桂伸衛門 作 「花見泥」
六「こんちは。旦那いますか」
旦「はい。あー、六さんかい、よく来てくれたね。さあさあ上がっておくれ。私もお前さんに来てもらいたいと思ってたんだ」
六「あー、そうですか。なんか用ですか」
旦「いや、用は特にないんだけどね、なんとなく顔がみたいと思って」
六「あー、そうですか。それは嬉しいですね。だけど私もそうなんですよ」
旦「なにが」
六「ええ、私も特に用はないんですけど、旦那の顔が見たいと思って来たんです」
旦「あー、そうかい。それは嬉しいな。だけど互いに用がないってのも寂しいな」
六「そうですね。じゃあなんか用を拵えましょうか」
旦「あー、そうかい。どうしようか」
六「じゃあ、旦那すみませんが、桜がどの位咲いてるか見てきてください」
旦「私が行くのかい」
六「ええ。だって私まだここへ来たばかりですから。それにどうせ今日はまだ表出てないんでしょう。散歩がてら見てきてください。で、旦那が帰ってきて、桜が見頃だってことでしたら、改めて花見に行きましょう」
旦「だったらはなから一緒に行けばいいじゃないか」
六「いや、そうじゃないんですよ。考えてみてください。二人で行って、もしも咲いてなかったら寂しい思いをして二人で帰って来ることになるんですよ。それは嫌でしょ。だからはなは片方が行って下見をしてくるんです」
旦「あー、そうかい。わかったよ。じゃあ行ってくるから、留守を頼んだよ」
六「へーい、わかりました。行ってらっしゃい」
七「こんちは。旦那いますか」
六「はい。あー、七つぁん」
七「あー、これは六さん。旦那は」
六「いや、いま旦那いなんだよ。なんか用かい」
七「いや、用は特にないんだけどさ、なんとなく旦那の顔が見たいと思って」
六「お前もかよ。いや、おれもそうなんだよ。用は特にないんだけど旦那の顔が見たいと思って来たらさ、旦那もおれに用がないって言うんだよ。それじゃあ寂しいからあえて用を拵えて、旦那はいま花見の下見に行ったところなんだよ」
七「あー、そう。それは弱った..ことはないか。特に用はないんだから。だけど旦那に用がない位だから、六さんにも用がないんだ」
六「あー、そうか。おれも七つぁんには用がないんだな。じゃあこうしよう。これからおれが旦那を追いかけて行って、七つぁんがここに来たことを伝える。で、旦那がここに戻って来て、おれが代わりに桜を見に行くと」
七「あー、そう。だけど旦那が戻って来ても、特に用はないんだよ」
六「あー、そうか」
八「こんちは。旦那いますか」
六「はい。あー、八つぁん」
八「あー、これは六さんに七つぁん。旦那は」
六「旦那いないんだよ。なんか用かい」
八「いや、用は特にないんだけどね、旦那の顔を」
六「お前もかよ。なんだかこのうちは用のない奴ばかり来るんだな」
八「それはそうだよ。あんなに忙しくしてた人だけど、今じゃあ隠居の身で、商売は息子さんに任せっきり。町内の役だって祭の世話だってみんな降りちゃってさ。それにおかみさんも亡くなって一人っきり。それで時々顔を見に来るんだよ」
七「あー、お前もか。俺もそうなんだよ。まあ、三人でここにいてもしょうがないから、旦那を追いかけて花見に行こうじゃねえか」
八「だけど、誰もいなくていいのかい」
七「いいよ。どうせ用のない奴しか来ないんだから」
八「あー、そうか。じゃあ出かけよう」
てんで、三人は旦那のあとを追いかけて近所の桜の名所までやって来る。一方、旦那はというと、顔の広い人ですから方々から声がかかって。
「おや、旦那じゃありませんか。さあさあ一杯やりましょう」
「あー、旦那こっちも来てくださいよ」
「こっちも」
「こっちも」
てんで飲まされたもんですから、すっかりいい心持ちになって。
旦「おれは何しにここに来たんだったかな。まあいいか。よし、飲むぞ。踊る。わー!」
なんてんで、大変な騒ぎでございます。そこに三人がやってきて。
六「あー、いたいた、旦那..あれ、ずいぶん酔ってるよ。旦那、旦那」
旦「うん?おー、これは六さんに七つぁんに八つぁん。三人揃ってどうした。なんか用か」
六「いや、やっぱり用はないんですけどね。旦那が桜を見に行って帰ってこないから、どうしてるかなと思いまして。ずいぶんご機嫌ですね」
旦「ご機嫌!ばかなご機嫌。ここに来てみれば、『旦那一杯やりましょう』『こっちも』『こっちも』なんてんで、方々から声がかかって飲まされたから、すっかりいい心持ちになって」
六「それは良かったですね。旦那がこれまでいろんな人を世話してきたからですよ」
旦「有難う。憚りながら、これまで一所懸命に働いて忙しくしてきました。だけど、近頃はうちへ来る人みんなおれに用のない人ばかり。嬉しいんですよ、来てくれるのは。だけどね、これといって用がないというのは実に寂しいもので」
六「あー、旦那旦那。泣き出しちゃったよ。しょうがないね。旦那、私の知ってる店が近くにありますから、そこで飲み直しましょう」
てんで、場所を移しまして、そこでさんざん飲んで、旦那と三人はへべれけになって家へと戻ってくる。
六「さあ旦那、着きましたよ」
と、戸を開けたときに鉢合わせになりましたのが、今まさに盗んだ物を持って逃げようとする泥棒で。
六「あいたたたたた。なんだなんだ。あら、また来てますよ、旦那に用のない人が。あー、お前さんもね、旦那に用なんかないんだろうけども、その風呂敷包み置いて一杯やろうじゃねえか」
泥「あー、は、はい」
なんてんで、この泥棒言われるまま酒盛りに加わりますと、如才が無いもんですから、なんだかんだ話を合わせながら盃を空けていく。ところがこの男、泥棒の割には正直者と見えまして。
泥「ちょいとすみません、聞いてください。私はここに初めて来たんです」
六「初めて?そう言えば見ねえ顔だな。お前知ってるか?知らねえ。お前は?わからねえ。お前一体誰なんだ」
泥「へえ、私はこの家に入った泥棒なんです」
六「泥棒?なんたって泥棒が俺達と飲んでんだ」
泥「へえ、盗んだ物を持って逃げようとしたときに、あなたと鉢合わせになって、弱ったなと思ったら、いい塩梅に酒盛りに混ぜて頂いて、すっかりご馳走になりました。このご恩は生涯忘れません。またちょくちょくこちらに参ります」
六「おい、冗談言っちゃいけないよ。言われてみれば、口の周りに髭生やして、頬被りして、唐草模様の風呂敷包みって、お前見るからに泥棒じゃねえか。どうして今まで気が付かなかったんだろな。旦那、この野郎泥棒だそうですよ」
旦「なにを、泥棒?じゃあ、お前はおれのところの物を盗みに来たのか」
泥「へえ、そうなんです」
旦「はははは、やっと用のある奴が現れた」
(令和3年3月20日「みんなのらくごとおれのらくごとつづきものをやる会」にて初演)
※掲載用に加筆・修正をしております。