千字薬 第10話.無我夢中
1966年
毎日のように、私は、狭山製作所の中にある第三工場(現在のホンダ・エンジニアリング)にいた。この工場は、社内で使う金型や治具、溶接機、工作機械の設計・製作を担当している。ここで「ホンダN-360」の金型線図が、研究所でつくった外形図をもとに進められていた。
「外形図」は、研究所におけるボディ設計と試作車製作のために使われるが、「線図」は金型製作に使われるため、外形図に対しはるかに高い精度が要求される。この工場ではこうした線図作業とともに、平行して、外形図をもとに外観確認モデル(のちのモックアップモデル)がつくられていた。
私は外形図を描いた立場として、「線図」と「外観確認モデル」双方の立会いの役目を受け持つ。日ごとに、エポキシ樹脂製のN-360の姿が出来上がってくる様は、なんとも感動的であった。
そんな中一つのミスが発見された。このまま進めると、全幅が1300ミリの軽自動車枠をはみ出してしまうというというのだ。外形図には、ホールアーチの断面をフロントホイールセンター部の一カ所だけしか指示していなかった。その位置では1300ミリ以内に入っているが、断面がそのままドアの方に向かうと、だんだんと全幅が広くなる。そしてついに、ボディ側面の張りが一番大きいところでは、1300ミリからはみ出してしまう。間一髪、ホールアーチの断面を変更して事なきを得る。作図で何でも出来ると過信していた私に、神様からの鉄拳であった。
そんなところに、また大きな変更が入った。夢からたちまち現実へ、大設変(大きな設計変更)である。開発当初、サイドのガラスはフラットでドアガラスは、前後スライドの開閉式だったが、それがカーブドガラスに変更され、今の車のような上下開閉式となる。すでに外形図をもとに、大物の金型(サイドパネルやルーフ)が進んでいたから、センターピラー部だけがガラスの曲面に追随できたものの、フロントとリヤのピラー部分は間に合わず、やむをえず、フラット仕様のままで発売することになった。
何しろ、いろんなことが横一線に並んで一緒に進んでゆく。何が起こるか分からない、即興劇の真っ直中にいるようだった。まだ、フリータイムの恩典のない平社員だった私が、東京のアパートと和光の研究所と狭山の工場を、毎日どのようにして飛び回っていたのか、きっと、ものすごい大きなエネルギーに引っ張られ、「無我夢中」に動き廻っていたのだろう。