第141話. お母さんのおにぎり
1987年
「腹へって死にそうだと言う人に、すき焼き肉を買いに行くから待っていてくれ、と言うのか」と本田さんに一喝された。経済成長は留まるところを知らず、人々の車に対する嗜好も、より上級にラグジュアリーにと向かっていた。他社はこの傾向をいち早く捉え、上級小型車を続々投入し絶好調。ホンダはこうした動きに手をこまねき出遅れていた。
この手の車は、ホンダが中々攻めきれずにいた領域でもある。日本の市場では若い頃はホンダでも、大人になると他社に行ってしまう傾向にあり随分と悔しい思いをしてきた。今度こそはとアコードシリーズの中に、5気筒エンジンを搭載した上級セダン、インスパイアー/ビガーを加えたのであるが。
それにも拘らずの厳しいご指摘。やれ技術だ、性能だのと頭でっかちになって今この瞬間、お客さんが本当に欲しいと思っているものを素直に提供できていない。先のすき焼きより今のおにぎりだ。世の中のニーズに敏感でないデザイナーは失格だと言われたようなもの。
さてその「おにぎり」だが、以来私は、モノづくり(デザイン)とは「お母さんのおにぎり」のようなものと思うようになった。母親が子供のためにおにぎりをつくる時、大抵の場合、材料はあり合わせである。が子供の好みは熟知しているし、手の大きさ口の大きさ、食べ方まで全て知り尽くしている。そして子供の食べている状況や喜ぶ顔を思い浮かべながら、堅過ぎず柔らか過ぎず「心を込めて」にぎる。
だから子供は、母親のつくるものに絶対の信頼をおいているのだ。そしてそのおにぎりが毎日のお弁当なのか遠足や運動会のものか、何時何処で食べるかによって母親はおにぎりの種類とつくり方を変える。まさしくこれは「マーケットイン」そのものと言ってよい。
まもなくして90年初頭、日本のバブル経済がはじけた。そしてホンダはヒット商品をもたない辛さを、いやと言うほど味合うことになる。NSXもビートも徒花となった。
どん底の状態の中で、「次は失敗しないぞ」と心に言い聞かす。しばらく後、「RVを一日も早く」というお店からの悲痛な声に答えるべく「ホンダオデッセイ」の開発にその想いをぶつけた。気持ちははやるものの、人も、金も、技術も、つくる工場も思うようにならない「ないないずくし」の中、よく「お母さんのおにぎり」の喩えを出して、若い連中と励まし合った。オデッセイは「お母さんのおにぎり」にあったのかも。