【和泉愛依】クラスメイトがアイドルだったときの思い出

居場所のない学校生活を耐え抜く。これが当時の私にとって最大の課題であり、生存そのものであった。

いや、今にして思えば居場所はあった。教室を前後左右に分けた時の交点から一つ後ろ。そこが私の座席だった。この位置は、生徒たちが休み時間のたびに井戸端会議を行う場所のすぐ後ろでもあった。私の在籍地はそこに確かにあったのだ。だが、この教室に私の居場所はなかった。同じ時期を同じ地域で過ごしている、奇跡的な人間の集団が目の前にいるにも関わらず、その輪の中心までの精神的な距離は天文学的にも思えた。

担任は席替えを行うことを好まず、皮肉にも私は一年間、教室の物理的中心に居座る羽目になってしまった。少しでも席を離れようものなら、たちまち誰かに椅子を奪われてしまうのが嫌で、可能な限り、眠った振りをして時をやり過ごすようにしていた。

目の前の集団から発せられる煌めきは、まるで銀河のように美しかった。その太陽系に私も加われないものかと、幾度となく声を掛けようとしたことがある。しかし、声の出し方からしてすでに忘れてしまっていた。いや、もっと正確に言うならば、過去にそうした営みを通じて経験した失敗をこれ以上思い出したくないし、私の力では、どうあがいても古傷に塩を塗る結果となるのは明らかだった。だから、すべてを忘れたことにした。金輪際、つらい思いをしたくない。そう思っていること自体、もう忘れてしまいたかったのだ。

本当は誰かに話しかけて欲しかった。誰かに声を掛けてもらいたかった。孤立した天体の中で膨張した思いはやがて屈折し、私を変わった軌道へと促した。

ある日の休み時間。学校鞄から糸蒟蒻を取り出し、カッターでさらに細く切り裂いた。手持ちの物差しでは測れないほどの細さに割いた糸蒟蒻をざるに揚げ、水にさらしてヌメリを切る。そうして少し洗うと、糸蒟蒻はサラサラになる。なぜこの行為を選んだのかは覚えていないが、どうにかして私のアイデンティティーの基盤となる活動が必要だった状態から、必死に編み出した方法だった。「トリッキーである」ことが私にとって唯一の生存戦略だったのだ。

狙いは大成功し、「キモい」という言葉とともにクラスメイトが私に注目を浴びせたのだった。これに鼻を伸ばした私は、休み時間の度に、糸蒟蒻を取り出すようになった。だがしかし、変則的な行為もまた、数日経てば恒常的なものへと変わる。週が明けた頃にはもう、私に視線を向ける人間はひとりとしていなくなっていた。それでも私はその状況を認められずにいた。それどころか、「学校でこんなことしちゃう私ってやばい」という新たなアイデンティティの獲得に執着することで、傷つきそうな自我を保っていた。

そんな私に話しかけてくれたのが、クラスメイトの "金髪の人" であった。というのは、私は誰にも興味を持っていなかったため、それが誰であるかはわからなかった。ただ、彼女が持っていた『金髪』という記号は、私にとって彼女の印象を把握するのに十分すぎるくらいだったのだ。

机の上で丁寧に並べられた糸蒟蒻を見た金髪の彼女は「やべー。間仕切り...的な...?」と言った。驚いた。私への指向性を持った声を聞いたのは、いつぶりだっただろうか。何を返すべきかと考える間もなく、私の体はこの瞬間をずっと待ち侘びていたかのように反射する。「暖簾...かな」。

何を話したのかは覚えていない。いや、話したというほど多くの言葉を交わしたとは思えないのだが、その瞬間、確かに生存の実感を味わっていた。ただ記憶していることは、私はクラスメイトの名前をほとんど記憶していなかったが、一方の彼女は、はっきりと私の名前を呼んでいたことだけだ。

面白いことに、そうして他人に一切の興味を払っていなかった私ですら、他人から名前を呼んでもらえると強い高揚と恍惚を憶えるものであり、それと同時に、私も彼女の名前を知りたくなって、次の休み時間には糸蒟蒻のことも忘れ、トイレへ立つ振りをした行きと帰りの二度、教壇に貼られた座席名簿の中からたったひとりの名前を確認した。

もっとも左側の列、前方に居ながらにして、いつも教室の中心であった彼女の『和泉愛依』という名前を。

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