第14話.とことんやる
1967年
その日から実車との睨めっこ。街で見て気になったところを、デザイン室に戻って確認する作業が繰り返された。やり残したところの最大は、開発の過程で急遽、側面のガラスを平面から曲面に変更した際に修正が追随できず、前と後から見て、稜線が直線のままになっている前後のピラー(柱)である。
この各ピラーの稜線も全て、直線から曲線に修正しなければならない。これによる数ミリの変更は、前後両側のピラーとルーフの金型の大改修に繋がった。事が余りにも大きいのでおろおろしていると本田さんが、「金型工場に行って、工場長に説明してこい」と。
この手の伝令はN360の量産立ち上がりまでに何回も経験し、行く度に「また、おまえか」と言われる程に。お陰で工場長からは「設変(設計変更)の使者」というあだ名を頂くまでになったが、今回は少しばかり桁が違う。
私が行くと、すでに首脳陣が集められていて、「おっ、設変の使者が来たぞ」と迎えられた。すでに連絡が来ているらしく少し気が楽に。説明を終えると、さすがにみんな「うーん」と唸った。しばらく沈黙のあと工場長が口を開き、「一度、納得の行くころまで、とことんやってみろ」と言ってくれた。
戻って本田さんにその旨を報告すると、「そうか」と一言。作業が本格的に始まる。もう、開き直ってやるしかない。結局この大掛かりな修正によって、これが同じ車かと思うくらい張りのある姿になった。例えば、重病人が健康体になったくらいの変り様である。誰もがそう感じた。
クレーモデルをとことんやり切ったところで、変更内容をすべて量産車に適用することになる。そのとき工場長から、「おい、設変の使者よ、これまでいくら金を使ったか知っているか。一台分の金型がつくれる位なんだぞ。おまえの勉強代だと思えよ」と言われた。この言葉は一生忘れない。肝に銘じての30有余年であった。