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100年後に銭湯がある為には。

めまぐるしい変化を遂げる現代において、ある意味時間が止まったようにも感じる銭湯文化。
今後も末永く残っていく、残していく為にはどうしたらよいか。

正直なところ、そんな先の事は分からない。

銭湯だけに限った話ではない。
時代にあわせて柔軟に対応しなければならない所もある。
その一方で、変わるべきでない所もある。

混沌の世の中で、銭湯の何が不変であるべきなのか。
私の考え、それは…

「人の温もりを感じられる社交場」

ここ10〜15年の内にスマホが登場し、もの凄い勢いでネット世界が発達して、昔とは比べ物にならない程に、便利な世の中となっています。
今まで簡単に知り合えなかった人とも、様々な障壁を越えて繋がることが出来ます。
しかしその一方で、リアルの人間関係は希薄になっています。
如何に科学が発達したといっても、私たち人間の脳は狩猟採集時代とさほど変わっていないので、本能的にネットの人間関係が理解出来ておらず、どこか満たされない気持ちになっている人も少なくないのではないでしょうか。

そこで重要な役割を担っていくのが、我々「銭湯」であると。

・心をあらう
一時的とはいえ、強制的にネットから切断されて裸で風呂時間を過ごし、湯船に浸かって深呼吸をしてリラックスする。
心があらわれます。
(界隈では、いのちをあらう。とも)

・孤独を感じさせない
知らない人同士で入ってるのに、裸同士だからか他人の様に感じないどこか不思議な感覚。

・人がつながる
スタッフとお客さんやお客さん同士等、銭湯という場所を通して輪が広がる。

これらの心の温もり、人の温もりを感じられる人が増えていけば、例え銭湯の場所がどこであろうと100年後も銭湯は残っていくはずです。
残っていくどころか、逆に世界へ広がっていくのではないでしょうか。

体現していくのは、私たち担い手の役目ですね。

p.s.
まあ足掻いたところで技術発展により、マトリックスの様な世界になるかもしれんので、その辺のツッコミに関しては、一旦置いておきましょう!


伸左衛門(しんざえもん)

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