第148話.本格スポーツカー
1989年
久しぶりに、本田さんが研究所に見えた。最新のモデルをご覧になりたいとのこと、私はその役目を仰せつかる。デザイン室では、本格スポーツカーのクレーモデルの制作が進められていた。
本田さんは若い頃、手作りのカーチス号で自らハンドルを握ってレースに臨まれ、S600 を世に送り出し、世界の舞台でF1レースを戦ってきた方。80歳を過ぎたとは言え、本格スポーツカーに興味がない筈はない。そんな気持ち抱きながら、モデルの案内役をつとめた。
そもそも、この本格スポーツカーの実現は、私のみならず開発部隊にとってS600以来の夢であり、所員誰もが、自分の手でと願っているところ。また企業イメージから見ても、いつかは当然と、周りからも期待されていた。
そんな中、アメリカからの要望でアキュラチャンネルの象徴にと、「スポーツカー」の話がもち上がったのである。この頃、N 社のフェアレディZ280がアメリカの市場で根強い人気を維持していた。そんなこともあり、「V6、2プラス2、タルガトップ(オープン)、3万ドル以下」が営業の要望として出される。
「速く走る」のは、ホンダとして当たり前と言ったところ。この頃アメリカで、レジェンドの売価が2万8千ドルくらいであったところからみて、3万ドルを切るスポーツカーをつくるのは容易でない。そこで当初、レジェンド・クーペをベースにして検討を始めたが、「高い、走らない、格好悪い」で、イメージを落とすからと早々にボツとなってしまう。
その後、高回転、高出力の4気筒エンジンという話も出たが、ヨーロッパならともかくアメリカでは、とアメホンはあくまでもV6に拘った。困ったのは研究所である。F1の覇者がつくる「V6エンジンのスポーツカー」、それも営業の要望する価格で売れるものとなると、およそつくれそうにない。
果たして、ブレークスルーする手立てはあるのだろうか。何はともあれ、まずはスポーツカーとは何なのかを知ることが先決と、チーム全員で、裏磐梯にあるヨーロッパ風の瀟洒なホテルに集まり、世界の名車と言われるスポーツカーを体で感じてみることになった。
さすがに、フェラーリ、ポルシェ、コルベットは伊・独・米が誇るスポーツカーで、それぞれに個性的な「スタイルと走り感」を備えている。乗っては議論し、議論しては走り、これが毎日続いた。そして、だんだんと、自分たちがつくろうとしている車の大変さに気づき始めた。