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書評:ドストエフスキー『二重人格』

初期のドストエフスキー作品に見る「地下室的」人間の原型

今回ご紹介するのは、ドストエフスキー『二重人格』(訳者によっては『分身』)である。

ドストエフスキーにとっては2作目であり、かなり初期の作品となっている。

そして何より、私にとっては自分の醜い姿を見るようで辛く、でも自分を鍛えてくれることにもなった、大切な作品の1つとなっている。

まずは作品のあらすじだが、ある日、主人公ゴリャートキンと外見が瓜二つ、だが周囲からの評価が全く異なるという第2のゴリャートキンが登場し、ここから主人公が狂っていく、というストーリーとなっている(こうした現実には起こり得ない設定は、ゴーゴリの『鼻』を思わせる部分がある)。

本作の面白さは、ゴリャートキンの狂気は新ゴリャートキンが登場してから始まったわけではない、という点にあると思われる。

ゴリャートキンは、虚栄心が強いが小心者で、自身の挙動や判断にいちいちもっともらしい理由を作り上げるタイプの人物。だが実際には、自身の挙動や判断の結果はいつも決まって彼が本当に望んでいる形とは異なってしまう。周囲に対して、そしてそれ以上に自分自身に対して言い訳がましく、そしてそのことに自覚がなくいつまでも内省できないでいる。言わば、元々からして分裂的な人物であると言えるだろうか。

そんなゴリャートキンに対し、新ゴリャートキンは迷いの全くない行動的なタイプで、ゴリャートキンの望む栄達(周囲からの評判など)を次々とを手にしていく。

極端に対極的な人物を持ち出すことで炙り出されるゴリャートキンの本質は、小心な自分を受け入れることができない、自身のネガティブな側面を肯定することができないという「臆病さ」にあるように思えた。またそれは、自分の弱い側面に、実は、本当は、気付いていながら気付かないフリをしている、自分に嘘をつき自分から目を逸らし続ける姿とも言えるかもしれない。

突飛な設定を持つ本作ですが、若きドストエフスキーにも人の「性根」を鋭く描く筆力が存分に伺える作品だ。

私が本作を読んだのは学生時代のことだった。

自分が俗物であることが受け入れられず、人の目を気にしてばかり、人から評価されたい欲求が抑えられない未熟さがあった。またその反動で、人のことを素直に評価できない、粗探しをしては悪口ばかりが浮かんでしまう嫉妬深さもあった。

なので、主人公ゴリャートキンを見る時、自分を見るようで辛かったことをよく覚えている。

頭や気持ちの中だけで、自己完結で自分を見つめ自分を知るということは、私には難しかった。そんな私にとって、文学に登場する私のような人物は、私自身を写し出してくれる鏡のような存在になってくれた。こうした作品は枚挙にいとまがない。

自己認知、自己理解という面で思い出深い作品に、本作は確実に含まれている。

夏目漱石の『明暗』、『道草』。
中島敦の『山月記』。
フローベールの『ボヴァリー夫人』。等々。

読書は、自分の内面への旅となる側面があると思う。私は、読書、特に文学・小説に心や感情を育ててもらったように感じている。これまでに出会った作品には感謝の気持ちすら湧くし、これからの新たな作品との出会いも楽しみだ。

読了難易度:★★☆☆☆
虚栄心描写の精確度:★★★★☆
思春期にオススメ度:★★★★☆
トータルオススメ度:★★★☆☆

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