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第131話. 長崎の出島

1986年
 
ある日、「この辺りを走ってる車、みんな白いね。東京の真ん中で走ってるのは、みな黒いぞ。君たち分かってんのか」と本田さんが強い口調で。「この辺り」とは、デザイン室がある埼玉県和光市、川越街道を1キロも上れば東京という人も羨む場所。しばらく考えてから、そうかと気づいた。白い車とは大衆車か商用車、黒い車とは高級車かハイヤーだと。
軽自動車からアコードに至る今日まで、トントン拍子でやってきた。が、その上のクラスになると、初代「ホンダレジェンド」はアメリカでは成功したが日本では今一つ。ホンダが得意とする「走りや燃費」や「スポーティーなスタイル」では、どうも日本のこのクラスのお客さんには難しいようだ。
販売の人に聞くと、外観は「貫禄がない」、内装は「高級感が足りない」と決まり文句で耳にタコが出来るほど。努力はしているものの期待には応えていない。私は入社以来、渋谷の自宅マンションから研究所のある和光市まで通勤している。が、本田さんのような観察を一度もしたことがない。
最近各社こぞって「東京デザイン室」との計画を、特に後楽園にあるT社の巨大ビルは刺激的だ。それにこのところ元気な銀座にあるN社の本社ビルも、我々にとっては羨ましい存在であった。 
かつてオートバイメーカーが群雄割拠している時代に、本田さんはいち早く東京に進出し、そこから世界に羽ばたき、ついに「世界一」の座を。今日また自動車でも同じ様相が見える。
相談の結果、できて間もない青山の本社内にデザイン室をとの案が出た。早速、本田さんにその話を申し上げたら、「一度銀座に車で行って、一日過ごしてこい」と一笑に付された。
すぐ実践をと黒い車を手配。本田さん気取りで懸命に外を眺める。言われた通り和光市から銀座に向かう道中、車は白から黒に変わってゆく。人の数に服装に歩き方、ホテルの華やかさやオフィス街の活気、駐車場にある車の種類、どれをとっても「黒い車」に象徴されていた。
「銀座はしょっちゅう行っているのに」と脂汗が出る思いの一日。デザイナーにとって一番大事な「感度」を問われたのだ。まずはと言うことで、銀座にある超一流と言われるホテルの一室を借りて活動を開始。
それから2カ月後、銀座に近いビルの一室を借り、デザインの東京分室が誕生する。私はこれを「長崎の出島」となぞった。明治維新のエネルギーは、鎖国の中にあって、長崎の地で醸造されたと思うからだ。

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