第214話. ホンダ・アイデンティティ
1997年
「最近、いろんな人から聞かれてね。僕は、答えようがなくて困っているんだ」、と本田技研社長から。そして、「中々できなかった例の件、研究所専任になったのを機に、何とか進めてみてもらえないかな」と切り出された。
兼任していた本田技研の役員を退任し、研究所専務としての業務に専念することになって間もない頃のこと。例の件というのは、これから先、21世紀の「ホンダのアイデンティティは、如何にあるべきか」を考える、と言うことである。
実はここ何年か、この件についての議論を重ねてきたが、バブル崩壊後の立て直しに追われると同時に、販売やサービスの最前線からの「他社のような売れる商品を」という声への対応だけでよいのかとの悩みを抱えながら、やむなく先送りされてきた。
が、このままの状態で、この先、厳しい競争を生き抜いていくことの難しさは、私ならずとも理解はできる。「何をもって存在を期待されるか」、いつにそこにかかっている、と言って良い。
幸いなことに、ホンダはバブルの後遺症から素早く立ち直り、収益も人が羨むほどになった。この先も何とかやって行けそうな見通しも立ち、再びこの課題について本格的に取り組みたいとのお考えのようだ。少なくとも10年先のことを、である。
本田さんが、浜松に、町工場同然の小さな会社を興されてから50年経つ。何度かの苦難を乗り越え、会社はこうして在る。その本田さんも今はいない。今年で8回忌になるはずだ。そして20世紀は、間もなく終わろうとしている。
新しく来る世紀のホンダはどうあるべきか。また会社として、いったい何を一番大事とすべきなのか。間違いなくこの先、本田さんの名前もイメージも少しずつ風化していく。それに、どのようなお気持ちで会社を興し育て上げてこられたのか、それさえもやがて解らなくなってしまうだろう。
さらに言うなら、そもそも「ホンダ」とはいったい何なのか、そろそろ、分かり難いものになってきている。「エンジン製品メーカーである」と言うのは、答えではない。それには違いはないのだが、それでは他の日本の、西欧の、アジアの後発の、あまたあるメーカーと、一体どこがどう違うと言うのか。
他との比較や相対で考えるのではなく、自分自身が何なのか、どうしたいのかを、明確にする必要があると感じた。それには、極めて難しいことではあるが、本田さんに成り切ることなのだと思うようになった。