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第73話. 地獄を見た

1976年

またまた本田さんの雷が落ちた。初代「ホンダアコード4ドアセダン」のデザインがまとまらず七転八倒していた。高級感については自分なりに勉強もし、少しは分かってきたつもりだった。が、それを形にするのは難しい。とうとう「これだけ言ってもまだ分からんのか!」と怒鳴られてしまった。
言われていることはよく分かっている。じゃ「ご尤も」と腹の底から言えるかいうとそうも行かない。が、同じ事を何度も言われるとだんだん踏ん張りが効かなくなり、ついこの次は叱られないようにとか、上手く切り抜ける方法はなどと考えるものだ。
反対、反対では、強い意志を持つものに敵わない。小手先の姑息なやり方はすぐにばれる。デザインの方はますます自分の想いとは反対の方向に。チームの連中からは、「こんなギンギラの車、俺たちは買わない」と。自分の力で何とか、本田さんとチームの言い分を同時に叶えられないかと日夜考えた。が、所詮そんな魔法のような力はない。叱られる度にどんどん落ち込んでいった。
そんなある日、所長付が見えて、「ところで、どうしてる?」と。「分かってるくせに」との気持ちも手伝い、「地獄を見てます」とつっけんどんに答える。「それは大変だね、でも私なんか毎日、地獄の中から見てるよ」と穏やかな顔。私はその時ハッと我に返った。
一人で苦労を背負った気になり、粋がっている自分が恥しかった。「地獄の中」は外から見ているよりもずっと怖いだろうが、この際、思い切って入ってみるしかないなと開き直った。
どうすれば入れるのか。子供の頃から「怖かったら、目を瞑って行け」と言われてきた。ならば一番怖い所にと覚悟し、目を瞑って本田さんの胸の内に飛び込んでしまおうと決心。本田さんと一心同体なら、本田さんが想うことは私自身も同時に想えることになる。
自ら想ったことをやるのだから叱られることもない。そう思ったら急に気が楽になった。が、「本田さんなら、きっとこう想うだろう」と考えるのは、大変なことだと間もなく気付く。以来、枕元にメモ帳を置き、寝ても覚めてもという日が長く続いた。
「愛一行、幹一行」という言葉に出会う。好きなことをやること言われた通りやること、徹してやれば結果は同じ。若い頃は力もないのに好きにやりたがる。が、言われたことを徹してやるうち、いつの間にか好きになり自分のものになる、という意味。師とも親とも仰ぐ「恐ろしい人」がいての話だが。

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