型破りと型なしの違い
プロフェッショナル仕事の流儀で
庵野秀明氏が、絵コンテなし」の作品作りを
シンエヴァで行った事が放映された
それに対して岡田斗司夫氏は『王立宇宙軍』の頃のパートナーの山賀氏の方法論だと
YouTubeで述べ、
当時庵野氏は「山賀は絵コンテを描けない」と
バカにしてたと伝えていた。
コレって事象としては同じ手法なんだけど
意味合いが全く異なると思う。
一方は、絵コンテが実際に描けない人間が
作品作りをする上で編み出した
謂わば型無しの状態から作り出したもので
0から生み出したという事に置いては意味がある。
しかし、土台も何もない
偶然の産物によるものだとすれば
このアプローチが失敗したときに
後がない。
もう一方は、絵コンテが描ける人間が
絵コンテの限界を感じ
型を破る為にうみだしたもので
絵コンテが作れるという土台がしっかりある。
そのため、このアプローチに失敗しても
また新しい手法を考える事も
絵コンテに立ち戻る事もできる。
コレって同一事象でも全然意味合いが違うと思う。
それを同一と捉えるってのは
個人的には違うと思った。
でもこういう、エッセンス的な物を求める人が
多いから、薄っぺらいhow to本が
流行るんだろうな。
本質理解してないと手法だけ真似しても
全くうまくいかんと思う。