第63話.開発記号653
1974年
1974年、この頃のホンダは、初代「ホンダシビック」の成功の余勢を駆って、行け行けドンドン的エネルギーが漲っていた。続く「653」という機種も、すでに死に体の「ホンダH1300」に代わる車として、大いに期待されている。
開発のキックオフにあたる説明会で、この車に登載するエンジンが2リッター・CVCC・縦置きFF6気筒と知らされた時は、さすがにみんな驚いた。「今回はエンジンが先導している」と誰もが感じたようだ。
またその席で、この頃アメリカで大ヒットしていた欧州フォードの「カプリ」が話題となり、この車に勝つことができれば、アメリカでの活路が開けるだろうと意見が一致。日本車ではT社の「セリカ」、この車も日本ではスポーティなスタイルが評判で話題に上る。
レイアウトの考え方は、シビックがライフをベースにしたように、「653」はシビック5ドアをベースに組み立てることになり、シルエットは、シビック同様ファーストバックスタイルが採用されたが、ハッチバックタイプではなくトランクタイプとした。ハッチバックタイプは一般的に見て、まだまだ大衆車のイメージが強かったからだ。
1/1クレー(粘土)モデルは、スポーティなものと実用的なものの2案で進めることになる。双方のモデルができ上がったところで、議論の末「ホンダらしさ」を強くとの考えに基づき、背の低いスポーティな案が採択された。
その後、アメリカ人の体型を考え、多少スポーティさは犠牲にしてもと、車高を少し増やしたり室内長を伸ばしたりで、最終的には両案の中間くらいのシルエットに落ち着く。
しばらくして待望の試作1号車が完成し、みんなで乗る機会を得た。私もハンドルを握らせてもらったが、期待した感動は今一つ。残念ながら「切れ味の良い走り」が体感できなかった。みんなもそう思ったらしい。
試乗から帰った後、「これなら」と言うところまで持っていくのに、テスト部隊は相当苦労したようだ。が、やっとの思いで車が仕立て上がった頃、経営会議が開かれ開発の中止が決まった。金型も相当進んでいたし、新しい機械も調達済みという中、経営陣の決断も大変だったと推測する。
そんな折、入社当時に研究所の所長をされていた本田技研専務から、「今回の決定は経営上の判断によるものだから、君たち開発チームは心配しないように」とのお手紙をいただく。しょげ切っていたチームメンバーの心が、少なからず救われた。
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