桂伸衛門 作 「宛名違い」

夫「やっちゃった」

妻「どうしたの?」

夫「出しちゃった」

妻「何を?」

夫「年賀状」

妻「今、あなたポストに出してきて、今年は久々に元日に間に合うって喜んでたじゃない」

夫「そうじゃないんだよ。早川に出しちゃったんだよ」

妻「あー、早川さんってあなたの親友の。どうしていけないの?」

夫「どうしてって、覚えてないのかよ。早川のところ喪中なんだよ」

妻「あー、そうだったわね。今年お父さんが亡くなって。喪中のはがき来てなかった?」

夫「来てたよ。来てたんだけどさ、今年はやけに多くて、上司とか取引先の人に気を取られて、うっかり早川のところに出しちゃったんだよ」

妻「あー、そう。だけど仕方ないじゃない。電話かなんかでお詫びしなさいよ」

夫「いや、そうはいかないよ」

妻「どうして」

夫「どうしてって、俺とあいつは子供のときからの友達で、少年野球でも一緒だったんだよ。で、そのチームのの監督やってたのがあいつの親父さんなんだよ。本当に良くしてくれてさ。今でも忘れないのが試合の帰り、みんなで親父さんの車に乗ってたんだけど、渋滞にはまっちゃって全然動かないんだよ。俺、その前からずっとしょんべん我慢してたんだけど、耐えられなくて漏らしちゃってさ。シートはびしょびしょになって、友達はみんな笑ってる。ところがあの親父さんは文句の一つも言わないで俺を慰めてくれてさ。うちの両親には『気がついてやれなかった私が悪かった。どうか責めないでやってください』って謝ってるんだよ。それを見たときには嬉しいやら、恥ずかしいやら、情けないやら色々思ったけど、『あー、いつか俺もああいう大人になりたいな』『いつか俺の車でしょんべん漏らす子がいたら、そのときは優しくしてあげよう』って、そういうつもりで今俺少年野球のコーチやってんだよ」

妻「嫌よ、車でおしっこ漏らされたら」

夫「いや、それは冗談だけどさ、とにかく通夜の晩はあいつとさんざん親父さんの思い出話をして涙流したんだよ。なのに・・・年賀状出しちゃったー!」

妻「なんとかならないかしらね」

夫「なんとか・・・あ、なんとかなるよ。今出したばっかりだし。ちょっと行ってくる」

妻「どこに」

夫「ポスト」

妻「行ってどうするのよ」

夫「集荷が来るのを待って、来たら事情を話して返してもらう」

妻「そんなことできるの?」

夫「できるにも何も、そうするしかねぇだろ。(ポストの前で)今2時5分。出したのが15分前として1時50分。前の集荷が12時ちょうどで、その次が3時半ということは・・・間違いなく入ってる。こうなったら誰にもこのポストには触らせないぞ」

「あの、すみません」

夫「はい、なんです」

「年賀状入れたいんですけど」

夫「だめです、他のポストに行ってください。いや、これこれこういうわけで、絶対に出してはいけない年賀状を入れてしまったんです。ええ、いや喪中のはがきは来たんですよ。ところがうっかりしてまして。またその親父さんが亡くなったのが2月だったんですよ。10ヶ月も前でしょ。今から思い出したって、あれは去年のことだったか、今年のことだったかってパッと出てこないってわかります?これ」

「えー、わかりますけど・・・入れるのは問題ないんじゃないですか?」

夫「え・・・?あ、そうですね!すみませんでした。はい、どうぞ。あ、行列になってましたね。すみませんでした!はい、年賀状は左の口です。ごめんなさい、どうも。あ、そろそろ来るぞ。来た来た、あのバイクだ。俺と早川の友情を壊されてたまるか」

「すみません、回収します」

夫「だめです!待ってください。出しちゃいけない年賀状を出しちゃったんです。お願いですから探させてください」

「いやー、それはできないんですよ。決まりですから」

夫「そんなこと言わないで、お願いしますよ。私と親友の一生がかかってるんですから」

「いや、そうは言われてもだめなんですよ」

夫「お願いですから、この通り(土下座)」

「いや、ちょっとやめてください。大丈夫ですから」

夫「大丈夫って、じゃあ探していいんですね?」

「いや、それはだめなんですけど、取り戻し請求っていうのがありますから」

夫「なんですか、それ」

「間違えて出してしまった郵便物の返却が請求できるんですよ。間違いなくこの中に入ってるんですね?じゃあ大丈夫です。まずはこのポストに書いてある郵便局に電話をして、事情を説明してください。その上で印鑑と身分証を持って郵便局に行けば、その年賀状返してもらえますから」

夫「本当ですか?嘘じゃありませんね?嘘だったら生涯恨みますよ。(郵便局)はい!これです、これ!良かったあ。家族全員満面の笑み・・・これが届いてたらどうなってたかな。あー、とにかく良かった。本当に良かった!・・・ってことがあったんだけどさ・・・なにこれ?寺から来た法事の案内。じいさんの七回忌の案内が、なんで2年前に死んだばあさん宛に届いてんだよ。(寺)どうなってんですか、和尚さん」

住「ほう、そのような間違いが」

夫「なに他人事みたいに言ってんですか。なんでじいさんの七回忌の案内が2年前に死んだばあさん宛に届くんですか」

住「それはおじいさんの深い愛情が」

夫「ばかなこと言っちゃいけませんよ。そんなわけないでしょ。ひどいじゃありませんか。ばあさんが亡くなって2年も経って、こないだ三回忌だってやってもらったのに、なんでばあさん宛に手紙が届くんですか」

住「おばあさんの魂は生ています」

夫「ばかなこと言っちゃいけませんよ。今までじいさんの法事の案内は喪主のばあさん宛に来てましたけど、ばあさんが亡くなったんで、うちの親父に宛名を変えなくちゃいけないのをを忘れてただけでしょ。どうなんです?」

住「まあまあお聞きください。手紙というものは元々は消息といって、相手の安否を訊ね、こちらの近況を伝えることにより互いの不安を取り除く役割を果たしました。まあこれは今でもあまり変わりませんが。私はかつて、戦で命を落とした方が家族に宛てた手紙を読んだことがありますが、それはそれは愛情に溢れ、残された方がどれだけ励まされたかわかりません。ですから、亡くなった方からの手紙も、また亡くなった方への手紙もかけがえのないもので」

夫「わけがわかりませんよ。和尚さんの話ははぐらかしてばかりで、当てになりませんね」

住「当てにならない?あー、それで宛を間違えた」

(令和3年4月10日「みんなのらくごとおれのらくごとつづきものをやる会」にて初演)
※掲載用に加筆・修正をしております。



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