2020/4/28 想像力という魔物

【2020/4/28 想像力という魔物】

火曜日の朝。昨日、今日は意外にやることが多くて、早くから始動しています。

最近は夜にテレビのニュースをはしごすることが多くて、ついついテレビっ子になりがちなんだけど、昨日は10時半くらいに何だか見たくなくなって、電気を消して、寝た。

いつもより爽やかなような、消化不良なような、どっちもつかずな朝です。

私は仕事柄ということもあって、医学的なニュースを立て続けに見ても基本的に全然平気なのだけど、こういうものに触れなれていない皆さんには、きっとストレスになる要素の方が多いのだろうと思います。

さて、想像力の話。

日本の陽性者数の「増加傾向」のトレンドが明らかに下がってきて、いよいよ5/6と暫定的に定められた「緊急事態期限」の解除如何への関心が高まっていることを感じる。あくまで減ったものは増加傾向なのであって、患者さんは相変わらずコロナ感染症病棟にはたくさんいるし、医療機関の逼迫が収まったわけではない。
自粛解除についても、<あんまり期待していない>という人も多いのだと思う。それでももう一方には、その日が来れば世の中は元に戻るはず、と信じている人もこれまた大勢いるのだ。

そもそも、今の降下トレンドは、もともと存在する「指数関数的な感染者数の伸び」という感染症一般の伝播様式のありかたと、「強力な自粛」という強い修飾因子を組み合わせた算数になっているので、非常に直感的にはわかりにくい。
想像力の大小や、そもそも想像するということが習慣になっているのかどうかということでも、大いに変わってくる訳だ。

想像力なんていうものは善悪ではない。当然、人間として、想像力に長けている人が上とか下とかいうものではない。実際、私なども、こどもの時からずっと、何かにつけて想像力を極限まで突き詰めてみたいとことがあって、あとから振り返って、非常にうまく機能していたときもあれば、全然当て外れだったことも、それはそれは多い。

余計なことを考えずに目先のことに集中できればな、と思うことも何度も経験した。

端的に言うと、自分にあまり身近になった想像力がうざったくなることがある、ということです。それも、一度や二度でなく。

一方、見るところ、想像力を働かせることが習慣になく、この時勢においても、現実の積み重ねで行動している人も多い。私も齢五十後半を過ぎているので、そういう人が世の結構な割合を占めているようであることも学んでいる。
重要なことは、政治家も含めて、世の中の重要な地位を占めている人たちにも、そういう人たちがたくさん分布しているということである。繰り返すけれど、どちらが正しいというものでもないし、想像力流と現実力流を組み合わせている人もまた、多い。

そういう中で、今我々がやることを「合意」していくことは芸術的なまでに難しい。

普段は「社会で同じことをやる」ことなど必要なかったわけで、ここでそれを急に求められているので、誰もが戸惑い、途方に暮れている(人ばかりでもないかな…)訳だ。

であれば、だれかパキっと明確なメッセージを出す人に「乗りたい」と思うのだろうけれど、それをできる人も居ない。政治家であれ、科学者であれ、経済側に立つ人たちであれ。

ネット上でいくつかの極論を展開する論客は居て、それはそれで痛快な読み物であったりするけれど、少なくとも私にとっては「読み物」の域を越えません。私自身も、読み物しか書けていないと思う。

想像力という人間にもたらされた天賦の存在を我々が持て余すのか、有効活用するのか、風に任せるというようにもいかないだろう。そう、風にはウイルスが乗っかっているのだ。

私にとっては、5/6は何の終わりでもないけれど、ひと月前とは違って、何らかの意味がある<区切り>であるとは思っています。

まずは区切りまでは、<Remain and Think at Home>。

2020/4/28 Die革命グループ主宰・医師 奥 真也

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