書評:エドワード・W・サイード『オリエンタリズム』
論人にとっての抽象と具象を考える
今回ご紹介するのは、パレスチナ出身の批評家エドワード・W・サイードによる『オリエンタリズム』である。
※以前投稿した『知識人とは何か』の著者でもある。
まずは本著の概要です。
本著は、サイードによる西洋優越主義に対する「挑戦の書」であると言えよう。
サイードは本著において「オリエンタリズム」という言葉を、「西洋における東洋に対する1つの典型的な思考様式」、具体的には「西洋が自らの内部に認めたくない資質を東洋に押し付け、東洋を不気味なもの、異質なものと規定する態度」という意味を込めて使用する。そしてそうした「オリエンタリズム」の実例を精緻に調べ上げ、列挙することでファクトを積み上げながら、東洋に対する西洋の態度に内在する優越感や傲慢さ、偏見を痛烈に批判したのが本著である。
以下は私の感想です。
こうした「オリエンタリズム」的な態度というものは、「西洋vs東洋」という対立軸に限定的に存在するものではない。むしろ、「自己と他者」という極めて一般的な図式、抽象化された図式に通用する古くからの哲学的命題であると言ってよいのではないかと考える。言わば、自分の考えとは異なる他者を「異質なもの」としてレッテル化し、軽蔑し、傲然と批判する態度一般だ。こうした態度が蔓延する趨勢は、現代において益々時代を体現する精神性となってきているような気すらする。
しかし、サイードは決してこのテーマを抽象化したレイヤーでは語ろうとはしない。あくまで「西洋vs東洋」という具象的なレイヤーでの議論に終始している。
それは何故か。
それは、本著においてサイードが、パレスチナ出身でありパレスチナ問題における当事者として、自らの出自に「直接的に」関わる問題群を取り扱うための基盤として、自身にとってリアルな問題群に言論・批評を展開するための基盤として、あくまで具象的な問題に対する立論を展開することにこだわったからだと思えてならない。ここにサイードが言論人・批評家・論客としての基本的なスタンスを見ることができる。
仮にそうだとした場合、本著におけるサイードの主張は全体を俯瞰した第三者的立ち位置による平等・公平な立論という性質は後退することになる。つまりは、議論の当事者としての立ち位置からの主張は、彼の言説にも他者に対する何かしらの偏見や傲慢が潜み得ることは避けがたいものとなるであろう。
しかし私は本著を読み、サイード自身がそのことを一番分かっているのだと感じた。それでも彼は、あくまで「パレスチナ出身」という少数派・マイノリティの立ち位置を譲ることなく、「オリエンタリズム」に当事者として対抗する道を選んだのだと思われる。
これは、「自己と他者」というテーマを一般化・抽象化した基盤からだけではどうしても演繹し切ることのできないような、現実の困難な問題群に対する具象的な解決策を思弁していくための方法論的選択だったのではないだろうかと考える。
まるでサイードの心の声、サイードの決意が聞こえてくるようだ。
「自身の主張が自身に跳ね返ってくることも甘受しよう。だから、喧々諤々と議論しようではないか!」(←KING王の妄想)
時に私はサイードを「骨のある批評家」と評する。
それはこうしたイメージに依拠しているためかもしれない。
私が冒頭において本著を「挑戦の書」と評したのは、そういう意味だ。私には、サイードは学術的にこのテーマに臨んだのみならず、1人の論客として本著を著したと感じられてならなかった。
彼には別途『知識人とは何か』という著作があ流(紹介済)。そして彼の定義するところの「知識人」という役割を、徹底して貫いているのが本著のスタンスであると言えるだろう。言わば、「少数者・周辺的存在による自己主張の表明、言論戦」といったところだろうか。
議論の抽象化による超然とした立論をあえて行わず、問題の具象性に身を置き論陣を張るサイードの気骨。非常に迫力のある作品だというのが私の感想だ。
読了難易度:★★★☆☆
言論人が取るべき具象度伝わる度:★★★★☆
論客の気骨ビンビン度:★★★★★
トータルオススメ度:★★★★☆
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