめておきます。
ただ、僕は少なくとも「精神病院に20年いた人」も「宇宙の星に語りかけた人」も「窓に目張りをして部屋に籠っていた人」も、たしかにそこに居たということだけは言い続けたいと思っています。誰も知らないかもしれないけれど、昭和や平成、そして令和にもいたんだぞということ。
今度の本はそんな本です。
*本の中に入れることのできなかった文章も多くて、泣く泣くカットしてもらった章の一部を紹介しようと思います。
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同じ月を見あげて
ハーモニーで出会った人たち
<予約はこちらから>
出版社サイト Amazon
新澤克憲(著)
発行:道和書院
初版発行: 2024年4月26日
体裁・総頁: 四六判並製・272頁
ISBN: 978-4-8105-8105-3063-4 C3047
装画: ウルシマトモコ
装幀: 高木達樹
定価 2,000円+税
発売予定日: 2024年4月26日
りゅういちさん、白い天使と会う
(前回から続く)
またの日を待つまでもなく、りゅういちさんから、短いメッセージが届いたのは、その晩の11時少し前の頃だった。
新澤さん、おきてますか
はい。起きてますけど、どうされました?
白い人は白い体操服のようなものを着ていました。運動靴も白です。
はい。その話をしてくださるのですか。
はい。遅すぎますか?
遅いけれど、大事なことならば、メッセージに書いてくだされば読みますよ。この時間なので、電話で話すのは勘弁してください。私の方が寝てしまったら、明日起きて読みますね。
はーい。
*
メールの紹介を続ける前に、子どもの頃のりゅういちさんのことを書いておこう。りゅういちさんは地元の小学校に進み、快活な少年時代を送った。おかあさんの教育の効果もあったのか、成績はよいほうだった。以前、小学校時代の成績を見せてもらったがどの教科も、最高の成績だった。
地元の小学校を卒業し、入試を経て、都内の中高一貫の私立校に進むことになったのだ。
今でもそうだが横浜から都心に向かう朝の電車はひどく混雑する。大人でも疲れ果てる通勤ラッシュだ。子どもには容易でない。最初は京浜東北線を使ったが、中学1年のりゅういちさんには、人ごみに耐えられず、最終的には網島駅までバスで行き、東横線に乗って中目黒に出るコースに落ち着いた。
中学2年の時に、東京でオリンピックが開かれた。
その数年前から、町がすごい勢いで変わっていった。日比谷線もオリンピックの年に開通したんですよとりゅういちさんは教えてくれた。
そしてラジオで聞いて夢中になったイギリスの4人の若者のレコードを買った。ビートルズだ。ロックンロールミュージックとエブリリトルシングスのカップリング盤はきれいな赤い色をしていた。文房具屋の営むおじいさんが大事にしていたステレオで何度も聞いた。ステレオには緑地に白でSansuiと書いたロゴマークがついていた。
不自由のない毎日のように感じられたが、少年のなかでは少しずつ世界との違和感が生まれていたという。
昨日まで平和で滑らかだった日常の景色のなかに、ある日、亀裂を見つける。いや、大丈夫だ。気のせいに違いないと打ち消して角を曲がると、そこでもまた恐ろしい亀裂が口を開けていた。
りゅういちさんはその頃から病気が始まっていたのかもしれないと前置きをして、「学校で起きるあらゆることが自分への悪意に感じられた」と言う。暴行され、監禁され、邪魔されていたと話してくれた。
そして、その日がやってきた。
*
唐突にそれが起きたのだ。
「学年は曖昧なのですが、でも中学2年生のことのようです。いっしょにいたのは高坂さんと杉谷さんだと思うのですが、学期末の試験かなにかで早めに下校していた途中でした。
東横線のことです。都立大学の駅でした。僕らの乗った下りの電車がホームに滑り込み、扉が開きました。その瞬間、普通でないことが起きたことが分かりました」
消防団の制服を着た男たちが、怒鳴り声をあげながら走っていた。警官の姿も見えた。
誰かが電車に飛び込んだ直後だった。あたりは修羅場だった。
早く、扉が閉じてくれないか、この場から離れさせてくれないか。それだけを念じていた。目を閉じてうずくまってしまえたらどんなによかっただろう。それでも14歳の少年は、目の前の光景から目をそらすことさえできずにいたのだ。
この後、りゅういちさんの世界は、恐怖に満ちたものに変容していったという。柔らかく感じやすい心は、日々の刺激を受け止めきれず、破綻した。「中高一貫校の教室は大陪審のようだった」とりゅういちさんは話してくれた。それでも、なんとか高校に進学できたのは、先生たちの後押しがあったからだろう。
りゅういちさんからのメールは、続いてやってきた。
*
高校の在学中に僕は最初の入院をしました。
ゆっくり休めと言われました。でも、50年以上前のことだから、精神病院は死ぬところと僕は理解していました。それでも、毎日の暮らしがつらくて、少しでも自由になりたくて入院したのです。
それが、行ってみたら涼しくて気持ちの良い入院でした。初めての病院のベッドでした、らくになりました。先生の言った通り、休まりました。
それは、よかったです
はい。よかったのです。
でも、少し見通しが甘かったです。
2年間、その病院から学校に通いましたが、高校は卒業できませんでした。
僕の病気はしばらく入院して、薬を飲んでいたらすっきり治るというものではなかったのです。さらに次の病院に移り、そこを退院して横浜の自宅に戻ってきたのが19の時でした。
発病してから数年で僕の世界は全く変わってしまいました。時計がとまってしまいました。行く学校もなく、親しい人もなく、いつも、僕の世界は不安と憂鬱と体のだるさに覆われていました。
すっかり、エネルギーを使い果たしてしまったのでしょうか。
それで、その日になったんです。
嫌だったけれど、その日は中目黒の病院の通院日でした。
僕は最初に入院した病院にまた通院していたのです。高校時代と同じように綱島までバスに乗って、それから東横線に乗りました。東横線が気が重いんですよ。
色々と憂鬱なことが思い出されるんですね。
はい。そうです。中退してしまった学校や都立大学駅の上りホームでの事故のことが忘れられないんです。
あとで思うとその日はいつにも増して調子がわるかったんです。東横線に乗った後も、嫌な汗をかきながら立っていました。
お気持ち、お察しします。
ふと気がつくと、電車のドアのところに全身真っ白な人が立っていました。
どうして、そんな人が電車のなかにいたのか、かいもく見当がつきません。僕が電車に乗ったのは綱島だから、そのあとに乗ってきたのでしょう。
多摩川べりに古墳があるんですよね。あの辺りはパワースポットだから、そこから乗ったのかな
それほど強烈な印象があったのですね。
白い人を見て、此の人なんだろうと思いました。体操のお兄さんかな?と思いました。
そしたら、白い人は一人じゃなかったんです。お供の者がいたんですよね。従者っていうのかな。
従者が、白い羽根を持って来ました。なにするんだと思ったら白い人の肩にのっけたんですよ。白い人の肩に羽根がついたんです。2枚の美しい鳥のような翼です。驚きました。
驚いていたら、都立大学駅でドアが開いた途端、さっと降りていきました。あっという間に僕の視界から消えていきました。一瞬、飛んだのかと思いました。
僕は茫然としたまま、中目黒で降りて病院に行きました。
都立大学でいなくなったんですね。その人はどんな様子でしたか。
無言でした。日本語がわからなかったのかな。ただ、立っていた。
それでね。消えたのが都立大学の上りホームだったでしょ。僕は白い人が中学2年の時の電車の飛び込んで死んだ人だったんじゃないかと思うんです。
羽根をつけた白い人は美しくて怖ろしくて儚いものでした。
僕はね、その白い人のことをずっと天使だったかもしれないと思っているんです。
天使ですか。りゅういちさんを救ってくれたのかな。
都立大学の駅のホームの事故で亡くなった人が天使になって、僕のことを助けてくれたんじゃないかと信じているんです。
天使に会わなかったら、あの頃の僕のアタマは狂っていたので、電車に飛び込んでいても不思議はなかったって思っているんですよ。
りゅういちさん。りゅういちさんは助けられたのですね。
そうかもしれません。それからもいろいろありましたが、明るい昼下りを、外の景色を覚えました。最近のことです。調子が悪い時もあれば、いい時もあることを覚えました。
*
りゅういちさんのメッセージは、次々と送られてきて、結局、それが途切れるまで私は眠らなかった。スマホに浮かび上がった文字は、りゅういちさんのくぐもった声が今そこで発せられているかのように、彼の存在をまじかに感じさせた。
寝床に入って部屋の電気を消した後も、夜の闇の中に欽ちゃんと白い天使の姿が浮かんできて、なかなか寝付くことができなかった。60年前に刻まれた記憶と共に生きてきたりゅういちさんの話をもう少し聞いてみたいと思った。
日付はすでに火曜日になっていた。月曜日には、本当にいろいろなことが起きるのだ。
(つづく)
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