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第115話.エアロデッキ誕生

1983年

3代目「ホンダアコード」4ドアセダンのコストを、目標値におさめるため、急遽サスペンションを「ダブル・ウィッシュボーン」から「ストラット」に変更することになり、デザインはその影響で、ボンネットを30 mm高くするための大改修に入っていた。
しょ気切っている私を見てLPLは、「ダブル・ウィッシュボーンは止めずに、目標の性能(ファミリーカーとしての乗り心地とスポーツカーの走破性の両立)を引き出せるまで頑張り続けるから」と言って慰めてくれた。
次の評価会には、サスペンションの変更でボンネットが30 mm高くなったクレーモデルと、数千円下がったコスト表を揃えて臨むことになった。
ところが評価会では、今度は本田技研専務から、「コンセプトに書いてある通りの車にしてよ」と言われ、みごとに評価会は落ちてしまった。両方の頬っぺたを叩かれてしまったことになる。が、よく見てみると今回の企画書の基本コンセプトは、「ダブル・ウィッシュボーン・サスペンション」の時の企画資料そのままであった。
工場に図面を移管する期限も近き、気が気でない毎日が続く。そんな時、密かに進めていたダブル・ウィッシュボーン・サスペンションが、相当いけそうな性能になったとの情報が入る。
次の機種検討の山篭り(検討会)に向かうため、車には本田技研専務と研究所副社長、それにLPLと私が乗り合わせていた。副社長が時を見計らって、「サスペンションをもとのダブル・ウィッシュボーンに変えたいんですが…」と専務に持ちかけてくれた。
「帰ったら乗ってみよう」と言うことになる。山篭りから帰るなりすぐに試乗、たらたちまちOK。即断即決だった。デザイナーたちは小躍りして喜び、すぐさまボンネットを30mm削り取った。コスト低減にも励みが出る。難しいことへ、敢えて挑戦し続けた成果であった。
こうして復活した「ダブル・ウィッシュボーン・サスペンション」と「30ミリ低いボンネット」は、国内用のニュー・コンセプトカー「エアロデッキ」や、のちに生まれたアメリカ用の「2ドアクーペ」など、スポーティなバリエーションをつくる土台となる。
そして、この「3代目アコード」は、見事、その年の日本カー・オブ・ザ・イヤー大賞を射止めるに至った。さらに、アメリカではインポート・カー・オブ・ザ・イヤーを、ヨーロッパでは日本車として始めて、カー・オブ・ザ・イヤーの3位に輝いたのである。

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