第122話 フラッグシップカー
1984年
久しぶりに研究所に見えられた本田さんから、「レジェンドは、デザインが悪いから売れないんじゃないのか」と。初代「ホンダレジェンド」はローバー社との共同開発で誕生した車。一つの基本パッケージをもとに、ホンダとローバー社がそれぞれに異なったデザインをつくり上げた。
ホンダ側のコンセプトは、その特徴を「速く走る」という一点に絞り、「ワールド・ファーステスト・エグゼクティブ・サルーン」と定め、従来の日本の高級車とは一線を隔し、かつ、ベンツやBMWとも異なった路線をと、ホンダのF1に繋がる「スポーティイメージ」を強く主張した。
その結果アメリカでは、ヤングエグゼクティブに歓迎され独自の市場を確立し、出来たばかりの販売チャンネル「アキュラ」のフラッグシップカーとなる。しかし日本市場では、このクラスで君臨する「クラウン」や「セドリック」と一味違う存在をと期待したものの、発売当初から苦戦を強いられた。本田さんの投げかけは、まさしく「原因はデザインにあり、早く手だてを」である。
クラウンやセドリックは見るからに高価そうである。が、レジェンドは、「運転手付き」を前提としたクラウンやセドリックとは違い、言わば高級ドライバーズカーを標榜した車。そういった想いが内外装のここかしこに色濃く表現されている。スポーティさを強調するため、ルーフやボンネットを極力低くしたウエッジ・シェイプとし、かつ、グラスエリアの大きい開放的な車にと考えた。
室内も、低い着座位置や視認性の良いメーター類、操作性に優れたスイッチ類などで、やはり早く走るイメージを強調した。さらに開発が進む中、当時の日本特有の税制により、3ナンバー車の市場が極めて小さいということから、5ナンバー車も同時に開発することになる。
日本での「レジェンド」は、「シビック」「アコード」と乗り継いできたホンダファンには好評を得たようであったが、一般的な人気を博するまでには至らなかった。このクラスの車を買うお客さんは、セールスマンが長い間かけて通い詰め、信頼関係を築いてから初めて商談に、というやり方に馴れている。
その点、商品の性能や個性を武器に、店頭販売を得意としてきたホンダ流は最初から不利であった。このクラスの高級車は、T社の宣伝用のコピーに「いつかはクラウン」とあるように、功なり名を遂げた人が、「双六の上がり」のごとく、最後に辿り着く車なのである。
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